【八甲田山雪中行軍遭難事件】歴史上稀に見る遭難事件の概要と原因

ハンカチやガーゼの上に雪をのせて不純物を取り除きながら水分摂取すると、クリーンな水を飲むことができます。

その②安全な場所に避難する

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雪崩れの恐れがなさそうな開けた場所に移動します。風が強いことが多いので明るいうちにテントを持参している場合は、設置します。持ち合わせていない場合は雪でできた洞窟があれば中に入って寒さをしのぎます。

湿気が多いので衣類などが濡れないように注意しましょう。また積雪のせいで入り口が塞がってしまわないように時々、雪をどけることを忘れずに行ってください。

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ドラマや映画で、遭難したシーンによくあるのが寝てしまうとそのまま天国にいってしまうというやり取りを見かけます。実際は命の危険を察知したときは目が一旦覚めるようです。

ですから体力を回復させるためにも休息が必要です。横になるだけでも疲労は取り除けます。

その③リーダーを中心に帰宅方法・対処法を全員で確認する

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グループで遭遇した場合は、決して独断の判断を押し付けないことです。どうしたら帰れるか、今は何をしたらよいかを皆で話し合います。困ったときの団結力は素晴らしく発揮されます。

もし携帯の電波が繋がる地区だった場合は、警察と消防に現在の状況を適切に伝えて、指示が出されるので従うようにします。仲間で必ず下山ができることを信じあうことも大事なことです。

八甲田山雪中行軍遭難事件に学ぶ②リーダーとして必要な心得

生死を分けた演習から学べる、リーダーシップに必要なノウハウとはどんなことでしょうか?ビジネスにおいても活用ができる人間関係は必見です。3つのポイントがありますので、みていきましょう。

その①謙虚な心を持ち、相手の意見を尊重する

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人間は一人では生きてはいけません。これは仕事をしていく上でも同じといえます。たくさんの人が強調し合っています。弘前隊の指揮官は、人の所見を素直に聞き入れ適合する姿勢を見せていました。

偉い身分であったにもかかわらず、故意に威張らず案内人の言葉を聞いて指示に従ったことも安全に演習ができた一因だといえます。

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一方では、軍の訓練だからと断固とした態度を保ち周りの意見を受け入れず自己判断だけで回していき、結局は破滅となっています。

トップに君臨する立場であるからこそ、いろんな人の声を聞いて受け入れられる寛容さと、部下が動いてくれるからこそビジネスが成り立ちます。謙虚な心を持つことも重要なことではないでしょうか。

その②事前準備をしっかりと行う

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青森隊は、情報収集などを怠って自らの能力を信じ突き進んでしまいました。仕事においても消費者が今は何を求めているか、市場はどういった動きをしているのかなどの前もった調査をしたうえで、商品開発などを行います。

これをせず自分の考えだけで動いたらどうでしょうか?たまたまヒットする可能性もゼロとは言い切れませんが、運と言えます。芸能界でも一発屋と言われてしまうように長くは続きません。

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運任せで動いてしまっては、リーダーシップおろか周りの人々を惑わすきっかけにもなってしまいます。影響力も大きい存在ですから、きちんと論理をまとめて実行に移す必要があるのです。

その③1組織1リーダーの原則を守る

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急に悪天候の中、解散を言い放った指揮官のような行動をしてしまうと、バラバラになってしまいます。まとめ役は必ず必要であり不在の状態では、お互いの意見の言い合いになるだけです。

うまくまとめて支持を出していくのがリーダーの役目です。一致団結をして一つの稼業を成し遂げるには心を一つにする必要があるのです。

八甲田山雪中行軍遭難事件後の後藤房之助について

銅像が建てられている彼ですが、どのような余生を送ったでしょうか?強い生命力を持ち、意識が薄れ仮死状態ながらも第一発見者になってくれたことで、助かる命もありました。彼の過ごした余生に迫ります。

両手両足を切断

凍傷が酷く、多くの自由を奪われることになりました。当時22歳でした。あまりにも過酷な運命ではありますが無念で亡くなっていった盟友たちの分まで必死で生き抜こうと奮起したことでしょう。

