【附属池田小事件】8人惨殺の宅間守と遺族、逃げた教師の現在とは?

附属池田小事件とは、大阪教育大附属池田小を襲った殺傷事件です。8人の児童が死亡、教師も含め多数の負傷者が出ました。犯人・宅間守の遺族を煽った発言、児童を置いて逃げたと批判された教師など、附属池田小事件の情報について徹底的にまとめてみました。

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附属池田小事件とは?

皆さんは世界的にセンセーショナルを集めたこの悲痛な事件をご存知でしょうか?現在から18年前の平成13年の時期的にはちょうど今頃、6月上旬に関西に位置する大阪府のとある小学校内で発生した無差別殺傷事件なのです。当然各マスメディアが大きく取り上げられ、色々な事が話題となり問題視されました。

人格が異常で精神を疑うあまりに鬼畜な犯人、世界的にセンセーショナルを集めた事件の概要、当事者である学校側の教師たちの対応などをこの後詳しく解説していきます。色々な事を考えさせられる事件ですのでこの機会にぜひ知っておいてください。

附属池田小事件の概要を時系列にまとめ!

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その当時世界的に開催されていたワールドカップ内でも、命が奪われた少年少女たちに向けて冥福を祈る様なメッセージが世界の国々のTV放送で映しだされました。この事であの治安が良い国『日本』で悲痛で残虐性の高いセンセーショナルな事件が起きている。と世界中の人々が知ることとなりました。

治安が良い国日本で起きた非常に残虐性が高くセンセーショナルを集めたこの事件。あまりご存知の無い方も知っている方にも改めて詳細な概要を知っていただくためにも、学校内のどこで発生したのか、どういった状況だったのか、各当事者の動きなどを時系列ごとに沿ってまとめて解説していきます。

附属池田小事件の概要①午前10時過ぎに侵入

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まずは気になる日時ですが、悲痛な殺傷事件が発生してしまった日にちは平成13年のちょうど今頃だったのです。時刻はAM10時過ぎを指していました。この時刻に殺人鬼はこの時刻に学校内に忍び寄りました。そして彼は見つからない様に『大きな刃物』を隠して、校舎内を徘徊していたのです。

この時の殺人鬼の格好はキンキンの髪色に、ホワイトな上着にグリーンのネクタイをしていて奇抜で柄が悪かったそうです。発生時刻の時間帯は恐らくは2限目から3限目の間だと考えられます。悲しいことにその日の初めに受けた1限目の授業が、命が奪われてしまった少年女子からすると『最後の授業』となってしまったのです。

附属池田小事件の概要②2年東組に侵入

AM10時過ぎに学校内に忍び寄った殺人鬼は、そのまま校舎の一番東に位置する2学年のクラスルームに入室したのです。(実はこの学校ではクラスをABC、123の様にアルファベットや数字で表記するのではなく東西南北に分けて表記していたのです)

そのクラスの少年少女たちはまだ純粋な子供であったため、おもむろにクラスルームに入室した殺人鬼を見ても、直ぐに変質者、不審者であると気付かなかったのです。しかし大きな刃物を持ち、既に興奮状態であったので数秒後に危険を感じて、担任が『逃げろ!』と叫ぶと一斉に少年少女たちは、悲痛な悲鳴を上げて教室を飛び出しました。

そして悲劇が

担任の指示に従うというより、一斉に身の危険を感じて一目散に教室を飛び出した少年少女たち、慌てていたためか大勢が一斉に飛び出したためなのか、転んだりつまづいてしまう子たちもいました。その子たちを殺人鬼はターゲットにして所持していた大きな刃物で容赦なく傷つけたのです。

附属池田小事件の概要③隣の2年西組へ移動

こうして7,8歳の少年女子たち数人が殺人鬼の魔の手により傷つけられてしまったのですが、次に殺人鬼は校舎内の西に位置するクラスルームへと足を運び、興奮状態が収まらないまま入室しました。当然そのクラスルームにいたすべての人間が殺人鬼の事を見ると、不審者のレベルではなく、『犯罪者』『殺人犯』と察して一同パニックになったのです。

