廃墟となった遊園地65ヶ所まとめ!日本の廃墟遊園地から世界のものまで

遊園地と聞くと華やかで楽しげな印象を受けますが、残念ながら廃墟となった遊園地もたくさん存在します。しかし廃墟遊園地には現存の遊園地にはない魅力も。この記事では、廃墟遊園地を国内外合わせて65ヶ所紹介します。古びてもなお、魅力のある廃墟遊園地を見ていきましょう。

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彼にはもう八十四日間も一匹の魚も釣れない日続いていた。 釣れない時は、魚が考える時間を与えてくれたと思えばいい。

心霊スポットとしても有名?廃墟となった遊園地たち

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人によっては成人してからも訪れることのある遊園地ですが、ご自身が幼い頃に足を運んだ遊園地はまだ健在ですか?いろいろな幼少期の想い出が詰まった場所は現在はどうなっているのか気になる方もいるかもしれせん。残念ながら今現在は幕を閉じてしまった遊園地について、心霊的なものも交えながら古今東西あますところなく特集をしていきます。

廃墟になった日本の遊園地46選!~北海道編~

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北海道は、大自然に囲まれたスケール大きい観光地としても知られています。そして、日本でも特に広大な面積を有しているだけにたくさんのレジャー施設があります。しかし、栄枯盛衰はつきもので、その裏にはサービスが停止となってしまったアミューズメントパークがたくさんあります。ここで、特に有名な場所をいくつか取り上げていきます。

廃墟遊園地①グリュック王国(北海道帯広市)

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グリュックは独語でGlückと書き「幸福」を意味します。名前の示す通り、ドイツのことを扱ったテーマパークであり、特に時代は中世をモチーフにしていました。ドイツをネタにしたものは日本ではたくさんあります。関東では千葉の東京ドイツ村や、10月にはところどころでお酒のイベントであるオクトーバーフェストなども開催されています。

1992年に

開園は平成元年になりますが、それから3年後にここの象徴としてビュッケブルグ城が建設され、城中には会員制のホテルまだ併設されました。また、この時期に「グリムの森」というアミューズメントの集合体まで経ちあげています。とてもエレガントな空間を人々に提供していました。

開園から約20年後

とても賑わいを見せていた場所でしたが、日本全体が景気が悪くなった影響を受けて、次第に訪れる人が減少していき、2003年に休園を迎えて、その4年後に正式に閉演という運びになりました。まるで、中世ヨーロッパの跡地が帯広にあるかのような状態です。

廃墟遊園地②アドベンチャーファミリー(北海道夕張市)

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もともとは石炭についての歴史を見物させる村の一部だったところです。昭和58年に村が全面的に開園され、遊園地(アドベンチャーファミリー)やバラ園、野外ステージなどもあるバレエティーに富んでいました。しかし、平成18年に夕張市が実質倒産してしまったため、運営が厳しくなる状態に至りました。

村は再開されたが、

歴史た資料として価値が惜しまれていたので、平成19年には夕張リゾートというところの運営を元に「石炭の歴史村」は再び活動することになりました。しかし、遊園地に関しては再度オープンするということはないままでした。

廃墟と化している

遊園地内の多くの施設は野ざらしのまま無残に放置されていました。しかし、平成20年には大半のものが撤去されることになりましたが、水上レストランや、野外ステージなどはほったらかしのままで、幽霊屋敷などの施設も残っているそうです。巨大な駐車場を有していたのですが、そちらも手入れはされていなく、雑草が生い茂っています。

 廃墟遊園地③錦沢遊園地(北海道夕張市)

夕張市錦沢駅が開かれることになったのと同時に、周辺の公園が整備されました。そこには、遊園地をはじめ、釣り堀やちょっとした動物園まで入っていました。昭和38年には、小さいな汽車や車などの遊具も置かれていました。

1970年代には

夕張鉄道線が廃止されることになり、それに付随して遊園地も閉めることになりました。線路後は現在サイクリングロードとはなってはいるのですが、整備を隅々まですることが困難なこともあり、木が倒れていたりして通行するのが難しいという状態になっていたりもします。

廃墟遊園地④天華園(北海道登別市)

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登別には、4大テーマパークと呼ばれるものがありました。「のぼりべつクマ牧場」、「登別伊達時代村」、「登別マリンパークニクス」、そして中国ティストのテーマパークであった「天華園」の4つです。しかし、あえなく閉園するに至り、今は登別は残りの3つによって3大テーマパークとなってしまいました。

