富士ガリバー王国とは?廃墟と化したテーマパーク
子供の頃に、夢中で遊んだテーマパーク。みなさんも、それぞれ思い出深いテーマパークが心の中にあるのではないでしょうか。そんな思い出深い場所も、月日が過ぎるといつの間にかなくなってしまっていた…ということもありますよね。富士ガリバー王国も、そんな閉園となってしまったテーマパークの1つなのです。
富士ガリバー王国は「ガリバー」をテーマとしたテーマパーク
世界中の人が知っているおとぎ話、「ガリバー」をモデルとして作られています。船医だったガリバーは、ある日海の上で嵐にぶつかってしまい、小人の住む国に流れ着いてしまうという不思議なお話です。その世界観を再現したテーマパークが、富士ガリバー王国なのです。
巨大なガリバーがシンボル!45mにも及ぶガリバー像
何と言っても印象的なのは、超大型のガリバー像でしょう。横たわった状態で、小人に捕らえられているあの有名なシーンを再現してあるその像は、訪れた人をあっと驚かせる、ユニークな園のシンボルとして話題となりました。
そういえばガリバーってどんなお話?
絵本で読んだ方も多いのではないでしょうか?「ガリバー旅行記」という世に親しまれたそのお話は、小人の国に迷い込んでしまった男が主人公のお話です。隣り合った2つの小人の国々では争いが起こっており、ガリバーもその争いに巻き込まれてしまいます。
ガリバー旅行記は実は風刺小説
おとぎ話として、子供に読み聞かせされる事が多いこのお話ですが、実は社会を風刺した大人向けの小説なのです。どの国にまつわる、どのような話を風刺してあるか、特定されてしまうと社会的に攻撃・弾圧されてしまう可能性があります。そんな時には、おとぎ話を隠れ蓑として、社会の問題点を指摘する方法もあるのです。
有名なのは2篇までのお話
世界中で子供用の絵本として取り上げられているは、2篇までとなっています。捕らえられたガリバーが、小人の国を脱出するところまでが書き記されているものです。しかし実は、まだその話には続きがあります。最後まで読む事でおとぎ話ではなく、社会の問題点や道徳的な解釈なども出来るようになっているのです。
富士ガリバー王国の歴史を紹介!開園から閉鎖されるまで
ガリバー旅行記同様、こちらのテーマパークは老若男女楽しめる、素晴らしい場所でした。しかしこの園の歴史はとても短く、開園から閉園までたった4年で終わってしまいます。一体なぜテーマパークという魅力的な場所が、4年という短い歳月で終わってしまったのでしょうか?その経緯をご紹介いたします。
1997年に山梨県で開園!
旧国有地である山梨県の富士北麓に建設され、敷地面積は約370,000㎡。東京ドームのグラウンドで例えると、約28倍ほどの広さを誇る広大な敷地を使っていたのです。その場所には、来園した人を魅了する様々な最先端の仕掛けが用意されていました。
隣接地にはホテルやゴルフ場も
園の隣には、会員制のゴルフ場やリゾートホテルまでもが建設されていました。子供向けのテーマパークとしてだけではなく、その土地一帯で、大人も子供も楽しめるような施設づくりがされていたのです。年齢層問わず、集客が出来る予定のはずでした。
開園から4年!富士ガリバー王国は2001年に閉鎖
子供も大人も楽しめるテーマパークとして開園し、魅力的な仕掛けがあったたにもかかわらず、不思議な事にたった4年という短期間で閉園をしてしまいます。なぜこんなに早く、華やかな舞台の幕を閉じなければならなかったのでしょうか。
富士ガリバー王国はなぜ閉鎖した?その理由とは
たった4年で閉園に追い込まれててしまったのには、幾つが理由があります。山梨県の広大な土地に建設されたこちらの園ですが、実は最初から、立地条件として不利な部分がいくつかあったのです。それに加えて、経営面でも問題が発生する事になり、閉園を余儀無くされる事になりました。
閉鎖理由①アクセスが悪かった
まず第一に、交通のアクセスが悪かったことが人を呼び込めない原因の1つとしてあげられます。バスや電車などが通っていないため、車を運転して来園するしか方法がなかったのです。車を持っていない人や子供などにとっては、気軽に来れる場所ではなかったのでしょう。
閉鎖理由②富士急ハイランドと競合状態に
近くに富士急ハイランドがあり、2つのテーマパークの間で集客が分散してしまう事となってしまいます。それぞれの持つ個性は違っているものの、交通のアクセスの良い富士急ハイランドは、集客の面で大いに優っていたのではないでしょうか。
閉鎖理由③メインバンクが経営破綻
主な経営を担っていたのは、新潟中央銀行でした。しかしその銀行が経営破綻してしまい、それに伴って園の経営も立ち行かなくなってしまいます。その後売りに出されるも、購入者が見つからず遂には閉園への道を進む事になってしまうのです。
閉鎖理由④オウム真理教のサティアンが近くに
園の近くには、オウム真理教の施設が建設されていました。1990年代前後にかけて、数々の事件を起こしてきたこの宗教に対して、世間は敏感にならざるを得ない時期だったと言えます。そんな時期に、近隣に建ってしまったこのテーマパークも、風評被害を受け客足が遠のいてしまったのです。
富士ガリバー王国とはどのようなテーマパークだったのか
たった4年という短い間でしたが、数多くの人々を楽しませてくれた事には変わりありません。営業当時はどのように魅力あるテーマパークだったのでしょうか。富士山近くの広い敷地には、様々なプレイスポットが用意されていました。
巨大なガリバー像が横たわる「ガリバー島」
園の名前にも付けられている、「ガリバー」の巨大な像が横たわるガリバー島は、行った事がある人にとっては記憶に強烈に残っているのではないでしょうか。45mほどの巨大な像は、まさに小説の中の小人になってしまったような、リアルでインパクトのあるモチーフです。
北欧の街並みを再現した「北欧村」
北欧のおしゃれで可愛らしい街並みを再現した、北欧村も魅力の一つ。建物の内部は、土産物屋やレストラン、カフェなどとが取り揃えられていました。可愛い街並みを眺めながら、ショピングを楽しんだり食事を楽しむ場所として賑わいました。
観光用の気球も?「バルーンワールド」
最大30人が乗る事が出来る、日本初の巨大な気球も話題となりました。直径22mほどの超巨大な気球は、20km離れた場所からでも目視出来るほどの大きさだったとのこと。最大150mもの高さまで浮かび上がる事が出来るので、富士山や駿河湾が美しく眺められる人気のアトラクションでありました。
ボブスレーができる!「ボブスレーランド」
900mの氷で作られたコースが用意されており、ボブスレーを楽しむ事が出来ました。前後に専門のパイロットが付いて操縦をしてくれ、中央に来園者が乗るスタイルの本格的なアトラクションです。体感速度100kmを超える、このエキサイティングなアトラクションも人気を博しました。
ワラビーやうさぎたちとふれあえる「ふれあい牧場」
「自然との共存」をテーマとしたふれあい動物園では、うさぎ、リス、ワラビーなどの小動物や、羊や山羊、トナカイといった草食動物などを直接触れるような場所となっていました。可愛らしい動物たちと触れ合える、子供に人気のゾーンです。