附属池田小事件の概要④通報のために飛び出した教師

パニック状態となった校舎の西に位置するクラスルーム、そしてその室内にいた全ての人間。一番年齢が上で責任者と言える担任の女性は、少年少女たちに急いで飛び出すように一言伝えると、担任自身も恐怖でパニックと化したクラスルームを子供たちを残してさっそうと飛び出したのです。この時警察に連絡しなくてはいけない。と考えての行動だったと後に供述しています。

結果的に取り残されてしまった少年少女たちは目の前にいる殺人犯や状況に恐怖に怯え、逃げようにも足がすくんでしまった子もいたことでしょう。そしてこのクラスメートにいた数名の少年少女たちが殺人犯の手により傷つけられてしまったのです。その中には大怪我を負った者、命を奪われてしまった者もいるのです。

附属池田小事件の概要⑤2年南組に移動

殺人鬼は西に位置するクラスルームでも数名の少年少女たちを傷つけると、更に校舎の南に位置するクラスルームに駆け寄りに、狂気に満ちた殺意と共に入室しました。この時不遇にも授業が終わっていて担任が不在だったのです。(一連の悲劇を隣のクラスルームの人間が気づいていたかったという事は悲鳴や叫び声が聞こえなかったのでしょうか?)

少年少女たちだけがいたクラスルームで殺人鬼は、収まらぬ狂気と殺意を持って大きな刃物を振り回して、幼く純粋な少年少女たちを数名殺害したのです。その悲痛な光景を目の当たりにした子供たちと殺人鬼の魔の手が及んだ子供たちの悲鳴が学校中に響き渡り、何も知らずに外で花に水やりをしていた担任にも聞こえたのです。

確保しようとした先生も負傷

外で花に水やりをしていた担任も慌てて校舎の南に位置するクラスルームに戻りましたが、その時2人先生が殺人鬼の犯行を止めるべく抑えつけようとしていました。しかし興奮状態が収まらず狂気と殺意に満ちた殺人鬼は抵抗して、必死に犯行を止めようとした1人の先生を大きな刃物で刺したのです。この先生も大怪我を負ってしまいました。

附属池田小事件の概要⑥1年南組に移動

2人の先生が犯行を止めようと殺人鬼に立ち向かいましたが、激しく抵抗したので返り討ちに遭ってしまい1人は大怪我を負い、殺人鬼の犯行を止める事ができませんでした。そして次のターゲットを狙う様に1学年の南に位置するクラスルームに移動したのです。この時既に多くの人間が殺人鬼の手によって傷つけられています。

附属池田小事件の概要⑦ようやく教師が取り押さえる

2学年の校舎の南に位置するクラスルームの担任、即ち授業が終わった後、状況を知らずに外で花に水やりをしていた担任は、決死の覚悟で暴れ回る殺人鬼の犯行を止めようと必死に取り押さえようとします。この時激しく抵抗した殺人鬼は、お構いなしに担任の身体のあちこちを所持していた大きな刃物で傷つけました。

傷つけられ怪我を負いながらも、強烈な痛みを感じながらも、懸命に殺人鬼に立ち向かっていました。そこに学校の副校長先生が駆けつけ、一緒になって殺人鬼の犯行を止めようとして、2人の成人男性である先生によって、やっと殺人鬼の犯行を止める事ができたのです。悲痛な惨劇が繰り広げられてから10分弱の事でした。

附属池田小事件の犯人は?

