尼崎脱線事故の本当の原因は?運転士を追い詰めたJR西日本の体勢と日勤教育

この事故は終戦からわずか9日後の混乱期に起きた事故で、通勤の人だけでなく疎開先から自宅に戻る人などで電車の中は満員だったとされています。満員電車が川に転落したことから多くの乗客が川の濁流にのみこまれた悲劇となります。

八高線列車脱線転覆事故

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八高線は先ほどの正面衝突事故以外にも1947年に列車の転覆事故が起きています。このころの日本の列車は乗車率300%とも言われており、列車の屋根の上に乗客を乗せて走行する状態が通常化していたとも言われています。

下り勾配のある場所でカーブを曲がり切れずに脱線し6メール下の畑に転落しました。木造だった客車が大破しその結果として184名の死亡者と495名ほどの重軽傷者を出す大きな事故となりました。客車が木造であったことから電車の脆さが問題視され鋼製車体へ改造されるきっかけとなったと言われています。

桜木町事故

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1951年に桜木駅の構内で碍子交換中に誤って切断され、架線に接触したことにより電車が炎上した事故になります。当時は、乗客が中から手動で扉を開ける装置が設置されておらず死亡者106名を出した事故になります。この事故がきっかけとなり非常ドアコックを乗客が開けれるように法律が改正されました。

人々が安心して過ごせる空間へ

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JR西日本は、尼崎脱線事故が起きた当初は利益優先のためかなりの過密ダイヤで運行をしていました。遅延による焦りが招いたともされる事故だったため、事故の後はダイヤの見直しを図っています。

急病人の手当てや、台風などの災害によって致し方無く遅延等が生じてしまうのは難しいことですがちょっとした心構えや体制の見直しなどで防ぐことのできる事故はたくさんありますので、安心して過ごせる空間の提供を望みます。

新しい制度の導入などで乗客の安全の確保

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計画運休の導入や、ゆとりのあるダイヤに改正したことで人の命の重要性と安全性を最優先としたJR西日本の取り組みです。尼崎脱線事故の大惨事を教訓として、他の路線でも徐々に計画運休等を行い乗客が安心して過ごせる空間づくりを行っています。

電車だけでなく、バスも含めて公共交通機関を利用する人の人数は数え切れません。乗客の安全を守ることは運転士だけではなく運営会社の責務であると考えられます。乗客の日常を守るための、技術の向上や研修の充実度だけでなく運転士の精神的・体力的苦痛を減らすことも会社の責務であると言えます。

絶対にやってはいけない!!

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尼崎脱線事故は最初、置石が原因では?と囁かれていたこともありますがこれは誤りだったと訂正されています。置石とは、線路上に石を故意に置くことです。実際にも置石が原因で起きた事故は過去にもいくつかあります。

軽い気持ちが悲劇を起こす

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小さい石なら大丈夫だろうという軽いいたずらのような気持ちで行ってしまったことが重大な事故につながってしまうことがあります。決して置石などをして電車の通行を妨害してはいけません。これは、電車だけでなく一般の道路などにも言えることですので頭に入れておきましょう。

制裁を受ける

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置石などをおき列車の運行を妨害した場合、刑事責任を問われる可能性があります。小さい石でも列車が石を踏むと大きな音がしたり振動が起きたりするので、列車は運行を止めて確認をする必要がありますので、利用者への影響は出てきます。

また、程度にもよりますが列車の車体を破損させたり、甚大な被害をもたらしたりすると賠償金の請求命令が下されることがあります。どのみち軽い気持ちのいたずらだとしても犯罪行為をすることは許されることではありません。

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