田中蓮くん行方不明は本当に事件?父親母親への疑いとその真相に迫る

車から降りることは容易にできるくらい、特に男児にはそれなりの力があるのです。雨に関心があり好きだった、という話からもいつもと違う程の雨の量に3歳児の興味津々な心が十分読み取れます。

田中連くん発見後の両親

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警察の見解から事故と判断はされましたが、ネットではまだ疑いの目はありました。矛盾点や他にも他殺の可能性がないわけじゃない、などと噂されたのです。

また遺体の損傷が少なく、時間の経過があるのに不自然との声もあったことが言えるでしょう。靴の模様が違っているなどもありましたが、その中で両親は後悔しています。

発見時の父親「ごめん蓮、死なせてしまった」

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心無い中傷の中、了士さんによってコメントが出されました。ありとあらゆる手段をとりつつ、ネットでバッシングを受けながら、反論はしません。おそらく後悔や、見つかっただけでも安心という想いがあったのでしょう。捜索中のこと、父親の了士さん自身も自ら川に入って懸命に探すほどだったのです。

その姿からも早く見つかって欲しい、誰かが見つけてもおおごとになったので言い出せないでいるから、と願う日々だったほどの日々。了士さんの口から出た言葉は「ごめん蓮、死なせてしまった」でした。両親の悲痛な想いが込められた言葉と言えます。

霊安室で対面した母親は泣き崩れ

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行方不明から発見までの間、眠ることすらままならないのが母親ではないでしょうか。ネットの疑いの声とは違い、母親の里奈さんの心情を察する言葉も挙げられていたのです。

母親が僅か3歳だった我が子を失った時の反応として、当然の出来事があることは確かでしょう。まだ生後わずかな子供を抱えて母親の里奈さんは、霊安室で可愛い我が子と対面します。いたたまれないことに直面した母親は、泣き崩れてしまうのも当然です。

無念で悲痛な結末を迎えた田中蓮くんの3年間の生涯

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田中蓮くんには、何も分からなかったままの出来事でした。両親が悔やんでも、3年間の時間は帰ってきません。蓮くんの悲しい事故は叩かれつつ、探し続けたことでもあり後悔しても仕切れないことであったことがわ分かるのではないでしょうか。

この事故をきっかけに、再び起こってはいけないことに誰もが注意しなければ、誰の目にも「ちょっとした油断」が、どんな形でも訪れるか分かりません。安全管理に落ち度があったとは言えませんが、結果は想像していなかったでしょう。

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「かもしれない…」という点に、親ならず誰もが気を配っていなくてはいけないことと言えるのではないでしょうか。特に大人が子供大して行うことは細心の注意と、危険からの回避であることが伺えます。

このいたたまれない事故は、最後に見た光景がどんなものであったにせよ、大人の油断は悲しい結果に繋がることが言えるでしょう。それはどの場面でも同じことで、油断から生まれる大きな出来事は後を絶ちません。どんな時でも「危険が隣り合わせ」という認識でいなければ、避けられないこともあるのではないでしょうか。

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