結婚し子供に恵まれる

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八甲田山の生存者としてのヒーローとなり、お嫁さんになりたい女性が相次いだといわれています。良縁があり男の子に恵まれています。

村議員を2回勤めており、正義感の強い職を全うしています。お酒が好きだったようで毎日近所の人たちを囲んで呑むのが楽しみだったのでした。

44歳で亡くなる

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お酒好きが原因だったのか定かではありませんが、友人と飲み交わしている最中に倒れ44年の短い生涯でした。死因は脳溢血だったようです。

短い人生ではありましたが好きなお酒を呑みながら命尽きたことは、本人にとって悔いのない人生だったのではないでしょうか。

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位牌の一部を資料館の敷地内に設立されている墓地に埋められているそうです。天国で盟友たちとお酒を呑み交わして懐かしい話に花がさいているでしょうか?

若くして凄まじい経験をした彼ですが、晩年は好きなお酒と気の合った友人に恵まれたのでした。

八甲田山雪中行軍遭難事件の一つの謎

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無事に平野へ戻ってこられた一人で、山口少佐がおりました。酷い凍傷を負っていて手当てを受けるため治療室に入っていましたが、甲斐なく命を落としています。

今でもこの死について謎が残っているのです。一体どんなことでしょうか?

さまざまな死因がある

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治療報告書が残されているのですが、突如呼吸が困難となり心臓麻痺に陥り死に至ったとあります。もし事実であれば遺族にも同じ内容を告げられたことでしょう。

軍の上層部からは、大きな騒動となってしまったことによる責任を取れと話があり、自害したと聞かされたのです。伝えられた内容に大きな違いがあるのです。

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報告書には、凍傷で指が曲がっていて水膨れも酷いと記載があったため、銃の引き金が果たして自分で引けただろうかと疑問が残るのです。

他殺説

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現在も残されている事件の一連記録書では、死亡と認定された次の日には火葬し処理されています。あまりにも早い順序のため、自決とみせかけた他殺説が浮上していたのです。

証拠もなく、亡骸もすでに灰となっているために真相はわかりません。ですが山から救助されて翌日の死だったため、軍から暗殺命令が下されるには時間が早すぎるという見解が強く、他殺説は難しいのではないかと言われています。

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さまざまな推理が流れていますが、事実は闇の中へ葬られることになってしまい謎のまま時は流れていきました。

八甲田山雪中行軍遭難事件を忘れないために

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多くの作品として蘇っており残されています。俳優たちの迫真の演技で壮絶さは伝わってきます。映像で観ることで、より鮮明に映り記憶に残ることでしょう。

リアルな歴史をより知ることができる資料館があります。そこでは当時の写真や慰霊碑があります。忘れてはいけない出来事を確実に残していくために、運営しています。

ボランティアの人も協力

知られざる事実を語ってくれる人がいます。昔に起こった事実を多くの人に知ってもらおうと、ボランティア活動として歴史を残しています。

作品や本で知識を得ることよりも、より臨場感があり自由を奪われてしまった戦争の恐ろしさを知ることができます。現世の平和が当たり前でないこと、生きる意味深長さを思い知らされます。

お墓や遺体安置所も保管されている

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当時、たくさんの遺体を安置した場所が残されています。現在は更地になっていますが当時はそこに小屋のような建物の中に安置されたようです。お墓と慰霊碑があり追悼されています。

お墓は階級によって大きさや高さが異なっており、軍の組織の厳しさが垣間見れる風景でもあります。もっと生きたかったであろう無念さがひしひしと伝わってきます。

八甲田山雪中孤行軍遭難事件は後世に語り継ぐべき教訓

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現在も世界のどこかで戦争が起こっています。そして尊い命が亡くなっています。日本も昔はそうでした。訓練をするため国のために必死に立ち向かった若きヒーローたちが存在しており、命を落としています。

勇敢な彼らに敬意を称すると共に決して忘れてはならないもので、今後も語り継いでいき二度と同じような不幸せな出来事を起こしてはなりません。

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教訓を胸に、現世の平和であることは当たり前ではなく感謝をしながら生きていかねばならないでしょう。

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