幼少期からあまり良い環境で育っていなかった
池永チャールストーマスは、まだ幼い頃からマニラの母親の両親や周りに育てられたのです。母親は結婚当時にも、何人とも男女の関係になる程です。1歳後半で日本の両親の元にくるも、母親は彼を1人にして出かけたり、今度は義父にあたる存在からひどい虐待も受けていたとされています。
夜の仕事をしていた母親と、仕事のない義父との関係で生まれたのが暴力だったのでしょう。幼少期から遡ると分かる通り、母親はネグレスト(放棄・放置)をすることが当たり前になっていました。
学生時代は目まぐるしく居住地が変わっていた
夜の仕事をしていた母親ですが、義父が働いていなかったこともあり幾度も転校を重ねています。学生時代には引っ越しをすること7回、親しい友人もできないままであることは明らかで、当時は愛着障害を持っていたとされているのです。それは愛情を受けないだけではなく、対人関係に支障をもたらすことになり、他人の立場で考えることが欠如してしまうのことを指します。
めまぐるしい移住環境と暴力、そしてネグレスト、壮絶な幼少期だったことが伺えるでしょう。それが全て犯罪に直結していたかは、不確かなこととは言えるでしょう。分かっていることは、幼い頃に受けた様々状況から自分以外は「本当の他人」と感じていることです。ダメージが大きかった小さい頃の環境が、少なからず関係していたと言えます。
池永チャールストーマスの自分勝手な犯行動機
池永チャールストーマスは、全て否定され続けた中で育った、という見解も見受けられます。自分にすら自信が持てない中、周りにいるのはおそらく「仮面の人間」だったでしょう。「意識変性状態」という、興奮した躁鬱でいうなら躁の状態と言えます。
あらゆる見解が見られますが、かなり勝手な犯行動機であることは確かです。他人も自分も信じられない中で、全くの身勝手な犯行だったことが言えるでしょう。
被害者は初めて自分を理解してくれた女性だった
自分すら否定している状態で、自分だけを見てくれる人がいたらどうでしょうか。おそらくですが目に入るのはその1人だった、池永チャールストーマスにとっては鈴木沙彩さんが理解してくれる唯一の存在に感じたかもしれません。
被害者に「理解者」を見出したなら、リベンジポルノも「今の状態を残しておきたい」と思い、離したくはないのではないでしょうか。母親から受けられなかった「愛情」「母性」を感じたのかもしれません。
別れを切り出されて心に穴が空いた
初めて感じた「愛情」がある時途切れたらどうでしょうか。心の中に穴が空いたようになるかもしれません。誰も理解してくれない、または生い立ちからも分かる通り本来の「母親」を知らなかったらどうでしょうか。
見捨てられた感が大きくなり、暴走してしまうかもしれません。そこにプラス「愛着障害」が加わったからこそ、他人をもののように感じてしまったのでしょう。それが許されるべきことではないという気持ちは生まれないのは当然です。
裏切られたという怒り
復讐のために起こしたストーカー行為や殺害は、今のままの彼女に依存していたことも言えます。唯一の理解者からの怒りは、どこかねじ曲がって「裏切り」に転じていくかもしれません。そしてねじ曲がった形のまま「怒り」を生み出すのではないでしょうか。
と言っても、鈴木沙彩さんに対して起こしたことは間違いです。1人の尊い命が犠牲になっているので、同情の余地はないでしょう。
池永チャールストーマスの裁判と判決
2013年10月に起訴されますが、殺人罪だけではありません。銃刀法違反、住居不法侵入など3つの犯罪が問われることになります。2014年7月22日、池永チャールストーマスの裁判が行われることになるのです。執り行われたのは裁判員裁判ですが、そこでも被害者以外にも交際していた女性がいたことに触れられます。
裁判中の池永チャールストーマスの様子
彼は、名前も簡単に告げ、住所などの質問にも早口で答えるなどいい加減な態度を終始見せていました。「苦痛を逃れるため」「気持ちが積もっていった」「後悔している」とは語るものの、遺族に対しては「苦しみを共感できない」と話しています。
加えて「謝罪の気持ちはまだ抱けない」と反省の意図はないことも明らかにしたのです。画像や動画の拡散はについては「半永久に残したかった、尊厳を傷つけたい」とも話しています。後悔と言いつつ、最後まで遺族への謝罪は一切ありませんでした。