【深川通り魔殺人事件】川俣軍司の生い立ちや現在!リアル過ぎたドラマも

そんな彼でしたが、中学時代まではこの町で過ごします。高校への進学は、当時その地域で新設された波崎高校への進学率90%を持っていたにもかかわらず、進学は考えていなかったそうです。

父親からも進学を進められたそうですが、軍自身は父親が困っているのに自分だけ学校に通うわけにはいかないと判断したようです。というも、当時この波崎と呼ばれる地域は、半漁半農で生活する人がほとんどでした。

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しかし、軍司の父親は自分の土地を持っていなかったために農業を営むことができず、非常に生活に苦労する状態でした。シジミ専門の漁師であったために、漁師の仕事も時期が来ると行えない時期があります。

そのため、一時期は食べる物にも困り、軍司自信も母乳足りず栄養不足から重湯で育てられた過去を持っています。こういった過去を実際に自信も経験しているために、父親の大変さも理解しており、仕事の道を選んだようです。

集団就職で上京、すし屋で修行した

中学生当時彼は、成績も決していい方ではなかったと言います。5段階評価中2程度の成績ばかりでした。しかし、高校への進学の見込みは有るようだったので父親からのススメもあったようです。

しかし、先述したように父親の苦労を知っているからこそ仕事を始めようと決心します。田舎から東京への集団就職というもので、仕事につき、築地のすし屋で住み込みで修行する日々を送るようになります。

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当時、彼は見込みがあると周囲の評価を得ていたようで、就職から3年間は休み以外の日は一切休むことなく真面目に働いていたそうです。一時、映画館のガラスを割って連行されるなどの騒動もあったようですが、まじめな様子から周囲の先輩も見込みがあると語っていたようです。

すし屋など職を転々と変えた

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そんな真面目に働く彼でしたが、とあることをきっかけに人生が狂い始めます。大きな転機となったのが、彼の後輩がすし屋の板前見習いとして入ってきたことです。

彼は少年院仮退院中の身であり、板前見習いとして入ってきました。軍司にとっては後輩にあたります。しかし、その後輩からのいじめが始まったのです。その結果、折り合いが合わず軍司は4年近く務めた店を辞めることとなりました。

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辞めた彼はそれでもすし屋で働くことを続けようと、他の店で働き始めます。江戸川区小岩のすし屋で働いていたそうです。しかしこちらも3カ月ほどで解雇となります。この理由は、刺青を入れたことによるものでした。

彼が務めたこちらの店には刺青を入れた先輩がいて、その先輩の紹介で刺青を入れられるお店を教えてもらったようなのです。店で客に勧められた酒に酔ってしまい、勢い余って刺青をみせてしまったために解雇を言い渡されたそうです。

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その後も何度かすし屋で働き始めることもあったようですが、どうやら解雇に合い早い時であればわずか数日で解雇に合うといった状況で、東京で働くことをあきらめていきます。

当時、2件目のすし屋を辞めたあたりで、刺青を入れたこと以外にもどうやら色々な犯罪行為を犯していたことも関係していたようです。

川俣軍司と薬物の接点!深川通り魔殺人事件を起こすまで

堅実な人生を送ろうとしていた彼でしたが、後輩とのしがらみから一気に人生が変貌していきます。仕事を転々と辞めていった彼は、実家の波崎に戻るのですが、そこで彼の人生を惑わすものにあふれていました。そして、これらの一連が事件へとつながっていきます。

19歳で実家・波崎へ。ヤクザから薬物を買った

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すし屋で問題を起こし転々と職を変えてきた彼ですが、19歳のとき実家に戻ることを決意します。客商売に自信が向いていないことを悟り、実家に戻って働こうと決心したようです。地元の電気店に勤めながら自動車免許を取得し、その後運送会社で働き始めました。

しかし、そちらも長続きせず、仕事場をさらに転々とすることになり、1977年のには再び実家に戻ってシジミ漁を手伝うようになるのですが、この時から彼はどうやら銚子の歓楽街に良く足を運ぶようになります。

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そして、そこでやくざや暴力団の人と知り合ったようです。知り合いからの甘い誘惑に負けたのでしょうか、彼らから覚せい剤を入手し、薬物の常習犯と化していきます。

労働者を中心に覚醒剤が広く蔓延した

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軍司が覚せい剤に手を出すようになった背景には、当時の世情も大きく関係していたと言います。というのも、この当時労働者を中心にして覚せい剤が広く蔓延していたのです。昭和40年代半ばになると、暴力団や在日朝鮮人の資金源として覚醒剤が広まったと言います。

当時は、この覚醒剤が原因で通り魔殺人や 凶悪犯罪が度々起こるほどの社会問題にまで発展していたようでした。そんな中、彼もまた覚醒剤の虜になっていったようなのです。

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社会からの疎外感や生い立ちからの自己嫌悪などいろいろなことが重なり、覚醒剤へ依存するようになっていったのでしょう。

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