時代は清

中国の昔の時代を描いた映画「ラストエンペラー」のような、清王朝の時のような雰囲気を醸し出していたパークです。宮廷にある庭園を再現した場所があったり、高さが40メートルにも及ぶ五重の塔が建設されていたり、本格的な中華料理の店を出店するなどして趣向を凝らしていました。

再来園者が伸びず

めぼしいアトラクションやイベントなどがいまいちないことによって、リピーターが増えなかったとも言われています。オープンしてから、どんどん来る人が減っていきました。オープンして、7年という月日でなくなってしまいました。その後は、しばらく放置されていたのですが、2017年に取り壊され、予定では大きなソーラー発電所ができます。

廃墟遊園地⑤むしむしランド(北海道樺戸郡)

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名前からも推測された方がいるかもしれませんが、文字通り「昆虫」を扱ったアミューズメント施設です。1990年に開園されましたが、残念ながらわずか6年で閉鎖されてしまいました。素敵な観覧車もあったのですが、現在は撤去されて面影はありません。

豊富な虫の数

以前は、なんと6万匹の昆虫が飼われていた日本でも珍しいテーマパークでもありました。ところで昆虫と言えば、紙の魚と書く昆虫の「紙魚」もしくは「キララムシ」という不思議な存在をご存知でしょうか。もし、ご興味のおありの方は、是非こちらの記事も合わせてご覧ください。

廃墟遊園地⑥テイネオリンピア遊園地(北海道札幌市)

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「サッポロテイネ」という施設の中の一つとして開設されていた遊園地です。昭和40年から平成22にまでという長い期間運営されていました。ほとんどの遊具が処分されました。ちなみに「サッポロテイネ」自体は今も現役で存続しています。他にはゴルフ場や、一部のルートは廃止されていましましたがスキー場は稼働しております。

木更津から

平成16年に閉じた「恐竜パーク木更津」から取り寄せたダイナソーたちのオブジェがあります。どれもカラフルで個性的な作品にしあがっていました。営業していた時は1.5キロからなるゴーカートのコースがあったり、アスレチック施設なども充実していました。値段としては大人2800円、子供2300円とそれなりの金額で運営していました。

廃墟遊園地⑦苫小牧ファンタジードーム(北海道苫小牧市)

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屋内にあるスタイルのレジャー施設でした。平成2年にオープンし、平成9年にはクローズとなりました。最寄りの駅は苫小牧駅となり、駅と遊園地が直結型のとてもちからを入れていた施設でした。下車してすぐに、メリーゴーランドや王道のジェットコースターに乗れる、とても気軽に行けるところでもありました。

現在は

閉園後、実は廃墟と化したわけではなく、施設跡には長崎屋苫小牧店が入りました。そして、平成22年にはMEGAドン・キホーテが進出しました。ただ、お店が入ったからといって、面影がなくなったわけではなく、建物の外の部分にはジェットコースターの経路の一部部が今もなお残っております。

廃墟遊園地⑧白鳥湖遊園地(北海道苫小牧市)

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こちらも苫小牧市にあったもので、ちょっと懐かしいスタイルのレジャー施設でした。遊具自体は、ゴーカートやバッティングセンターなどおなじみのものが置いてありました。何と言っても、手づくり感あふれる施設で、イラスト自体もいかにも手書きで書かれた形で、マニアにはたまらない感じの場所だったとも言えます。

閉鎖の原因は?

実は情報が錯綜していて、2008年もしくは2011年に閉鎖されて、取り壊されたとも言われています。原因は、管理をしている方が亡くなったためです。この方は、とても個性的な方で会ってみたいというファンがいたそうでです。テレビ番組の「探偵ナイトスクープ」にも取り上げられた、知る人ぞ知る噂のスポットだったそうです。

廃墟遊園地⑨オタモイ遊園地(北海道小樽市)

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遡ること昭和の初めに、小樽に名所を作ろうと立ち上がった人物がいました。割烹「蛇の目」を商っていた主の加藤秋太郎という方が創りました。古から「白蛇の谷」と伝わっていたオタモイ海岸の白蛇に由来して「白蛇辨天堂」を建てました。次に10万坪という大きなスペースに130人までは入れる食堂を作りました。

さらに事業は拡大し

崖の上に「龍宮閣」という宴会場を作りました。なんと京都の清水寺をも凌駕する大きさでした。さらに、ついに遊園地まで進出していきました。いくつもの遊具をはじめ、演芸場や桜並木、池などもありとてもバラエティに富んでいました。その時代ならではなのか相撲場まで、遊園地の施設に入っていました。

