【八甲田山雪中行軍遭難事件】歴史上稀に見る遭難事件の概要と原因

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知っていると言った男が先頭になり進んでいった先は全く違うポイントでした。テントを張ったところへ戻ることにしますが、それさえも自然は遮ります。

空腹と疲労と寒さの余り倒れて動かなくなる者が続々と出始め、そのまま二度と目を開けることはなかったのです。

八甲田山雪中行軍遭難事件は指揮官の最悪の一言で始まった

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疲労と絶望だった彼らに、さらに追い打ちをかけるかのような悪夢が襲います。上官らが話し合いをした結果が告げられます。

「この場所で、一行は解散」と信じられない言葉を耳にすることになるのです。軍を成して行動していたことを放棄したのです。

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今まで力で誇ってきた指揮官は、パニック状態に陥ってしまい自分では成す術がなくなってしまったのでしょう。力だけでは自然のパワーに敵うことは不可能と実感したのでした。

自分たちの勘と力だけで青森か田代へ行くよう命じられますが、ただでさえも不安な状況の元での一言はグサリと刃物で刺されたような衝撃が走ったことでしょう。

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張りつめた神経が切れてしまったのでしょうか?異常行動を示す兵たちが続出します。もう自分には死しかないと悟った人間の最期は、荒れ果ててしまい理性が失われてしまうものなのでしょうか?

衣服を着ていても寒い環境で裸になってしまって息絶えたり、いかだを作れば川を下れると叫びながら木々に向かって銃や剣をむける者、川を泳げば帰れると言い残し飛び込み絶命した姿がありました。

想像を絶する地獄絵図になっていたのです。今まで群を成して行動を虐げられていたものが、見放され支えとなるものをなくしてしまった身は、もはや抜け殻のようなものであり制御不能だったのでしょう。

4日目しっかりした統率もない無茶苦茶な帰営開始

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バラバラとなり途方に暮れるも、生きて帰りたい一心でした。動くことができた十数人と連なって行動を共にします。このときの指揮をとっていたのは、神成と倉石大尉でした。

空腹と極寒のために足取りはおぼつかず、隊はバラバラに乱れます。食料や水筒に入っていた水は凍ってしまい、飲まず食わずの状態が続きます。とにかく歩いて下山をしなければ命は尽きてしまいます。

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途中で息絶えた兵には、遺言を聞いたといいます。ときに、亡骸に火をつけては暖を取ったようです。ただ凍傷で感覚のなくなってしまっている手足に火をかざすのは危険行為であり、明らかにやけどを負っていても気づかず温め続けたようです。

さらに凍傷が酷くなってしまい、息絶える兵が増えたと言います。上下関係の厳しい群ではありましたが、この時ばかりは帰属も段階も誰一人何も言いませんでした。

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忠告する力さえも残っていなかったのでしょう。先見えるほうへと進んでいくのみだったのです。一方で、平野では予定の日数を過ぎても帰ってこないために、多くの隊員らが心配していました。

救助に向かおうと動きがありましたが、天候の悪化のために探しに行くことすらできなかったのです。この日の寒さも大変厳しいものであったとされ、-14度だったと記録が残っています。多くの犠牲者が出た日でもありました。

八甲田山雪中行軍遭難事件はバラバラな行動の末、生還者11名

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大尉を先頭に倉石隊と神成隊とに分かれることになります。倉石隊の進んだ方面では崖があり、運悪く落ちてしまうのです。

仕方なく朝まで待つこととなるのですが、一人の若い見習い官が裸になり川へ入ってしまいます。以前にもあった死の前の異常行動なのでしょうか。そのまま帰らぬ人となりました。

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幻覚を見たものもいたようです。猛吹雪で前方はうっすらしか見えない中を進んでいると、前には手を振っている救助隊がいると思い、小走りになりますが近づいてみると、ただの大木だったのです。

その時のガッカリした気持ちは、どんなに気を落としたことでしょうか?想像を絶する光景には胸が痛みます。

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一方、神成隊のスタート時は順調に進んでおりました。ですが山の天候は変わりやすく、突如猛吹雪が襲います。食べず寝ずの彼らは耐えきる力が残っていませんでした。

次々と倒れ死に絶えていったのです。ついには指揮官であった神成も命尽きてしまいました。雪の中に全身がすっぽりと入りこんでしまったのです。

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必死に助けだそうと試みましたが、人ひとり持ち上げるほどの力は皆が持ち合わせていませんでした。気付薬の入った注射を打とうとするのですが、腕はカチカチに凍ってしまっており針は刺さりません。

口の中を刺しますが、効果がなかったのでした。遺言としてリーダーを任された後藤は、意識がもうろうとする中、上官の指示を全うするため進んでいこうとします。

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意識を失いながらも立っていたところを幸運なことに捜索隊に発見されたのです。第一発見者でした。無事に帰還することができたことは喜ばしいことでありますが、199人の犠牲者が出ました。

彼が助けられた場所の数メートル後ろには、半口を開け絶命した神成の亡骸があったようです。その後に多くの冷たく氷になっている遺体が見つかります。重なりあうようにして息絶えた姿もあったようです。

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後藤は発見されてから約11分後に意識が戻ったようです。救助隊員に何が食べたいか聞かれた際にはタバコが欲しいと告げたそうです。

八甲田山雪中行軍遭難事件は上官の判断ミス?事故の原因は数多くあった

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誰もが予想もしていなかった出来事でありました。2日もあれば帰ってこれると計画をしていた訓練は壮絶な雪山を自覚したと共に、多くの仲間を奪っていきました。なぜ大惨事になってしまったのでしょうか?

訓練と名だけで戦争よりも残酷な日々だったことがうかがえます。今回の騒動について振り返ってみましょう。

八甲田山雪中行軍遭難事件は上官の認識ミス、判断の甘さが招いた人災

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指示をするリーダー神成は全く山について無知だったのです。最終責任者に山口が就任しますが、お互いが自然の環境を甘くみており、気力と体力があれば乗り切れると思っていたようです。

彼はエリートが通う士官学校卒業ではなく、軍が設置した教導団で知識を養いました。休むことなく通えば昇給していくため真面目さはありましたが、現場の経験を積んではおらず知識は乏しかったようです。

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それが故に多くの犠牲者を出した一因にもなっていることでしょう。自然はいつ何時大きく変動するか未知なものです。それが実際に仇となった人災ともいえるでしょう。

八甲田山雪中行軍遭難事件原因①気象条件の急激な悪化

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案内人であった地元民が中止を懇願したことが物語っていることでしょう。自然の機嫌がいつ悪くなるか未知なものです。特に雪山は荒れてしまうと手が付けられません。今回のように待っているものは死です。

特に地元の人は毎日山の状況を身近で見ているため勘が働きます。軍人だからという誇りが邪魔をし、第三者の意見を受け入れることができなかったことが被害を大きくさせたことでしょう。

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どんなことが起こるかわからない山は、素人が判断するのは大変危険なことがわかります。

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