【附属池田小事件】8人惨殺の宅間守と遺族、逃げた教師の現在とは?

死刑が決行された時刻はAM8時で、直前にタバコとジュースを口にしたそうです。後述でもお話ししますが死刑判決が言い渡された後に実はある女性と5度目の結婚をしていて、彼は死刑される間際に刑務官に『妻にありがとうと伝えて』と話していたのです。しかし被害者や遺族たちに対しては結局最後まで、謝罪や反省の意は見せなかったのです。

附属池田小事件で生き残った子供と保護者の今

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鬼畜で卑劣な殺人鬼の現在は既に死刑が執行され亡くなっていること、そして決行される直前の彼の最期の言動について解説していきました。次に殺人鬼の手によって大怪我を負わされたものの、命は助かった少年女子たち、そして大切な子供の命が奪われてしまった『今』のことについてお話ししていきます。

附属池田小事件で生き残り、大人になった子供の今とは

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殺人鬼の手によって大きな刃物で刺され、大怪我を負いましたが何とか生き延びた女性がいます。彼女の家族は事件直後も心に大きな傷が残らぬように、なるべくニュースや事件の事から遠ざけて配慮していたそうですが、彼女が中学生の時にはクラスメイトが喧嘩をしているの見て『過呼吸』になってしまったのです。

更には高校時代に近くで人が倒れたのを目撃したのですが、恐怖で足がすくんでしまい動くことが出来なかったそうです。これらは恐らく悲痛な事件のトラウマや記憶が影響している『心の怪我』によるものでしょう。彼女はその後、心のケアしてくれた看護師やカウンセラーの様に、人の事を支えるような仕事を目指して現在は『子供教室の先生』に就職しています。

附属池田小事件を経て前を向く保護者

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この悲痛な事件によって命を奪われた少女の保護者の1人は、当時大きな悲しみに包まれて苦しんでいました。この時に友人や同じ被害者の遺族、先生などに心を支えてもらった経験から、強く生きなくてはいけない。自分も悲しみを抱える人たちの心を支えたいと考え、事件から一年後の平成14年に言葉で心のカウンセリングをする知識を学んだのです。

そして『精神対話士』という資格を取得して、更にその知識や経験を深めてその道のエキスパートにな成長していきました。。現在でも震災に見舞われ家族の命を失った被災者や事故、事件の被害者など大きな悲しみを抱える人たちの心を支えるという偉大な活動をしています。またその他の支援活動団体や自治体のトップやリーダーを務めるなど、心に大きな闇を抱える人たちの為に日々奮闘しているのです。

附属池田小事件はなぜ起きた?

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何故幼い少年少女たちが無差別に傷つけられる残虐性の高い事件が起きてしまったのでしょうか?当然殺人鬼である犯人の動機が大きく関係しています。ではこれまでにも数々の奇行、問題行動、犯罪を繰り返してきた殺人鬼の動機やきっかけは何だったのでしょうか?こちらでは彼の動機について考察していきます。

どんな動機であれ彼が行った卑劣で残虐な犯行の数々の理由として、到底納得できるものではありません。罪のない人間を傷つけた殺人鬼は間違いなく大変身勝手で非道な人格者なのです。彼の歪んだ人格を作り出したと言っても過言でない両親にも責任があると言えるのではないでしょうか?

附属池田小事件の動機①「下関事件の模擬犯になりたかった」

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彼は上記のように供述しているのですが、この『下関事件』といっても該当するものが4つほどあり、お隣中国で起きた虐殺事件、あとは同名の駅が放火された事件、第二次世界大戦後に起きた在日朝鮮人のデモなども同じように呼ぶのですが、恐らくは今回の事件が起きる2年前の平成11年に起きた通り魔殺人件だと思われます。

今回ご紹介している附属池田小事件の様に無差別殺傷事件は日本で他にも起きているのです。同様に世界的にセンセーショナルを集め、日本中を震撼させ騒然させました。あの有名なアニメや電子の街『秋葉原』で惨劇が起きてしまったのです。その事件について気になる方や興味のある方は是非こちらの記事をご覧ください。

下関事件

この通り魔殺人事件では罪のない人間が数名殺害、殺傷されており、犯人は無差別に犯行に用いた車を使って意図的に人を撥ねて、車から降りると刃物を振り回して更に人々を殺傷したというもので、秋葉原の通り魔事件に類似しています。この事件の犯人の動機も自身に降りかかる不幸や災難を、身勝手に社会のせいにしてそれが動機となりました。

この事件は平成11年に起きて同年に逮捕されましたが、無差別に通り魔殺人した被告に最終的な判決が下されたのは、その8年後の平成20年の事で死刑判決が言い渡され、執行されたのはその4年後の平成24年の事でした。今回ご紹介している小学生を無差別に殺傷した事件の犯人、殺人鬼が死刑決行されるのがいかに早かったかが分かりますよね。

