ですが、既に日本航空はライバル社との契約を決定しているなど少々出遅れた感がありました。そこで全日空には確実に自社製品を導入してもらおうと、合計で30億もの賄賂を3つのルートに分けて渡していたのです。
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ロッキード社からの賄賂が流れた3つのルートとは
先程から触れられている3つのルートですが、1つは飛行機の販売代理店に、もう1つは航空機の売り込みをかけたい全日空へ、そして最後は児玉誉士夫個人に渡りました。この3つの内、特に児玉ルートには未だ多くの謎が残っています。
ルート①丸紅ルート
田中角栄に5億円を流したのがこのルートです。この時はもう全日空に自社製品が選ばれることはほぼ確定していましたが、念押しの為に渡したと丸紅の航空機課長が証言しています。また彼は「5億を出せと言ったのは自分からの提案である」とも言っています。
更に彼はもうひとつ「P3C(アメリカが開発した軍用機のこと)の導入のためでもある」と発言しています。後の章で説明しますが、当事者達の発言には度々この単語が出てきます。そのため、この大規模な汚職事件は単なる旅客機販売だけが目的ではなく、新しい軍用機を売るためだったのでは?とも言われています。
ルート②全日空ルート
航空機を購入した際の手数料という名目で、全日空にも2億円が渡っていました。全日空は政治的に自社が有利になるよう、そのお金の一部を運輸関係の政治家や官僚に回していました。これは受託収賄罪に当たるとして、運輸政務次官などが逮捕・起訴され有罪となっています。
ルート③児玉ルート
最後は児玉ルートですが、何と21億円もの賄賂が個人の手に渡っています。日本に軍用機を売るためのコンサルタント料という名目でしたが、何故これだけの大金を支払わなければならなかったのでしょうか。それは、この軍用機導入こそがアメリカの真の目的だったからではないかと言われています。そちらについては次章で詳しく説明いたします。
ロッキード社の本当の狙いは?
民間航空機を売り出したいというのももちろんあったのですが、本当の狙いはアメリカが国を上げて開発していた「P3C」を日本に売りたかったからではないか?という噂があります。実際、関係者の証言にも度々その話題が出てきます。
しかしこの飛行機は軍用機なので、もしもアメリカから日本に金銭を渡して売り込んだ事がバレてしまうと政治的にアメリカの立場が悪くなってしまうためにその事実を隠蔽したのではないかと言われています。
米国政府が隠蔽した出来事についての噂は他にもあります。こちらの記事も参照してみてください。
P3Cとは?アメリカが執着していた理由とは?
この軍用機を売り込むのが本来の狙いだったとよく言われているものの、具体的にどんな飛行機なのかはあまり語られていません。この章ではもう少し機体について掘り下げ、仮にこの軍用機を売ることが本当の目的だったとして、なぜアメリカがそこまで執着していたのか?という部分にも言及していきます。
P3Cとはどんな軍用機なのか
対潜哨戒機の1つです。元々は旅客機として使われていたものを軍事用に改造したもので、今まで使用されていたものに比べると乗り心地が良く、パイロットが長時間飛行するのに向いた造りとなっています。また大型化したため積載量が増え、輸送機として使用する国もあります。現在も自衛隊が使用し、主力哨戒機となっています。
対潜哨戒機とは?
「対潜哨戒機」という耳慣れない単語が出てきましたが、これは名前の通り潜水艦を探知・攻撃する戦闘機のことを指します。以前は潜水艦を見つけるのに1機、攻撃するのに1機が必要でしたが、それを1つの機体ですべて賄えるようにしたものです。また、長時間の低空飛行が可能であることも特徴のひとつです。
P3Cを売り込みたかった理由
事件が起こる少し前、日本ではこの対潜哨戒機を自力で開発しようとしていました。しかし、自国で開発するには費用がかかりすぎるということで頭を抱えていました。というのも、日本には「開発した武器は他国に売らない」という決め事があったため、開発にかかった費用を他国への売買による利益で回収することが出来なかったからです。
ロッキード社はそこへ目を付けました。自国で開発した対潜哨戒機を日本が輸入してくれれば傾いた自社の業績を立て直すことが出来ます。そのため、少し痛い出費であっても児玉にコンサルタント料を払って製品のアピールをしてもらおうとしたのです。
また、丸紅が5億を要求したのも本当はこれが狙いだったのではないかと言われています。なぜならP3Cが導入されれば自社に手数料が支払われるのに対し、自国で開発された場合は一銭も手に入らないからです。
ロッキード社と児玉誉士夫との関係は?
ここまでで、事件の概要から賄賂のルート、事件を起こした目的までは整理できました。しかし、まだ大きな疑問が残っています。それは、なぜロッキード社は大枚をはたいてまで児玉を頼ったのか?ということです。ここではそのきっかけとなった出来事について説明します。
グラマン・ロッキード問題
実は、ロッキード社と児玉の間には以前から戦闘機の導入問題で繋がりがありました。1957年の事です。その頃航空自衛隊はアメリカから圧力をかけられ、新しい戦闘機の導入を検討していました。初めはグラマン社の「F11戦闘機」と導入するように申し入れされており、決定しかけていました。
ここで割り込みをかけたのが児玉でした。彼は導入反対に回り、代わりにロッキード社のF104を推したのです。結果、F104が採用される運びとなり児玉はロッキード社に恩を売ることができました。これがきっかけで両者の信頼関係は深まり、後の事件に繋がっていきます。