阿部定事件は狂愛に満ちた猟奇殺人!愛人を扼殺し陰茎切断した彼女の動機と心理

たとえば、浅香光代とは幼いころからの知り合いで、定の店にも時々来ていたようです。また相撲の親方からも贔屓にされていました。玄人好みというのか、定自身が花柳界のプロフェッショナルです。素人の男の妾になるのは仕事を見つけるのと同じレベルです。

第一次ブーム〜阿部定事件発生〜

まさに阿部定事件を新聞や週刊誌マスコミなどがヒートアップして取材合戦がしばらく続きました。阿部定の気風のいい語り口に人々は魅了されて行きます。人情味があり、嘘はつかない。真面目で気風がいい人というのが知る人の大体の印象です。

ただ定は世慣れた玄人です。男が次々と、定の術中にはまって行くのが、手に取るように見えてきます。知識も教養もある男性が、手放しで、定は気の毒だ、これは殺人事件ではなく、偶然そんなことになっただけだとする意見を目にしましたが、定は準備も整えていますし、金策も作戦通りうまくやっています。

第2次ブーム〜1947年暴本出版〜

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1947年、暴露本が出版されました。再び阿部定のブームが巻き起こりました。定は刑期を終えて出所して偽名で生活していましたが、名乗りでたことが更に騒ぎを拡大しました。坂口安吾も興味を持ったのか対談しています。そして定のことを1番女らしい女とし、花柳界の女でありながら、もっとも平凡な女だと言っているのです。

坂口安吾も定の妖気に当てられたとしか言いようがありません。現実の女性としての定は、可憐で、ひたむきで、慎ましやかでって、坂口安吾先生にそこまで言わせてしまうとは、女性の立場から阿部定がそんなに評価が高かったら困るのです。このような女は、女性の中では恐ろしいタイプだと感じます。

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つまり非常に男性の扱いに長けていますから、坂口安吾であろうとも、大宮先生のようにイチコロです。坂口安吾は定の第一印象を、下町のどこにでもいる普通のおばさんだったと言っています。この事件は何が原因で起こったのか、愛ゆえに殺害する意味はとは何なのかか、作家の視点から坂口は切り込みます。

第三次ブーム〜「失楽園」など、様々な形で作品化〜

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1998年失楽園が発表されました。渡辺淳一の小説小説から火がつき、映画化され大人の純愛ものとして阿部定の第三次ブームが起こります。これまでは猟奇的殺人事件としての扱いでしたが、今回ブームをもたらしたのはテーマの純愛でした。大人の純愛はファンタジーです。疲れた大人たちが、ファンタジーを求めたのです。

失楽園は1995年に日本経済新聞に連載された小説です。日本の経済界を闊歩しているおじさまたちが朝からひっきりなしに身体を重ねるシーンが出てくる新聞連載を読んで出勤したわけです。渡辺淳一さんはいつも小説に出てくるような素敵な女性を同伴されていたので、実体験ではないかと噂になっていました

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阿倍定がいた日本

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阿部定が比較的裕福な家に生まれついたのに、何故そこまで身を落として体を売るような仕事をしたのか、借金でがんじがらめになり、辛い中で常に男を頼ったのか、そんなストーリーがわかるかも知れないと、少しばかり阿部定が過ごした時代を調べてみました。

定が過ごした時代は大敗的な時代ではなく、むしろ花開く時代で、定は自ら穴に入っていってしまう気がするのです。今の時代でも定の精神鑑定は難しいのかも知れません。少女時代の記憶は定にとっておぞましいトラウマではなく、甘美な記憶にすり替わり、本来の自分の姿を晒すことで、スリルが快感になるのかも知れません。

1905年の神田と日本

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1905年は阿部定が生まれた年です。そして、日露戦争が勝利という結果で終わった日です。世界の大国相手に勝利したたもめ、日本は浮かれていました。定が遊びに行くたびに、持ち出した金は30銭〜50銭とは、子供が遊びに使う金額ではないのです。この年に生まれた有名人は、円地文子、水谷八重、天津乙女がいます。

円地文子は源氏物語の翻訳で知られている女流作家です。水谷八重子は明治から昭和にかけて活躍した女優です。新劇から新派に移り、演劇界を支える大女優となりました。天津乙女は宝塚劇団の劇団員で劇団長も務めました。没年74歳でした。明治の女性は立ち振る舞いもきりりとしていて、隙がない印象でした。

1936年の品川界隈と日本

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1936年は定が品川駅前の旅館で逮捕された日です。1936年年の日本は、226事件が起こりました。クーデター未遂事件です。また上野動物公園の黒豹が逃げ出したことも大きなニュースになりました。

阿部定事件の騒ぎも号外が出るほどの一大事です。小津安二郎監督がこの年に高輪に越してきました。高輪の高山稲荷神社は当時と変わらずそこにあります。この年に生まれた有名人は北島三郎や、長嶋茂雄、楳図かずおなどがいます。

1923年富山の平安楼に1000円の前金で働きに出る

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富山のハイカラスポットの大和デパートがオープンしたのがこの年になります。当時の北陸は東京から行くのには極めて不便なところでした。デパート開業は、おしゃれな定にとって、嬉しいニュースに違いありません。それより定が富山に来たのはこの年の関東第震災の影響です。

世話なった秋葉の家が焼けてしまったため再建のための費用を稼ぐのに地に来たのです。この年に生まれた有名人は、永山あいこや三国蓮太郎、遠藤周作がいます。この時代の1000円は、200万円くらいです。前金で出すというのがこの世界の通常なのですね。 年季が明けるまで働く世界春を売る世界は買われるのです。

阿部定事件は行き過ぎた愛の物語

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阿部定事件と言えば、淫靡な香りがして踏み込むのには抵抗がありますが、定は歯切れよい様子で語ります。お嬢様から芸者の世界に売り飛ばされても、男に体を貢ぐ仕事なら、悲壮感なく、あっけらかんと真面目に働きます。ではどうしてこのような猟奇的な事件に発展してしまったのか? 変態マゾ中年の情にほだされ、利用された?

また騙される、また逃げられる、好きな男を繋ぎ止めたい一心で無理な要求に応じているうちに定が一瞬狂気に走ったのではなく、正気を取り戻し、絞めてしまったのだと、自分をここまで溺れさせる男に気がついたと推理したくなります。定はその先の奈落の底に落ちるまえに石田を突き落としたのかも知れないですよね。

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