【長岡京殺人事件】ワラビ採り事件の真相と犯人の考察を徹底解説!

実は日本ではこの奇妙な事件に類似した不気味な未解決事件が数多く発生して、現在も未解決のままとなってるのです、そんな奇怪で不気味な未解決事件のいくつかを皆さんにご紹介していきます。いつ頃起きたのか?なぜ未解決となってしまったのか?などの詳細をまとめて記述していきます。是非気になりましたらご自身でも調べてみてください。

長岡京殺人事件類似の未解決事件①名古屋妊婦切り裂き殺人事件

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現在から31年前の昭和63年の名古屋で起きた猟奇的殺人事件。この同年に同じく名古屋でアベック事件が起きていて、この年は2度も名古屋で残虐で非人道的な事件が立て続けに起きているのです。そしてこの切り裂き事件の概要については、被害者となったのは1人の妊婦でした。そしてお腹にはもう間もなく生まれる赤ちゃんがいました。

犯人はまず妊婦の首を絞めて殺害して、メスのような刃物で妊婦の腹を切り裂き赤んぼを取り出すと、その腹部の中に某キャラクターのキーホルダーや受話器などを詰めたのです。犯行のすべてが到底理解できない行為で『謎』と言われています。そして具体的な犯人像も定まらず捜査が難航し、平成15年には時効を迎えてしまい未解決となってしまった猟奇的殺人事件なのです。

長岡京殺人事件類似の未解決事件②プチエンジェル事件

平成15年に起きた事件で、その可愛らしい名前は犯人が営む違法の未成年児童の売春店の店名に由来しています。犯人は東京都渋谷を中心に女子高生児童や未成年女児を、お金が簡単に稼げると謳い1000人以上の未成年の女児を雇っていました。あるとき犯人は所有していた高級自動車を売却して、高級マンションに住むようになるのです。

この時木炭やビニールテントを購入しています。彼は女児を4人誘拐した後それが事件となり、警察に別件で売春の容疑を掛けられるのですが、その翌日に用意した木炭とビニールテントを使い自殺をしたのです。しかし理論上どう考えても自殺は不可能で不可解な謎であり、また奇しくも自殺した犯人の身内も立て続けに事件前に自殺しているのです。

長岡京殺人事件類似の未解決事件③石井舞ちゃん行方不明事件

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平成3年に起きた不可解な行方不明事件で、まいちゃんという少女がその晩には自宅でほかの家族らと就寝していたはずなのに、朝起きてみると突如姿を消してしまい行方不明となってしまうというものなのです。まず不可解な点としてはこの晩に外出したのは、まいちゃんの父親の姪の恋人と祖母だけなのです。

この2人当然容疑が掛けられらのですが、どちらもアリバイが立証済みで犯人が捕まっていないのです。そして警察犬の捜索では玄関でパタリと立ち尽くしてしまう事から、玄関から先は車で運ばれた事が伺え、実際に自宅周辺には白い不審車の目撃があったのですが結局行方が掴めず、現在でも未解決事件となっているのです。

時効を迎えてしまったあの事件たち

日本には未解決なまま時効を迎えてしまった、悲しく許し難い事件が数多く存在しているのです。ここではそんな事件の一部を記述してまとめていきます。場所や日時、概要などを簡潔にまとめて解説していきます。みなさんも日本の犯罪の法律について考えてみてください。

2010年以降は法律が改正され殺人罪は時効無効となった

実は平成22年には時効に関する法律が見直されて、刑事事件の殺人事件などはどんなに時が経っても時効されず、永遠にその罪を罰せられるようになったのです。この事によって殺人を犯した犯人は一生罪を問われるので、一定期間やり過ごせばいいなどと簡単な考えを起こさせなくする事ができるようになったのです。

しかしながら平成21年以前に起きてしまった殺人事件はまだ改正される前なので、時効が認められてしまいます。こちらで紹介する時効となってしまった許し難い事件達も、ほとんどが昭和に起きた事件でまだ時効という概念が殺人罪であっても存在していた時代だったのです。皆さんも今一度時効というシステムについて考えてみてください。

