【小林カウ】戦後初の女性死刑囚の生い立ちやホテル日本閣殺人事件の概要、名言も

闇に葬られていた夫の怪死の真実が暴かれようとしています。かつても近所の住民らからは彼女が怪しいと囁かれていた全貌がやっと線で繋がろうとしているのです。

彼女はどのようなことを語ったのでしょうか?自分の欲望のままだけに行動をし、人の命を軽さが見て取れるやり取りが明らかとなったのです。

前夫である小林秀之助を青酸カリで殺害

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若かりし頃の中村と一緒にいたい気持ちが強くなり、次第に夫の存在が疎ましくなったため共謀して仕留めたと供述します。脳出血だと診断されていた死因は、青酸カリの中毒死でした。

なぜ当時怪しまなかったのでしょう?それには国家公務員でもある警官の中村が傍に付き添っていたために怪しむことをしなかったといわれています。警官でもあった男がなぜ毒薬を入手できたのでしょうか?

青酸カリは浮気相手の警察官である中村又一郎から入手

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メッキ工場を経営している男が、だいぶ前に警察の制服を着た男性に渡したことがあったことが判明します。ですが徹底した証拠もなく数十年も前の出来事なので記憶が定かでないことが裁判では重視されます。

証拠が揃っていないとして無罪となりました。彼女は当初中村から貰ったといいますが何度も聞き直していくうち、貰ったが川へ捨てた、精力剤といわれたため飲ませたと変えています。

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自分だけの犯行ではないことをアピールし、死刑を逃れたかったのでしょうか?3人の命を奪った悪は重く逃れられませんでした。

死刑執行されるまでの小林カウ

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まさか自分が死をもって償わないといけなくなるとは思ってもいなかったようでした。女として振る舞い警官の気持ちを動かすことができると思っていたのでしょう。

世の男を操ってきた悪女は、日本の法だけは操作不可能でした。それまでの女であった彼女から何かが剥がれ落ちたかのように人が変わっていきます。どのようになっていったのでしょうか?

死刑判決前までは陽気な態度だった

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商売上手でどんどん社会を制覇していった彼女ですから人づきあいは得意です。特に男を操ることは容易いことでした。そうやって今まで家計を支え、生き抜いてきたのですから自然に振舞うことができます。

警察社会も自分が明るくふるまって女を武器に過ごしていけば、いつかは塀の外に出られると思っていたようです。これには貧しさ故の家庭環境が悲しくも影響しているのです。

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教育をきちんと受けてこなかったため、世間知らずな部分があり自分の態度次第で判決は変わると勘違いをしていたのです。実際に文字もあまり書くことが出来ず、カタカナしか執筆できなかったのです。

死刑判決後は化粧も愛想を振りまくのもやめた

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取り調べを受けるときでも、メイク用品と鏡を懇願し、常に着飾ることを忘れませんでした。死で償うと決まってからは、一変しもう必要ないからと言い、好きだったメイクも愛想を振りまくことをやめてしまったのです。

今まで乗り越えてきたビジネス手腕が法の中では効かなかったことを痛烈に感じたのでしょう。本当はこの姿こそが本来の彼女の姿であり、生きていくために必死に繕ってきた武装した姿を捨てただけではないかとも感じ取れます。

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こんなに静かで穏やかな時間を過ごしたことはなかったのではないでしょうか。常に事業を維持していくことを考えていた社長業をやめたことで、生きがいをなくし全てのやる気が失せてしまったのでしょう。

死刑囚教戒師との会話が唯一の癒しだった

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唯一の人と話せる機会であり癒しだったといわれます。刑の直前だけではありますが、刑に服す罪人の心に寄り添ってくれたことが嬉しかったのでしょう。

厳しい時代を生きていくためにずっと張っていた糸をやっと緩めることができた瞬間だったのではないでしょうか。命を奪ってしまったことは許されることでは決してありません。でも彼女は必死に生きていくため一人もがいていたのかもしれません。こうして右腕だった男と同じ日に執行されました。

小林カウが残した名言

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凶悪な騒動だけが歴史として残っているだけでなく、彼女が言った言葉も歴史として残っています。どのような場面で人に伝えたのかをご紹介していきます。

「死刑だけはかんにんしてね」

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塀の中へ送り込まれた後、取調べ操作の最中に出た口跡でした。派手な着物は自分の好みというよりも目立って華やかに見せ、注目される道具として身に纏っていたのでしょう。男のいるところでは前面に女を出すのです。

着物の裾をまくり上げ素足を見せながらいうのでした。こうすれば男は自分の思う通りと思っていたのでしょう。捕まってからも色女を出し続け媚びを売っていたのです。

「捕まったという事は事業に失敗したのと同じだと思います」

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決議が下りたときの言動でした。女を武器に色気を出し何とかして早く外に出たかった彼女でしたが、甲斐なく死の償いが決まります。奈落の底に落とされたようなことを伝えたかったのでしょうか。

今までの事業は成功し手広くすることが出来ました。ですが自分で何かを運営していくにはリスクも伴います。一気に稼ぐこともできますが倒産もあり得るのです。

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彼女はそのようなことを言いたかったのでしょう。法という日本の規則には勝つことがどうしても出来なかったのです。もう何をやってもどうすることもできない悔しさや無念さも感じられます。

「長い間お世話になりました。思い残す事も言い残す事もありません」

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死刑が開始される前に、話した言葉であり最期のメッセージでした。暴れることなく償ったとされます。すでに心の準備ができていたのでしょうか。

周りに感謝を述べ、何もないと言い切った彼女は短過ぎた人生でもありますが、潔さも感じられます。戦後の時代を必死で生き抜いた現れともいえるでしょう。女性が社会に出て働くことが珍しかった時代に、強く逞しくも生きた女性ではありましたが最期はあっけなく終わったのでした。

小林カウは美人なのか?なぜモテた?

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男を自由に取り操っていたことから、思わず振り返ってしまうほどの美人なんだろうかと想像してしまいますよね。実際の姿はどうだったのでしょうか?そしてなぜモテモテだったのでしょう?

真相に迫っていきましょう。

現代人からすると美人とは言えない

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取り調べを受け持った警察官が、美人だったと語っているように当時の男性からすると美人だったのでしょうか。現在の感性からみると決して美人とはいえない風貌です。

丸い顔にうっすらと笑みを浮かべる表情は薄気味悪さも覚えます。仕草や話し方、服装などのいで立ちが美人と映る要素に加わっていたのでしょうか。

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派手な着物を好んで着用ていたためパッと目立ち、顔色も良く見えたことが美人に映ったかもしれません。銀座の人気ホステスでも特別な美人でないパターンが多く、美人だからモテるではない魅力があるとされます。

気遣い上手や聞き上手、料理が上手など美人は3日で飽きるといわれるように内面で輝くものがあり、それに世の男性は引き付けられたのでしょう。

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彼女も商売の才覚は優れており、頭の回転が良かったため男性に何を言えば喜んでもらえるか、自分に興味を示してくれるかを知っていたのかもしれません。

セックスが上手だった?

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これだけ男をたぶらかしていたところや、何かあるたびに体の交渉もあったところ、いろんな男と経験を積んでいることから、おそらく虜となる魅力があったとされます。

彼女も肌を重ねている時間が癒しの時間であり労力にかえることができたのでしょう。

小林カウには子供がいた?子どもや子孫の現在は?

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一度結婚をしており、2回出産を経験しています。母でありながらも常に女でありましたが子供はどうしていたのでしょうか?そして子供の目にはどのようにお母さんが映っていたのでしょうか?

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