附属池田小事件の動機②「前妻に後悔させたかった」

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彼は離婚、再婚をこの時既に4回も繰り返していて、どの女性の事を指しているのか分かりませんが、もしかしたら全員かもしれません。彼女たちに自分と知り合って交際して結婚していた事を後悔させたかったと話しているのです。非常に身勝手な理由で理解しがたい内容です。

彼はこれまでにも離婚した後、以前の前妻にストーカー行為や嫌がらせ行為をしていた経験がありました。女性に対する未練がましさや性的欲求も常軌を逸していると言えます。動機を知るとより一層怒りがこみあげ、また関係のない幼気な少年少女たちをどうして残虐に殺傷したのか疑問が深まるばかりです。

附属池田小事件の動機③「自分の苦しみを大勢に分からせたかった」

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彼の抱える苦しみが具体的にどんなものであったか分かりませんが、非常に無責任で身勝手な理由である事には違いありません。また彼の苦しみと彼が与えた被害者やその遺族の苦しみと等しいものであるはずがないのです。彼は初めから死刑されることを覚悟にして、犯行に及んだと調べで分かっております。

以上の3点が警察の取り調べや彼の供述から伺えた動機になります。どの動機も一貫して無責任で身勝手な理由であり、到底理解できるものではありません。そして彼は最後まで一切遺族や被害者に対して謝罪の意を見せずにこの世を他界するのです。大変遺憾で仕方ありません。

附属池田小事件での学校側の対応ミスは?

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やはり殺人鬼の残虐性が高く卑劣な幼気な少年少女を狙った犯行に話題が集まりますが、実は事件当時の学校側の対応もふさわしくなかったのではないか?実際の対応はミスをしていて救えた命もあったのではないかと厳しい意見が上げられていて、当時から話題となり問題視されたのです。ここではミスと捉えれる学校側の対応について解説していきます。

附属池田小事件の対応ミス①状況把握の遅さ

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殺人鬼が学校内、校舎に忍び入ったときも何度か教員や事務員とすれ違ったそうですが、不審な人物と思わず生徒児童のPTAである。と先入観が働いて、そのまま見過ごしてしまった点も相応しくない対応と言えます。そして悲劇と呼べる犯行が行われているのにも関わらず、周りのクラスルームにいた教員は気づかなかったのです。

その為次々と殺人鬼は違う教室へ移動を繰り返して、何度も幼い少年少女たちを襲う事が可能となっててしまったのです。殺人鬼の犯行を止める事に成功した2学年の南に位置するクラスルームの担任も、自身のクラスの少年少女が襲われ、彼らの悲鳴を聞き、初めて悲劇に気付いたくらいだったのです。状況をいち早く把握する事ができれば、多くの犠牲者が出なかったかもしれません。

附属池田小事件の対応ミス②死亡生徒を20分以上放置

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今回の悲痛で残虐性が高くセンセーショナルを集めた事件で命が奪われてしまった少年少女たち全員は、殺人鬼に刃物で刺されて直ぐに死んだわけではなく、20分以上も放置され出血多量で亡くなったという事実があるのです。もしいち早く止血などの手当てや応急処置を行っていれば助かったかもしれないと囁かれているのです。

目の前で惨劇が繰り広げられ、パニック状態と化すのは無理ありませんが、小さな少年少女たちが傷つけられているのであれば一目散に彼らの安否を心配して、適切な処置を迅速に行うべきではなかったのでしょか?教員や先生たちは子供たちに教育を施すのは勿論ですが、彼らを守る責任も伴っているはずです。

附属池田小事件の対応ミス③救急車に付き添わず

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怪我や致命傷を負った児童たちはそれぞれ様々な医療機関に救急車に乗って搬送されましたが、この時学校側はどの生徒がどの病院に搬送されたか把握していなかったのです。救急車に教員が付き添っていれば連絡を取り、それぞれの居場所を把握する事が可能であったはずです。

この影響により被害に遭った少年少女たちがどこの医療機関で保護されているか分からず、その家族や保護者たちの中には自身の息子、娘が搬送された病院を探すのに時間が掛かり、判明してたどり着いた時には死亡していた方もいたそうです。皆さんはこのような学校側の対応についてどう感じますか?

附属池田小事件で逃げたとされる教師の行動とは?

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学校全体の対応だけではなく、実際の現場に居合わせたある担任の行動も『無責任』なものでなかったのかと疑問視されているのです。はたしてその行動とはどういったものだったのでしょうか?またどのクラスルームの担任だったのでしょうか?詳しく解説していきます。

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