水曜日の絞殺魔事件

現在から44年前の昭和50年から昭和64年及び平成元年にかけて発生した女性を狙った絞殺魔事件です。現場となったのは九州地方に位置する佐賀県内であり、犯行が全て水曜日に行われ、また被害者女性のほどんどが首を絞められて殺害されていることから同一犯と判断されています。この事件は全部で7件にも及ぶものでした。

うち4件はすべて時効となってしまい、更には3件の殺人容疑も裁判では無罪判決となってしまっていて全ての連続絞殺の犯行が罰すことが出来ず、未解決事件となってしまったのです。被害者遺族や国民からはこの判決や時効となってしまった事実に、悲痛の声を挙げていていて絶対に許す事はできないと声明を挙げています。

八戸市女子中学生刺殺事件

平成5年10月に青森県八戸市で起こった殺人事件。被害者となってしまったのは当時14歳であった女子中学生。彼女が死亡していたのは自宅で、自宅の玄関ドアのガラスが割られていて、彼女が心臓を含む複数箇所を刃物で刺されて一室に死亡していた。上着は学校の体操着を着ていたが、下半身は裸でクッション類が覆われていました。

しかし性的暴行が加えられた状態は見受けられませんでした。特徴的であるのが犯行は午後6時から6時20分の間に行われていて、極めて迅速に殺害されているのです。事件発覚後直ぐに10万人を超える捜索隊員を派遣したが、結局犯人に繋がる様な手掛かりはこれと言って得られず、そのまま進展がないまま平成20年に犯人の罪は浄化してしまうのです。

長岡京殺人事件の同年に起きた残虐な未解決事件

実は今回ご紹介している事件が起きた昭和54年には他にも卑劣さを極めセンセーショナルを集めた事件が日本国内で立て続けに起きていたのです。そしてその中には今回の事件同様に現在まで未解決となってしまっているものもあるのです。そんな昭和54年同年に起きた残虐な未解決事件の詳細や概要を皆さんにご紹介していきます。

貝塚ビニールハウス殺人事件

この事件は同年の昭和54年の1月に起きた事件で、概要は被害者女性がビニールハウスの中で強姦された後殺害され、死体を遺棄されてしまう残虐な事件です。被害者女性の夫は事件発覚後近くを通った少年の態度がおかしかった事から、少年を連れさり無断で半ば拷問のような形で、少年をを含む5名が首謀者であると自供させます。

しかしその5名とも、被害者女性に残された体液のDNAと一致せず4名は無罪となり、自供した少年も冤罪と判断され無罪判決が言い渡されているのです。彼が自供したのは被害者女性の夫の行き過ぎた暴力を振るう拷問行為によるもので、正確さに欠けていて体液などの物的証拠とも一致しなかったのです。そして犯人は逮捕されず現在も未解決事件となっています。

北関東連続幼女誘拐殺人事件

この事件は同年の昭和54年に始まった事件で、名前の通りですが犯行現場は関東の北部に位置する栃木県と群馬県です。まず最初に栃木県のある神社の境内で遊んでいた幼女が行方不明となり、数日後に北関東に流れる大きな川の近くでリュックに詰められた彼女の遺体が発見されるのです。そこから数年にわたり同様の事件が数回も発生してしまうのです。

同様の犯行から同一犯との見解が強いのですが。その同様の犯行とは死体を遺棄するのが河川敷の近くが多い。そしてパチンコ店が事件の現場となっている、極めつけはどの事件も金土日。と週末に犯行が偏っているです等の事です。また昭和54年に始まった誘拐殺人事件は全ての事件が犯人が逮捕されておらず、全て未解決事件となっています。

長岡京殺人事件は残忍な未解決事件

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今回の記事では長岡京殺人事件という不可解な点が多く謎に包まれた未解決事件について解説していきました。怪奇文の様な文章が記載されたレシート用紙や数十か所の拳や蹴りによる打撲痕がある残虐な状況の遺体、刺さったままの刃物など、現場に残された物は僅かな謎と不可解な証拠のみだったという事を分かっていただけたのではないでしょうか?

現在も犯人が逮捕されておらず目ぼしい犯人像すら明らかとなっていないのが現状なのです。私たち日本人や遺族や関係者の方々はどうかこの事件の真相が明かされる日が来る事を祈っております。そして今回の事件の犠牲者となってしまった主婦2名の水野恵子さんと明石英子さんにはご冥福をお祈り申し上げます。

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