空手の起源は沖縄
様々な流派があったり、瓦割りや掛け声をしながら正拳突きをひたすらする。そんな印象がある空手ですが、実は発祥の地は沖縄と言われているのです。古い時代の読み方で言うと、皆さんもご存知である「琉球王国」この地でこの競技や武道が生まれたのです。
そのような事実はきちんと歴史上の書記や記録から確認できているのですが、この画に描かれているものがもし本当に空手の様なものだとすると、歴史が塗り替わる可能性が出てくるのです。ですが実際のところはこれはあくまでも説どまりで、本来の起源は上記のとおり日本の琉球なのです。
韓国のテコンドーは空手からの派生
格闘ゲームが好きな方でしたらすぐに想像がつくテコンドー。これは韓国の武道の一つなのですが、歴史的な記録から日本の空手からの派生だということが読み取ることができ、そのように認知されているのです。これはきちんと世界的にも証明されているので、事実であるといえます。
しかしながらこの何が書いてあるかよくわからない画を元に、私たちのほうが先だ。と言わんばかりに抗議しているのです。しかしそれを裏付ける歴史的産物は、この明確な根拠と言えないようなものしかないのです。皆さんはこのことについてどう感じますか?
万能壁画に描かれているもの③忍者?
もうここまでくると何にでも見えてくるといっても過言ではないのですが、人の様なものが忍者なのではないか。そのような見解や解釈をしているのです。つまりは世界的に日本の文化としられる、あの忍者が元は韓国が始まりという意見があるのです。
このことについてこちらの見出しで根拠や事実についてまとめていきます。世界的に大変有名で大人気漫画の「NARUTO」も勿論忍者を題材としていますし、他の日本が誇るアニメやゲーム、映画などのコンテンツではそれがテーマや題材になっていることが多いこともあり、世界レベルで日本は忍びの国と言われているのです。
新羅軍の特殊部隊「スルサ」が起源?
皆さんは新羅という国を知っていますか、過去に今では韓国の場所に合った実在する国で、本場韓国の時代劇や大河ドラマでは時代や舞台のひとつとして出てきたりと、かなり知名度のある国の一つなのです。この国と言えばファラン(花郎)という組織が作られることで知られているのです。
このファランとは国をより良いものに革新させようと立ち上げた若者の美男子を集めた組織で、その中で戦のための兵士を集めた特殊部隊「スルサ」があり、その部隊がこの絵に書かれているのではないか?と言われているのです。そしてその部隊こそ日本の忍者が模倣しているという見方があるということらしいのです。
忍者は部隊の戦闘員ではなく諜報員
その二つが全く異なるものと言える根拠の一つが、役割が大きく違うということ。前述で説明した通りスルサは戦を行う戦士、兵士のような組織なのに対して、忍者は諜報員、スパイのような組織なのです。つまり二つの目的や存在意義が全く異なるといえるのです。
それこそアニメや漫画などに登場する忍者は当然ながら、あらゆる忍術を駆使してバトルをすることが多いですが、もともとの役割や姿は全くの別物で、他国や敵軍の情報を傍受するための秘密組織の様なものなのです。
そもそも「スルサ」の存在自体が怪しい
そもそもそのスルサという兵士や戦士を集めた組織その物自体の存在自体が怪しいのです。新羅やファランは有名な書記にも記録として残されているのですが、スルサに関してはソースとなるものが存在していないのです。
このように信憑性がないこの説も韓国人のなかには、それが現実であり真実であると信じているのです。そしてその数は少なくありません。ではなぜそのように歴史的根拠がないのにもかかわらず、自分たちの国が始まりと考えているのでしょうか?
万能壁画に描かれているもの④未来の予言説?
遠い昔の歴史的絵画などには、中には意味深なものが書き表されています。それが未来を予知したものではないかという説がいくつかあるのですが、この画もまたその一つで未来を予知したものではないかと言われているのです。
ではその画が未来を表したものであれば、一体何を表しているのか?なぜそのような説が出てきているかをこちらの見出しでご紹介していきます。先ほどの武道の画という説よりも、より一層不確かなものであることを理解しておいてください。
2008年「蝋燭デモ」の予言か
2008年にアメリカ産の牛肉を輸入するのを反対するデモがおきたのですが、この時に人々は反対を掲げる看板ではなく、みんなロウソクをもって反対活動をしたためロウソクデモと言われているのです。
話は戻りますが、このロウソクを使ったデモクラシーの光景が、書き表されているものと類似していて、それを書き表しているのではないかというのが、この説の全貌です。何度も言うように昔の画ということもあり、大変いびつで何を書き表しているかわからないため、なんにでも見えてしまうのかもしれません。