【瀬戸内シージャック事件】日本初の事件の概要と川藤展久やその後まとめ!

被害者たちの負傷した具合や怪我の程度については先ほど解説させていただきましたが、気になるのは主犯格の20代男性の家族や仕方なく発砲したスナイパー、そして逃走に使われ舞台となってしまった客船などのその後ではないでしょうか?次に事件のその後について解説していきます。

瀬戸内シージャック事件のその後①川藤の父親の言葉

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やむを得ず射殺されて犯行が止められる前に、主犯格の20代男性の家族である父親と姉は必死に彼の犯行や逃走を止めようとして、言い聞かせましたがそれも叶わず、犯罪者とは言え1人の家族を失ってしまったわけです。

父親はこうした結果に対して『責任がある親として、死んでくれて償う事ができた。警察の判断に物申すつもりはない』と言及しており、家族である父親にとっても今回の結末は『致し方ない』『仕方ない』と考えている意向を示したのです。

瀬戸内シージャック事件のその後②狙撃手への処分

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北海道に住んでいた、人権や命を重んじて死刑などを反対する意見を持つ弁護士は、致し方なく射撃して殺害した警察のスナイパーと、最終的な判断と処置を命じた警察県警本部事態を『急所を外して狙撃すれば死に至らせることなく身柄を確保できたはず』と訴えて裁判を起こしました。

これに対して最終的な判断と処置を下した、上層部の警察本部はスナイパーには予め『殺さない様に致命傷は避けてくれ』と伝えていたと供述しており、スナイパーも勿論故意で狙ったわけではないので、裁判官は『警察による正当な判断と処置による結果』として不起訴処分となりました。

瀬戸内シージャック事件のその後③運行会社から乗客たちへの被害補償

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今回の事件で不慮の事態により不幸に見舞われ、人質となってしまった一般人である乗客たちは、幸い1人も怪我を負う事もなく死者も出なかったのですが、客船の持ち主である運航会社から、成人している大人には30000円を、年齢が子供に分類される者には10000円、総額数十万円の賠償金が支払われました。1円の価値が現在とはだいぶ違うので注意してください。

瀬戸内シージャック事件のその後④ぷりんす号は売却、フィリピンで観光船に

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たまたま今回の事件で逃走に使われ事件の現場となってしまった客船は事件の影響により、当然必然的にそれ以降また本来の目的どおりお客さんを乗せるという役目を全うできなくなってしまいました。主犯格の20代男性が所持していた銃により、何発も弾丸が発射された痕跡は消す事ができても、事件の舞台となった事実やイメージは払拭することはできないのです。

それらはあくまでも日本人や日本国内である場合なのです。その後事件の舞台となった客船は売却されて、遠くの国である『フィリピン』で本来の役目である観光船として現在も使われているのです。この事実が判明したのは数十年後の事でTVショーで明らかとなったそうです。

瀬戸内シージャック事件への世間の声

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先ほどお話ししたその後についての内容と結びついているのですが、この日本で起きた異例で大規模な事件がセンセーショナルを集めたのは、犯行内容や中継されていたという点だけではなく、結末である主犯格の20代男性を結果的には撃ち殺してしまったという点に関心が集まり、議論を起こし問題視されたのです。

実際に判断と処置を下した警察の主張や考え、そしてその結果や結末に納得できたり賛同する世間の声や反対に批判したり間違っていたと主張する世間の声。それぞれを一つ一つどんな声が挙がったか解説していきます。読者の皆さんはどんな考えを持ちましたでしょうか?

