【ヒルコ】障害を持ち生まれ、恵比寿神となった神の神話、解釈、考察など

ヒルコは日本神話においてイザナギノミコト、イザナミノミコトの第1子として生まれた神様です。ヒルコは障害、奇形を持って生まれ、親から捨てられますが、その後恵比寿様として祀られる事となります。ヒルコの誕生のエピソード、ヒルコについての解釈、考察などをご紹介します。

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ヒルコとは?

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蛭子(ヒルコ)とは、日本神話における神であり、奈良時代の歴史書『古事記』や『日本書紀』などに登場します。また日本古来の「エビス」信仰とも密接に関係しており、エビス神ないし「恵比寿様」として崇められることもあります。

ヒルコの概要

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それでは、ヒルコとはどのような神なのでしょうか。日本神話において、ヒルコはいわゆる「国生み」のくだりに登場し、また「不具」の神であるなどの特徴を持っています。ここでは『古事記』などに見られる記述を踏まえながら、その概要を解説していきましょう。

ヒルコは日本神話の神

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奈良時代に編まれた歴史書『古事記』において、ヒルコは男神・伊邪那岐命(イザナギノミコト:以下イザナギ)と女神・伊弉冉尊(イザナミノミコト:以下イザナミ)のあいだに生まれた最初の神です。この二柱は、『古事記』において初めて地上に降り立ち、ヒルコに続いて日本の国土を「生んだ(創造した)」とされる重要な神々です。

ヒルコは不具の神である

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さらに、ヒルコは不具児(障害児)として生まれてきた、といわれています。『古事記』には直接の描写はありませんが、同時代の歴史書『日本書紀』には「此兒年滿三歲、脚尚不立(この子は三歳になっても、足で立つことができなかった)」とあります。

ヒルコは不具の神なのに、恵比寿様と同一視される福の神様

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伝承では障害児として生まれてきたヒルコですが、不思議なことに、ヒルコはエビス神、すなわち七福神の一柱である「恵比寿様」と混同されることもあります。このように、ヒルコは非常に謎の多い神なのです。

古事記の中でのヒルコ

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先ほどもご紹介した『古事記』。和銅5(712)年に編纂された『古事記』は、天地開闢(てんちかいびゃく)から同時代までの歴史を記した書物であり、歴史書であるのみならず日本神話の集大成として、今日に至るまで、さまざまな学術的研究の対象ともなってきました。

イザナギとイザナミの子供としてヒルコは生まれた

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前述のように、ヒルコはイザナギ・イザナミの神が、国生みよりも以前に儲けた長子です。その後、この二柱の神からは、天照大神(アマテラスオオミカミ)、月読尊(ツクヨミノミコト)、素戔嗚尊(スサノオノミコト)といった神々が誕生しています。

ヒルコは生まれつき不具の子だった

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さらにヒルコは「不具児」であり、障害ないし奇形児でありました。これは先の二柱が最初に「まぐわひ(つまり、性交のこと)」をするにあたり、「天の御柱」という大きな柱の周囲を回り、声を掛け合うという儀式を行った際、イザナミが先に声を掛けてしまったことによる「不吉」のあらわれでした。

ヒルコは両親の神によって海に流された

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『古事記』によれば、ヒルコの誕生後、二柱はヒルコを「葦船に入れて流し去てき(葦で作った船に入れて捨ててしまった)」と記されています。そしてそれ以後、『古事記』にはヒルコについての記述は一切見られなくなります。

ヒルコのその後とは?

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さて、前述のように、『古事記』においては誕生とともに海に流され、それから一切の消息が語られなくなってしまうヒルコ。しかし日本の一部の神社などには、ヒルコの「アフターストーリー」ともいえる、さまざまな「縁起」が伝わっているのです。

ヒルコのその後①漁師が御神像としてヒルコを釣り上げる

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ある日、一人の漁師が浜辺で漁をしていたところ、奇妙な像を釣り上げます。漁師は不思議に思いながらも、その像を海へと返します。しかしそれから、別の場所で漁をしていると、再び同じ像を釣り上げました。

漁師は、これは尋常でないことだと感じ、家に持ち帰って大切に祀りました。そしてその晩、件の像が漁師の夢に現われ、「私はヒルコである」と告げ、西の地に社を建て、自分を祀るよう命じます。それから漁師は仲間たちと協力して、現在の西宮神社の祖となる社を建てたのです。

ヒルコのその後②戎三郎として人々に育てられる

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また、別の話もあります。それによれば、ヒルコは葦の船で流された後、摂津(現在の兵庫県南東部)の浜へと流れ着きます。その地の住人がヒルコを「戎三郎」と名付け、丁重にお育てしました。そしてヒルコは、ついには戎大神となったのです。

なぜ捨てられた不具の神、ヒルコは人々に大切にされたのか?

