邪視とは?呪いの目の世界での意味、お守り、怖い話や実在した邪眼持ちなど

「決して見ないでください」という誓いを破ったことにより、起きてしまう悲劇がある。これは禁室型とも呼ばれるお話の形態で、最も有名なものは鶴の恩返しです。娘に「決して戸を開けないでください」と言われたのに、老人は禁を破り、彼女の鶴という正体を見てしまうのです。

目で見るという行為は、それだけで幻影や術を打ち破る力があります。

日本における見るなのタブー

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鶴の恩返しよりさらに古く、日本神話の創生神、イザナギ・イザナミの話も有名です。

黄泉の国で妻から見ないでと言われたのに、夫は妻の腐りはてた姿を見て、怒らせてしまう。また天皇即位の儀式などで使われる三種の神器を見ると血が噴き出す、かつては天皇の姿を直視すると目がつぶれると言われていました。

世界における見るなのタブー

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ギリシャ神話では、決して中を見てはいけないと言われていたのに、パンドラは箱を開けてしまいます。聖書では、振り返ってはいけないと言われたのに、ロトの妻は言いつけを破って塩の柱と化しました。

見るというのは至極簡単な行動であるからこそ、誰にでも理解できるタブーとして世界中の物語で活用されてきたのです。

文化における見るなのタブー

また現代社会でも文化的な視線へのタブーは存在しています。日本においては他人をまじまじ見つめたり、瞳を覗き込むことは無礼・無遠慮な印象を与えます。中国では挑発や上下関係を意味し、ベトナムやカンボジアで異性を凝視すると誘惑と取られます。

一方、欧米では目を見て会話することは基本的なマナーであると考えられています。

なぜ「見る」ことがタブーなのか?

人は視覚が強く発達したからこそ、見ることであらゆる情報を取り入れて生きています。だからこそ、見ることで影響を受け、また見られることで与えられるとされてきたのです。

そもそも誰のまなざしにもそういう力がある。だからこそこういったタブーが生まれ、邪視という概念が人類共通のものとなったのです。

見られたくない人の心理状態はネガティブ

余談になりますが、人が顔を隠す(視線を塞ぐ)理由は主に、拒絶、羞恥、ショックなどネガティブなものが多いものです。

小さな子供が気を引くためにすることもありますが、これは「泣いたら構ってもらえる」と学習しているが故であって、大人であれば「構わないで」のサインに他ならないということ。視線が持つ力を防ごうとする仕草なのです。

世界における”視線”の意味と価値

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先ほど「目を合わせると日本では失礼にあたる」と記しましたが、他の国でも同じだとは決して限りません。また立場や性別でもその意味は異なってくるものです。

では、アイコンタクトはいかなる意味を秘めているものなのでしょうか?コミュニケーションツールとして重要な意味を持つ「目」の世界的価値観について考察してみました。

男性と女性では意味が異なる

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たとえば「あなたの話を真剣に聞いています」というサインを出すとき、女性は話し手をよく見て、男性は目をそらす傾向があります。女性はコミュニケーションの重点を対話相手に、男性は話の内容に置く人が多いためです。

また相手が異性の場合、男性は気遣いゆえに相手をじろじろ眺めない傾向もあるのです。

フランス人は視線が大好き

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欧米の中でもフランスは特にアイコンタクトを重視し、好む傾向があります。相手への興味や敬意を表す他、男性が女性を賛辞する洗練された交流を指します。

これをフランス語で「ギャラトゥリ(galanterie)」といい、フランス人男性が備えるべき理想的マナーとされています。

日本における視線の意味

先ほども少し触れましたが、日本において視線を向けることは礼節を欠く行為です。よほど熱心に伝えたい、また確認したいことがある以外だと、目を向けられた相手は威圧感を感じ緊張してしまうものです。

逆に相手からの視線を許すことは、こちらの警戒を解いているサインになるので、上下関係がある立場で友好を深めたい時に使える手段です。

国ごとに違うパーソナルスペース

アイコンタクトとパーソナルスペースは関連性があります。日本は親しい人でもボディタッチがあまり一般的ではない国です。

逆に対人距離が特に近しい傾向にあるのはアルゼンチン、アジア圏では中国が上位であり、韓国もボディタッチが密なことで有名な国です。そう考えると日本人は群を抜いてシャイな国と言えます。

邪視は世界各国で認知されている能力

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あらゆる地域・民族・宗教の中で確認されている邪視。人類が視覚を中心に生きている限り、失われることのない概念でしょう。

それが災いとなるか、破魔となるか、禁忌を破るかはあなた次第といえます。呪いを完成さるのは、それを受けた人の弱った心そのものなのですから。

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