瀬戸内シージャック事件への声①警察の主張

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警察の主張としては、これ以上の犠牲者を出さない様に被害の拡大を防ぐためにも、興奮状態で発砲を繰り返していた主犯格の言動と死ぬつもりだったという心情を考慮して、彼に向けての発砲は致し方なく、やむを得ないと判断していての措置だと主張しております。

更にこの時も担当する警察のスナイパーにも『致命傷に至らない右の胸部を狙う様に』『殺さずに急所は避ける様に』と伝えていたことも言及しているのです。警察のスナイパー自身もその後責任感や罪悪感から精神的に病んでしまったそうなので、意図しない結果であった事が伺えます。

瀬戸内シージャック事件への声②「正当防衛でやむを得ない」

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世間の声の多くは警察の判断や措置、そして殺害してしまった結果に対しては口をそろえて『やむを得ない』という考えを示しました。胸を狙ったことについても手足を狙ったとしても、犯人を激昂させてしまう恐れがあり、かえって危ないという見方もあり『正当』であったという意見が多かったのです。

瀬戸内シージャック事件への声③「やりすぎ」

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一方では事件の主犯格である20代男性にも、多くの犯罪を犯していたとしても、生きる権利はあったとして『やり過ぎなのではないか』という意見も少数ながらあがりました。逮捕されて裁判で『死刑』が言い渡される犯罪者だとしても、判決が下され刑が執行されるその時までは生きていい権利があるという主張もありました。

勿論本来ならば主犯格の20代男性は死ぬことなく、生きた上で罪を償うべきで射撃も致命傷から外れる事が望ましかった事は間違いありません。しかし狙ったスナイパーも人間であり、こうした不慮の事態が起きてしまい、予期せぬ結末を迎えてしまったのはやはり『仕方ない』のではないでしょうか?

瀬戸内シージャック事件の時代背景

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現在から49年前の昭和45年は、現代でも人気の玩具である『トミカ』が発売開始されたり、日本で初めて『歩行者天国』が設けられた。そんな時代でありますが、左翼派の『赤軍』が日本国内や海外で暴動を起こしていたり、また海外に旅行に行くことが当たり前になった年でもあるのです。

今回ご紹介している異例で大規模な事件が起きる一か月前には、時代背景が深く関係している同様の事件が発生していたのです。そしてその一か月前に起きた同様の事件が発生したあと、『人質事件』が立て続けに6件も起きてしまった事実があります。その同様の事件とはどのようなものだったのでしょうか?また2つの事件はどう関与しているのでしょうか?

瀬戸内シージャック事件は「よど号ハイジャック事件」の翌月発生

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同年の事件が起こる一か月前に起きたタイムリーな事件で、こちらも日本では最初の『ハイジャック事件』なのです。現代の左翼や赤軍の元となった組織が引き起こしており、彼らは政治による影響などで本国から他国に逃れるという亡命が目的で、現在の北朝鮮に向かおうとして旅客機を略奪したのです。その旅客機の機体の愛称が『よど号』だったのです。

やり取りや交渉があったもののなんと実際にその飛行機は北朝鮮まで行き、彼らの望み通り『亡命』を果たしました。残された乗客と旅客機はしばらく異国である北朝鮮に滞在して、警察ではなく国や政府が、また犯人グループではなく北朝鮮が交渉をして、ようやく日本に無事に帰ってこれたというセンセーショナルな事件なのです。

瀬戸内シージャック事件の時代背景とは

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前述したセンセーショナルな事件では、実際に犯人グループたちの望み通り『亡命』を果たしてしまう結果になりました。また数百人の多くの民間人や一般人が被害に遭ってしまったのです。同様の事態が二度と起きないようにと、警察は『戒め』や『見せつけ』のために主犯格の20代男性を意図的に射撃したのではないかという説も囁かれました。

瀬戸内シージャック事件の影響があったとされる事件

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今回ご紹介している異例で大規模な事件は、やはり主犯格の20代男性が射殺されたという思いがけない結末、また警察の判断や措置にセンセーショナルが集まり、話題となり抗議され問題視されました。この一件の影響があったとされる事件がその後日本で起きているのです。その事件の概要と影響を受けたとされる部分について分かり易く解説していきます。

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