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このように、生みの親によって海に流されたヒルコの「アフターストーリー」は数多くあります。ではなぜ、一度は姿を消した神が、再び人びとの信仰の対象となったのでしょうか。続けて解説してゆきます。

ヒルコが祀られた理由は日本の風習が関係していた

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古来より、日本では海の向こうに「常世の国」という未知の国があり、海から流れ着いた漂着物などを、その「常世の国」からやってきたものとして、神として祀るという風習がありました。そのような海の向こうからやってきた神のことを、古くは「エビス」と呼んだのです。

エビス神とは、海からやってきた神

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古来、日本ではイルカやクジラなど、海からやって来たもの全般を「エビス」と称し、信仰の対象としていました。これらは「寄り神」とも呼ばれ、たとえば座礁したクジラにより飢饉から救われた、といった逸話が、その典型です。

恵比寿様とはどんな神様?

元来、海と深いつながりを有しているエビス神ですが、現在では「えびす顔」と呼ばれる、笑顔のまぶしい福の神として著名です。では、今日における「恵比寿様」とは、いかなる神様なのでしょうか。

七福神の一柱

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恵比寿様は、七福神の一柱。七福神とは、その名の通り七柱の福の神々であり、大黒天・恵比須・毘沙門天・弁財天・福禄寿・寿老人・布袋の総称。その多くはインドや中国に起源を持ちますが、恵比寿様だけは、前述のように日本に由来する神様です。

恵比寿様のご利益

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恵比寿様のご利益は、何と言っても商売繁盛。商業の発達した中世においては、市場の神として恵比寿様が盛んに信仰されていました。また前述のように、恵比寿様と海との関係性から、漁業における豊漁や、航海安全を祈願する対象ともなりました。

恵比寿様が釣り竿を担いでいる理由

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恵比寿様は釣り竿を持っている姿が有名ですが、これは恵比寿様の起源とされる神々のなかに、事代主神(コトシロヌシ)という一柱が含まれているからです。コトシロヌシは、日本で最初に魚釣りをしたという伝説から、釣り竿がその象徴となっているのです。

また、七福神の他にも、強い力を持った仏神にご興味のある方は、以下の記事をご参照ください。

ヒルコを漢字で表した場合の解釈

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次に、ヒルコを漢字で表した場合の解釈について取り上げます。実は「ヒルコ」に漢字を当てる際には、いくつかの異なる表記がありうるのです。そうしたいくつかの解釈のうち、代表的なものを見てみましょう。

ヒルコを漢字で表した場合の解釈①蛭子の場合

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まず挙げられるのは、『古事記』における「水蛭子」という当て方です。この場合には、ヒルコは文字通り「蛭のような骨なし子」として生まれた、と解釈できます。これは江戸時代の国学者・本居宣長の著した『古事記伝』にも見られるもので、今日においても有力な説です。

ヒルコを漢字で表した場合の解釈②昼子、日る子の場合

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二つ目の説は、ヒルコとは「昼子」ないし「日る子」と書くという説。この説によれば、ヒルコは太陽神としての性質を持っており、尊いがために海に流された、ということになっています。これは「貴種流離譚」、つまり尊い存在(貴種)が放浪の生活を送る、という神話の類型にも当てはまります。

ヒルコのエピソードの考察

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このように、ヒルコを巡る解釈は多岐に渡っていますが、仮に定説に従い、ヒルコがいわゆる「奇形児」であったとして、なぜそのような子どもが生まれたというエピソードが、日本神話のなかに存在しているのでしょうか。この謎に関する、いくつかの考察をご紹介しましょう。

ヒルコのエピソードの考察①縄文から弥生への移り変わりの象徴

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第一に、ヒルコのエピソードは、縄文から弥生への移り変わりを象徴的にあらわしたものなのではないか、とする考え。古代=縄文時代の日本はゆるやかな女系社会でしたが、弥生時代になると中国の律令制度の影響を受けた男系社会になり、社会構造が大きく変化していきました。

ヒルコのエピソードの考察②捨てる神あれば拾う神ありという教訓

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第二に、親であるイザナギ・イザナミ両神に捨てられたヒルコが、人びとに救われ、ついにはエビス神となるという一連の伝承が、全体として文字通り「捨てる神あれば拾う神あり」という教訓を表わすものであるとする考え。

障害を持って生まれ、親により追放されたヒルコですが、のちに長じて「恵比寿様」となり、今なお人びとに崇敬されている……。そう考えれば、たとえ不遇な生い立ちを持っていても、最後には人に愛される存在となることができる、という素晴らしいメッセージを、ヒルコのエピソードは発してくれているのかもしれません。

ヒルコのエピソードの考察③福子伝説の象徴

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