ここまで事件の全貌となる概要を当時の時系列ごとにまとめて解説していきました。幼い小学低学年の少年少女たちを狙った悲痛で残虐性の高い無差別殺傷事件であった事を理解していただけたはずです。世界中でセンセーショナルを集めるも頷けるのではないでしょうか?亡くなってしまった被害者たちにご冥福をお祈り申し上げます。

果たしてこれほどまで残虐で悍ましい殺戮をした殺人鬼はどんな人物なのでしょうか?次に今回の世界的にセンセーショナルを集めた悲劇とも呼べる無差別殺傷事件の犯人の人物像や生い立ち、経歴、家庭状況などをまとめて解説していきます。多くの子供たちに向けた殺意のきっかけや動機についてもお話ししていきます。

附属池田小事件の犯人情報①本名「宅間守」

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まず今回のセンセーショナルを集めた悲痛で残虐性の高い無差別殺傷事件を引き起こした犯人、殺人鬼の実名は『たくままもる』と言います。(漢字については上記の通りです。)彼は当時30代後半でいい大人だったのです。見た目は身長が180センチメートル以上ありかなり大柄な男でした。後述でも詳しく解説しますが実は多くの前科を持っていたのです。

附属池田小事件の犯人情報②異常性を見せる生い立ち

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事件の現場となってしまったのは大阪府ですが、殺人鬼の彼が生まれたのはお隣の兵庫県でした。彼をお腹に宿した母親は無責任に『アカン降ろしたい』と発言して出産に前向きではなく、彼を愛していなかったことが伺えます。生まれた後まだ小さい頃から多くの問題行動起こしていたのです。どれも『奇行』と呼べる『異常』な行為で精神状態を疑ってしまいます。

その異常な行為の一部をご紹介していきます。まず彼がまだ僅か3歳の頃には、車の通りが激しい大きな道路のド真ん中で『さんりんしゃ』で走行したのです。更には何の罪のない生き物たちに暴行を加えるなどの虐待も行っていました。そして小学生になると他の生徒から虐めを受けていましたが、彼自身も弱い立場の人間を虐めていたそうです。

中学生時代には

彼は優秀な中学校に進学したいと考えていたのですが、成績が伴わず家庭からも反対されていて、この時賢い人間に生まれなかった事を僻み母親を恨んだそうです。中学生時代でも彼が続けていた弱い者いじめは続き、また家庭内でも反抗期となり親に対して暴力を振るったり荒れていたそうです。

高校生時代には

高校生になると教師に手を出してしまい学校を辞めさせられてしまうのです。その後は憧れていていた自衛隊に配属するのですが、そこでも家庭を飛び出した少女を自身が生活した寮の一室に連れ込み、強制性交をして自衛隊も辞めさせられます。

附属池田小事件の犯人情報③精神疾患に塗りつぶされる犯罪経歴

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社会人になっても職を転々とするのですが、何度も犯罪を繰り返しているのです。物件や住居人の家賃の支払いなどを管理する職に就いていた時には、担当していた物件の一室に住む女性宅に押し入り、性的暴行を加えて逮捕されました。この時自身の要求により精神鑑定が行われ、これまでの犯罪歴や奇行を考慮して精神疾患と断定されました。

精神疾患があると断定されると、責任を問われなくなり刑事処罰が下されなくなるのです。その事をいいことにこの後も暴行事件、強姦事件などの犯罪を繰り返しますが、いずれも断定された精神疾患により刑罰を受けずに何度もやり過ごします。

主な犯罪歴

  • 車のライトが明るいという勝手な理由で、他人の車を破壊
  • 木材で兄の車を破壊
  • 高速道路を『逆走』
  • 飲み物の中に『薬』を混入
  • 度重なる強制性交
  • 結婚相手に対して殴る蹴るの暴行

附属池田小事件の犯人情報④複数回の結婚歴

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犯罪を繰り返していましたが、センセーショナルを集めた悲痛な事件を引き起こす約10年前に最初の結婚をします。相手は20歳近く年上のナースでした。彼は自身が立派な医師であると嘘をついて半ば強制的に結婚したのです。嘘はすぐにばれて離婚が成立しましたが、その直後に1人目の結婚相手と同年代の女性と再婚したのです。

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