【ライブドア事件】堀江貴文の逮捕から現在、野口氏の死の真相は?

堀江貴文を代表とする会社です。主に1GB容量でWEBフリーメールサービスのギガメーラや、ライブドアブログなどの提供を行っている会社です。

その当時では珍しい手法を行えたのもブラウザーを専用として画面上にバナー広告を設置することで広告収入から収益を得られる仕組みとしたからです。

いま現在は多数のインターネットサービスがありますが、先駆的な企業として知名度は高かったです。そこに堀江貴文が旧ライブドアに興味を示したポイントでありました。

もともとはISP事業の会社だった

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オン・ザ・エッジと買収・合併する前のライブドアはインターネットプロバイダサービスを行っていた企業です。1999年の発足当時は接続料は有料で提供する企業が多い中で無料を武器に参画してきました。

広告料で接続料金を賄うようにしており、神田うのや泉谷しげる、ヒロミなどをCM起用したりと大々的に広報も行なってきました。しかしながら、広告の契約数を集めることが難しく赤字が続いて、そこにADSL・光ファイバーが普及されてきたことで従量課金や電話線接続の減少が予想が立ったため、民事再生法を利用して破産することになります。

2002年株式会社オン・ザ・エッヂにサービスを譲渡

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有限会社オン・ザ・エッジが設立したのは1996年4月です。翌年には株式会社への改組を行い、ホームページ制作の管理運営会社として大きな成長を遂げます。

企業してから4年足らずで東京証券取引所マザーズへの株式上場を行いました。世間的にも急成長するネットビジネスを牽引する風雲児として注目を堀江貴文が集めていた頃です

多種類のインターネットビジネスをはじめ、ネットショップ事業やデータセンター事業を行い事業拡大を実現します。経営破綻した旧ライブドアの営業する権利を堀江貴文率いるオン・ザ・エッジが得ました。ライブドア運営は、この買収で株式会社オン・ザ・エッジが行うようになったのです

2002年以降はポータルサイトや企業買収も手がける

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2002年以降も、様々な事業を手掛けています。2003年8月にLinuxベースオペレーティングシステム「Lindows OS 日本語版」の販売を手掛けます。

翌年にはエッジ株式会社から買収した無料プロバイダーの「株式会社ライブドア」へ社名変更を果たしています。その他にも、2004年に経営難でオリックス ブルーウェーブ(現在のオリックス バファローズ)と合併が決まっていた大阪近鉄バファローズ買収に名乗りを上げたことでも世論を騒がせました。

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また2005年にはニッポン放送株の大量取得に着手します。これによりメディアにも積極的な参入を表明したのです。フジサンケイグループはこれに対し猛反発をしました。和解成立をフジテレビジョンとできたのは株式を譲渡したからです。

そして、第三者割当増資を同会社へ行い、逆に取締役をフジサンケイグループに混在させて、ライブドアとフジサンケイグループが強力してやっていくことを模索していく方向の話となりました。

このような形で突き進むライブドアは、M&A戦略を積極的に行う事業としてマスメディアで頻繁に取り上げられるようになっていました。堀江貴文自身も個性的なキャラクターで注目を集めており、その当時では多くの人に名が知れる存在でした。

当時大人気だった堀江貴文もライブドア事件により逮捕される

絶頂期を迎えていた堀江貴文の人気はホリエモンの愛称で親しまれ、独自のトークで様々な人から一目置かれていましたが、そんな中で、今回のテーマであるあの事件が発生して世論を騒がせました。

これが「ライブドア事件」と呼ばれるものです。その逮捕劇は、先ずは2006年1月に、堀江貴文とライブドア社員や関連会社を含む容疑者達が偽計及び風説の証券取引法違反しているとして逮捕されました。

また粉飾決算が容疑として挙がりそこの点でも逮捕されその翌月には有価証券報告書虚偽記載の証券取引法違反で再逮捕となっています。

堀江貴文は当時テレビ出演や選挙への出馬で大人気だった

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その当時、堀江貴文はテレビ番組には引っ張りだこのように出演をしていました。2005年8月には郵政民営化関連法案が否決されたことで、衆議院の解散に伴う総選挙に自民党、広島第6区から出馬するというこれまでにないIT社長のスタイルで一世を風靡しました。

結果としては亀井静香の11万票に次いで8万4千票を集め、2位で落選となりました。落選こそしたものの、「堀江貴文」という、一IT社長ではないと思わせる存在感を見せつける機会となりました。

堀江貴文に懲役2年6ヶ月の判決が下る

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ライブドア事件において一連の容疑により、東京地検特捜部の起訴により2006年9月に初公判が東京地方裁判所で行われました。本事件において2007年1月26日の最終弁論が開かれるまで、延べ26回の公判が実施されております。

2007年3月16日、判決公判において、懲役2年6ヶ月の実刑判決が下されました。事件を担当した裁判長も「責任がなさすぎており、社会のルールを逸脱したという自覚が全く感じられず厳粛な対応を行うべきである」と述べています。

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堀江貴文が、連日のようにマスメディアに取り上げられることは想像が容易だと思います。堀江貴文の他の容疑者にも次々と判決が下されました。

人材派遣会社トライン買収の件で、岡本文人には懲役1年執行猶予3年が下されました。ライブドアとライブドアマーケティングとに合計で3億2000万円の罰金が確定となりました。

最期まで無実を主張し続けた

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堀江貴文は判決の下った2007年3月16日を終えた後も無実を主張し続けました。判決の下ったその日のうちに堀江貴文サイドの主任弁護士は、その日のうちに東京高等裁判所へ控訴を行っています

2008年7月25日に東京高等裁判所で控訴審の結果、控訴は棄却となり、更に最高裁判所への即日控訴を行います。最終的に2011年4月26日、最高裁判所においても上告を棄却となり刑は確定となります。この長い年数を掛けた審判でしたが、堀江貴文の主張は一貫して無実を訴え続けています。

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