ひかりごけ事件とは?初めて裁かれた食人事件の内容や判決は?映画化も

そんな中でこの事件だけが取り上げられ、裁かれた理由は何なのでしょうか。ここではそれについてご紹介します。

船長は民間人だった

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軍の物資を輸送していましたが彼は一般市民であり、取り残された地域は戦場ではありませんでした。よって黙認されていた軍人による人食いとは違い、処罰の対象になってしまったというところが大きいです。

また、中途半端に軍が関係してしまっているため、軍の体面のためにも事件をもみ消すことはできませんでした。隠せばばれた時に軍の立場に傷がついてしまうのです。ですから、ちゃんと事件を解決する必要がありました。

戦場からは遠い地で起こった出来事だった

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この一件が起こっていたとき日本はかなり不利な戦争をしていました。戦況が悪化していく中、通常の裁判など行う余裕はあまりなかったはずです。しかし、この一件が起こったのは日本最北の都道府県でした。

戦火はまだ遠く、まだどこか他人事のような気分でいられる地だったのでしょう。戦時中のどさくさに埋もれずにしっかり裁判をされた理由はやはり起こった場所も一因になっているでしょう。

世間の目をそらすため?船長はスケープゴート?

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あとになってですがこの事件は日本でも有名になってしまいます。敗戦後、さまざまな軍の悪しきイメージが国民にも定着しましたが、戦時中の食人などから目をそらさせるためにこの一件をちゃんと裁判にかけた可能性もあります。

自分たちと近しい庶民の立場の人が行った恐ろしい行為により、注目や同情や批判を誘い、その事件に集中させることで軍のやったことを少しでも薄めようとした可能性もあります。

日本人特有の倫理感

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戦時中、アメリカの軍人から見た日本人の特殊な部分として、死者への敬意の払い方があげられていました。日本は戦時中、人を捨て駒のように扱っていたことは有名なことです。

神風特攻や物資の乏しい中で無理な戦いをし、兵は戦争で死ぬよりも餓えて死ぬ者の方が多く出たことなどのエピソードをみてもそれは明らかです。しかし不思議なことに、死者をとても大切にしていたのです。

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味方の遺体が敵兵に辱められることがないよう、犠牲者を出してでも遺体を回収したり、戦時中でもちゃんと埋葬をしていました。生きているものはないがしろにするにもかかわらずです。それは異様な光景でした。

今回の事件にも、日本人のこの感性が大きく働いている可能性が大きいです。生きるために死者を犠牲にすることを許さない精神は、ともすれば船長の生を否定すると言うことですが、そういった意見が多いからこそ彼は裁判にかけられました。

ひかりごけ事件の船長の心境とは?食人の感想など

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その立場からすると理不尽ともとれるような判決を受けた彼ですが、その内側にはどのような感情が渦巻いていたのでしょうか。ここでは彼の内面を掘り下げていきます。

人肉を食べた船長!“経験したことのないほど美味しかった”と感想も

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彼は肉を食べた感想を聞かれた際にこのように答えたとされています。罪悪感を感じているにしては不謹慎とも、死者への気遣いともとれる発言ですが、本心なのでしょうか。一般的には人肉は臭みが強く筋張っているため美味しいと言えるようなものでは無いとされています。

しかし彼が肉を食べた際は、他の食べ物はほとんどなく、常に飢餓と戦っていたような状況でした。空腹は最高のスパイスという事なのかもしれません。状況の特殊さから、脳がつらい気持ちをごまかすためにそう感じさせたとも考えられます。

しかしなぜ食人をしてしまったのか自分でも理解できなくなった船長

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この一件の後彼は様々なインタビューに誠実に答え続けました。その中で、彼はなぜ自分が仲間であった人を食べてしまったのかわからなくなったと言っています。これはすなわちなぜそうしてまで生きようとしたのかいう発言です。

彼は晩年世間からのバッシングや自身の内側から湧き出る罪悪感からかなり神経を摩耗させていたようです。生きるためであっても、やってはいけないことだったのだと彼は考えるようになりました。

罪の重さを感じた船長!1年の実刑判決では足りないと言い続けていた

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遺体を食べると言うことは、その生前の人の尊厳を著しく欠くものであるという意識が彼には大きくのしかかっていました。もっと重い罰を受けなければこの罪は贖えないと、彼は裁判の中でも語っていました。

その意見は生涯変わることはなく、晩年受けたインタビューでもその深い苦悩と後悔をこぼしていました。死刑になってもいいくらいだと話したこともありました。自責の念は深く深く彼の内面に突き刺さっていたのです。

ひかりごけ事件は本当に罪に問われるべきだったのか

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彼が遺体の肉を食べなければ、生き延びることができたかわかりません。ひとひとりの命は、もうそこに命がない遺体の尊厳よりも軽いのでしょうか。はたして彼の行った行為は罪なのでしょうか。

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