現行の暦が持ち込まれる以前、各国は独自の暦で日々を数えていました。かつて中国では一年を二十四等分し、さらに五日ずつ、七十二という子細な節に分けて考えていました。
日本にもこの文化は伝来し、現代においてもまだ生活の中に息づいています。立春、土用、大寒…など、天気予報などで聞いた覚えがあるのではないでしょうか。
年を分けた考え方
一年は十二回月が訪れます。そこに二十四節気、七十二…と足し加えていくと、やはり「108」になるという流れです。だんだんと仏の教えや欲望という観点から離れてきてしまいましたが、こういう説もあるという程度に気に留めておいてください。
なお日本がかつて使用していたのは、風土や気候にあわせて調整した「本朝七十二候」です。
お坊さんが説明に使うことがある
二十四節気七十二候は仏教との関係はありませんが、暦は誰にとっても身近で分かりやすい題材であったため、お坊さんは一般向けに上記のように煩悩の数を解説することがあります。
できるだけたくさんの人に仏教を知ってもらいたい、という配慮からくるものでしょう。
インドでは108に違う意味があった!
仏教はもともと遠い異国、インドから海を渡ってやってきた宗教ですが、あまりにいろいろな地域に分布されてきたため、土地や時代ごとに独特の進化が遂げられてきました。
煩悩の数にしても、インドから伝わってきたもののはずなのに、かの国では「百と八つに数える欲望」とされてはいなかったというのです。一体どういうことなのでしょうか?
「たくさんの数」という意味の108
そもそもインドでは欲望の数を数えることをしませんでした。ただ「人の欲はとにかくたくさん、数えきれないほどある」とされてきたのです。
そういうざっくりした考え方を表を数字の「108」で表しただけであり、数え方というのは中国や日本の解釈違いということですね。なおインドの宗教に関する記事は他にもあるのでぜひどうぞ。
煩悩の数は「たくさんある」と言いたかった!
人の手に負えないぐらいとんでもない数、という表現は日本にも存在しています。
もっともよく聞くのが「八百万(やおよろず)の神」というフレーズですが、この八百万とは8,000,000のことでなく「ほぼ無限であるほど数多の」という意味です。まだ数に関する概念が世界共通でなかった時代に発案された独特な表現といえます。
「数学的」煩悩の数108
どんな解釈もできてしまい神秘的な「108」という値。仏教だけでなく、ヒンドゥー、イスラムなどインド起源の多くの宗教に共通すると言われています。
我々が漢字に意味を見出してきたように、インド人も昔から、数字にたくさんの思想や概念を込めてきました。ではここからは印度流・数字に見る神の世界を紐解いていきます。
1+8=9
108の数字を1と0と8に分解し、足します。そうすると和は9になりますね?
インドでは9は神たる数字とされています。10と8を足して18にしても、その和を分解すれば1足す8でやはり9になります。こうして分解し、基本の形にてしまえば必ず9に行きつくのだといいます。
「9」は万物を示す
どのような答えも最後は必ず「9」にたどり着くことから、あらゆるものの繋がる存在、万物に等しきもの、だから「9」は神なのです。
さすが0の概念を発見した国だけあって、実に不思議な考え方をしています。