下村(中村)早苗の生い立ちや現在は?大阪二児餓死事件の全貌を解説

働ける環境が整った彼女は新人として店に出勤します。

託児所の対応に不安を覚える

深夜0時に仕事が終わって託児所へ迎えに行くと、決まって長男が泣いていたといいます。泣いたまま放置する職員の対応が気に入らず自宅に子供たちを残すようになっていきました。このときはまだ子供を思いやる気持ちが存在しました。

客としてきたホストと恋仲に

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仕事は体力的にも精神的にもきつかったといいます。次々新しい子が入店し、注目を集めます。指名によって給料体系もことなるため厳しい競争世界です。慣れない仕事と稼がなければならないストレスは相当なものだったようです。

そんなときに、ふと店に訪れたホストに惹かれていき癒しを求め、次第に家に帰らない生活が始まります。

マンション住民が児童相談所に通報

2010年3月頃から、ホストの家に入り浸り自分の住みかには立ち寄らなくなっていきます。生ごみの異臭やインターホン越しに「ママー」と夜中に泣き叫ぶ声が続いていました。

マンション住民から虐待ホットラインに通報したのですが、相談員が何度訪問しても母子と顔を合わせることはできなかったといいます。

児童相談所の切ない規制

たくさん悲しい騒動が起きているなかで、児童相談所へ通報していたのに防げなかったことが多数あります。これには親の子供に対する保護権利があります。

母親が虐待をやってませんと言い張り、外見的傷が発見されなければそれ以上踏み入ることができないのです。

下村早苗が起こした大阪二児餓死事件の全貌

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面倒見のよかった真面目な母親は見事に崩れていきました。子供たちを嫌いになったわけではなく、3人一緒にいる最中の孤独感が絶えられなかったと語っています。母親しか頼ることのできなかった幼い2児が哀れでなりません。

暗い密室で誰にも助けを求めることが出来ず、息絶えていった全貌を解いていきます。

6月上旬二児を残して家出した

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6月9日に久しぶりに自宅へ戻ります。子供たちは酷い仕打ちをしている母でさえ近寄ってきます。ですがかつての子供想いのママはそこにはいませんでした。男に走った女がいたのです。

2食分のパンやコンビニおにぎりなどの食事を置き男の元へ帰っていくのでした。その際手を振って母親を送り出す健気な長女がいたのです。

子供はいないことにして生活

本来の母親ならば、子供のことが気がかりで何日も放置などできないでしょう。ですが彼女は平気でやってのけました。それは子供をいない存在としてすごし、自らの遊びたい感情や好きな男と長く居たいという女の感情が勝ってしまったのです。

嘘をついてまで交際相手と共に過ごす

子供のことは実家に預けていると伝え交際相手であるホストと遊びを繰り返します。一人ではなく、数人のホストと恋仲であったため、転々とホストの家を泊まり歩く生活をします。

子供時代の愛情不足は、一人の男では満足せず常に誰かと寄り添っていないと不安だったのでした。

6月下旬二児が死んでいるのを確認、再び家出

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数週間ぶりに帰宅すると、そこには動かなくなった我が子がいました。怖くなった彼女はそのままカギをかけて、ホストのもとへ戻ります。もうあの頃の優しかった子供想いの彼女はなく、ホストに惚れた一人の女だったのです。

汗ばむ季節の中でゴミの山と冷たく動かなくなった幼児2人を残し、自分の欲望のままに過ごします。

7月29日二児の腐敗を見て、再び家出

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マンションで同じ階に住む人から、異臭がすると管理会社に苦情がきます。管理会社側が寮として使っている部屋をみせてほしいと願い出たため、欠勤をしていた彼女に連絡を取り、いやいや帰宅するしかなかったのです。

そこには茶色く変色した自分の血を分けた子供たちがいました。真夏の部屋で放置されていたため腐敗がかなり進んでいたのです。

店の主任にメール

寮なので店名義の部屋です。場合によっては勝手に入ることさえできますが、そうされては困ります。大騒動になることはわかってはいても、どうすることもできない彼女は主任に、「ゴミまみれで子供たちを放置しているから死んでいるかもしれない。どうしたらいいのかわからないし死にたい」と意味深なメールを送るのです。

自分は男とホテルに宿泊し涼しい部屋で過ごし、空腹を感じればお腹も満たすのです。

同僚男性が遺体を発見

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メール内容に気になった店の主任はマンションに出向き、その酷い異臭から110番へ電話をかけこの騒動が表に出ることとなったのです。一度もゴミ捨てをしなかった部屋にはたくさんのゴミが山となり、のちに回収した際は段ボール10箱にもなったのです。

死因は餓死・姉は食中毒を起こしていた

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空腹に耐えかねた幼児2人は、調味料も口にしついに食べ物が尽きてしまうとゴミの中からこびりついていた跡を舐め、排泄物まで食べていた形跡も残っていたといいます。

腐敗したものを食べたことで長女は食中毒を起こし先に絶命したとされます。口にできる物なら何でも口にして何とか生き延びようとした小さな命は力尽きてしまったのでした。

50日もの間何も食べれず

発見されたときには、2カ月ほど経過していたとされます。胃や腸の中は空っぽの状態でした。それでも必死に生きようと泣き叫んだりサインは発していましたが、誰にもみつけることができなかったのです。

ドア部分には粘着テープの跡

また、悍ましいことに勝手に外へ出られぬようリビングのドアにはテープで囲って軟禁状態にさせていたのです。3歳であった長女なら外へ助けを求めることができたはずなのに、それさえも奪ったのです。

下村早苗逮捕

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この部屋に住む風俗従業員であり、母親が逮捕されました。聴取では淡々と質問に答えており、食事や水分を与えないと体の小さな子供は特にすぐ脱水を起こし栄養不足となるとわかった上で、長期間外泊をしていたのです。

その間、地元の三重に戻ったり妹の自宅を訪ねたりもしていたといいます。

子育てが面倒になった

働くうちに女としての感情が芽生えていき恋に盲目となってしまいました。食事を与えることや入浴をさせ清潔を保たせることが面倒となり、子供なんかいなければもっと自分の好きにできるのにと思ったのです。

身勝手から起きた尊い命を奪った騒動は多くの人が悲しい気持ちとなり、子育てする母親が抱える孤独な心が問題となりました。

下村早苗のその後

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この騒動は日本中に大きく拡散されます。幼くて大人の援助が必要な子供を置き去りにし、苦しみながら息絶えていった経緯は決して許されることではなく、連日メディアを賑わせたのです。

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