尼崎脱線事故の本当の原因は?運転士を追い詰めたJR西日本の体勢と日勤教育

JR西日本の社員が2名事故が起きた列車には乗車していました。本来であれば救助活動を行うのが当然の処置と誰もが考える中、職場に連絡した社員が上司から下された指示は救助処置ではなく予定通り会社へ出勤しろという命令でした。

とても大きな事故であり近隣住民の人などが懸命に救助活動をするなか、救助ではなく職場に出勤することを優先して命じたことから人の命を軽く見すぎているJR西日本の体質が報道され、JR西日本には被害者や遺族からだけでなく世間からも批難の声が上がっています。

設置されなかった自動停車装置「ATS-P」

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ATSとは自動停車装置となり速度超過等を防いでくれる装置です。本来であれば事故の前年に設置される予定となっていましたが導入されることはなく事故当時は設置されていませんでした。福知山線に自動停車装置のATSーPが設置されたのは、事故が起きた年の6月で事故の1か月後となります。

今なお後遺症と戦う尼崎脱線事故生存者

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尼崎脱線事故から、今年で14年が経過しました。しかしながら事件から14年たった今でも負傷した生存者や被害者遺族などで後遺症や精神的なことなど様々ことで辛い思いをされている方は大勢いらっしゃいます。

襲われる罪悪感とPTSD

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事故の起きた列車に乗り合わせ奇跡に助かった人の中には、近くに乗り合わせていた人々が亡くなってしまい自分が生き残ったことに罪悪感で胸がつぶされる思いをして精神的に不安定になるPTSDを患っている人もいます。

失われた手足

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この事故では大勢の負傷者が出ています。軽症で済んだ方もいらっしゃいますが、中には手足を切断せざるおえなかった方や切断は免れたものの手足に障害が残ってしまった方もおり、普段の生活での苦悩や社会復帰などの道のりで傷を負った方がたくさんいます。

心の傷を抱える遺族

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心の傷を背負っているのは事故に巻き込まれた方だけではありません。事故で亡くなった方の遺族の方もまた自分の大切な家族がなぜこのような悲惨な事故に巻き込まれ命を落とさなければいけなかったのかと心の傷を負っています。

遺族の中には当初事故を起こした運転士に憤りを感じていましたが、事故の原因が明るみになっていくにつれてその怒りは徐々にJR西日本の安全管理等の体制に向かっていきました。大切な家族の死を無駄にしないために、被害者遺族は事故から14年たった今でも事件を風化せないために様々な方面と戦っています。

祈りの杜となった尼崎脱線事故現場

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列車が衝突したマンションは1階部分が駐車場となっており、電車の1両目はこの駐車場に入り込むように衝突しており、2・3両目はマンションの側面につぶされるように衝突しています。この場所はいまどうなっているのでしょうか。ここでは、尼崎脱線事故現場が今はどうなっているのかを紹介していきます。

2018年9月「祈りの杜」完成

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事故が起きた現場のマンションと隣接地をJR西日本が取得し2016年から整備を行っていました。1年半の整備を終えたのち2018年9月に被害者の方のご冥福を祈る慰霊碑と、被害者遺族・関係者の方のための献花台が設置されった祈りの杜が完成しました。

事故現場とは思えない大きな建造物

祈りの杜は、事故を起こしたJR西日本がマンションと周囲の土地を購入し事故を風化させないために慰霊碑等を置いている慰霊施設となります。しかし、その施設の大きさは事故現場とは思えないほど大きな建造物となっています。

保存されたマンション

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事故現場となったマンションは、事故後しばらくして住人は全員退去しています。慰霊施設建設のためマンションの土地を取得したJR西日本ですが、マンションはそのまま保存された状態で祈りの杜は建設されています。

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