太平洋戦争がおとずれ

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賑わっていたころは、一日に数千人というお客が遊びに来ていました。栄華を極めていたのも束の間、戦争が始まって、営業をやめることになりました。終戦を迎えて、満を持して再開しようとした矢先に火事が起きてしまいました。白蛇弁天堂も崖が崩れてダメになり、その他の施設も倒壊という惨事になりました。

現在は心霊スポットとしても

華やかな施設があった一帯は駐車場と化しています。そして、平成30年にはさまざまな施設があった場所には、柵が設置されているところもあります。崖崩れの危険を警告する板も備えられて、立ち入ることができなくなってしまいました。自殺の名所になってるという話もあり、旧海水浴場に無数の人影や手が出現する情報が多く寄せられています。

廃墟遊園地⑩大沼遊園地(北海道亀田郡)

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338号線の大沼公園沿いに存在していたアミューズメントパークです。一般的には、オープンした時期は定かではありません。1976年頃には小さな建物がぽつんとあった場所でした。それから1988年ぐらいには、ゴーカートの為と思われるコースが出現していました。

小型レジャー施設

ゴーカートをはじめ、簡易的な遊具が設置されていました。しかし、2000年になる前にはカートのコースの跡さえも認識しずらくなっていきました。2010年過ぎたぐらいの話ですが、その時点では道路沿いに遊園地の門が残ってはいるのですが、カートを運転する道らしきものと物置小屋のようなものしか見当たらなくなりました。

廃墟になった日本の遊園地46選!~東北地方編~

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東北地方と言えば、映画の「フラガール」などでも有名なスパリゾートハワイアンズ(前常盤ハワイアンセンター)などレジャー施設が目白押しの地域でもあります。やはりここでも営業しなくなり廃墟となってしまった所がいくつかあります。

廃墟遊園地⑪ワンダーランドASAMUSHI(青森県青森市)

場所は東北の最北端の県にあるのですが、大阪の会社が関わっているアミューズメント施設です。本社が大阪にある遊具メーカーの「岡本製作所」の作った「あさむしキディランド」が初めに、この地でオープンしていました。

しかし閉園・・・

1999年にクローズとなり、2000年にそれらに付随するものを引き取って「ワンダーランドASAMUSHI」がオープンしました。ただ、来客数は減少傾向にあり、五年後に幕を閉じました。遊ぶ器具の撤去が行われたため、今では建物のみが佇んでいます。

廃墟遊園地⑫はごろも自然遊園地(青森県八戸市)

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八戸線の金浜駅の近くにあったアミューズメントパークでした。1970年代に、はごろも旅館に付随した施設として作られました。遊具はあまりなかったようで、どちらかという公園に近い方だったみたいです。エントランスとカフェの建造物は残っているという話ですが、現在は跡地に太陽光の発電所が作られています。

廃墟遊園地⑬化女沼レジャーランド(宮城県大崎市)

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化女沼と書いて「けじょぬま」と読み、ある姫君が沼に機織り機と一緒に沼に身を投じた話からついた地名です。ただこの遊園地は、お化け屋敷のようなところではなく、ある若人が戦後の何もなくなった場所に、活気のある何かを作ろうと始動させたプロジェクトのためのものでした。

心霊スポットとしてテレビで

全国の怪奇現象が起きる場所として取りあげられたこともあります。確かに名前からして、一見もののけの類が絡むような雰囲気もあるためかとても話題になりました。ロケ中に芸能人の方が憑依されたり、女性の鳴き声が聞こえると語り始めて話題になりました。

形を変えて生き続けている

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現在は園自体は休止中ですが、元の運営者の意思を継いでくれる人が出現するまで、遊具などを処分しないという熱い想いが詰まっています。許可が必要ですが、コスプレのイベントや、映画、音楽のPVなどでも使われています。コンスタントに掃除も行われていて管理もしっかりなされています。

充実した施設

遊園地のマストでもある観覧車やメリーゴーランドをはじめ、キャンプ場や、小さなゴルフ場、宿泊施設まで完備していました。しかし、今現在に近づくにつれて、少子化問題が深刻となり始め、客足は遠のいていきました。2000年代に入り、休止状態となりました。化女沼レジャーランドのさらに詳しい情報については、こちらを是非ご覧ください。

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