【瀬戸内シージャック事件】日本初の事件の概要と川藤展久やその後まとめ!

この事件もよど号ハイジャック事件と同様に、左翼派の赤軍が犯人グループとなって引き起こした人質事件で、2年後の昭和47年に発生しています。『KAWAI』という世界的にもトップクラスのシェアを誇るピアノ及び楽器販売企業の施設で人質をとり立てこもるという犯行で、非常に内容が多く逮捕まで色々な事態や出来事が発生しました。

最終的には、逮捕及び鎮圧する際に機動隊員が施設に動員されることになるのですが、この際警察の上層部の指揮官にあたる人物は殺害してしまったら、自らの願い通り死んだ者と見なされてしまう為『全員生かしたまま身柄を捕えよ』と命じているのです。武力により射撃や射殺に至らなかったのは、影響があった可能性も考えられるのです。詳しい概要はこちらの記事をご覧ください。

瀬戸内シージャック事件の影響を受けた事件②三菱銀行人質事件

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今回ご紹介している事件から9年後の昭和54年に発生して、大阪府にある三菱銀行が現場となり、そこで人質を捕って数日間立て籠るという非常に凄惨で残虐な事件です。犯人は容赦なく『ショットガン』撃ち散弾を発砲して警察官や現場に居合わせて人質となってしまった民間人、数名を殺害しています。

また人質を捕り数日間立て籠る間、警察が突入する隙や民間人が逃げ出す隙が終始一切なく、人質全員を文字通り裸にさせ、気に食わない事があれば所持していたショットガンで殺傷するなど、現場はあり得ないほど深刻なものでした。

1人の狙撃手ではなく一斉射撃で

あり得ない現場、容赦ない非人道的行為に走る犯人。こうした事態に陥ると人質を助け、鎮圧させるためには最終的には射殺を余儀なくされましたが、罪意識や責任を背負わないようにと数人で『一斉射撃』して、誰が打った銃弾で死んだのかはっきりさせないようにする為の手段を取った事が、当事者の特殊部隊員の口から明らかとなっています。

瀬戸内シージャック事件後の警察の拳銃の扱いは?

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事件発生から現代と呼べるような時代に至るまでに、数々の殺人殺傷事件で多くの警察官が犠牲となり命を落としてきました。今回ご紹介している事件でも、容赦なく主犯格の20代男性に銃で撃たれて警察官の数名が負傷して大怪我を負った者もいるのです。

凶悪犯罪や残虐な犯罪者が年々増加している影響もあった事は間違いなく、現場に出動した警察官の負傷や死を防ぐためにも、どういった場合やどのような状況なら拳銃を使うべし。と拳銃を使う要件や案件が明確に決められた法律が現在から18年前の平成13年に定められているのです。これにより警察官が拳銃を使うケースが増えました。

瀬戸内シージャック事件を元とした作品

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日本でセンセーショナルを集めた、異例で珍しい大規模な事件はその後テーマとして起用され、映像作品や書籍になっているのです。ここではそんな元にした作品をいくつかご紹介していきます。気になる作品があれば一度視聴してみるのも良いかもしれません。

瀬戸内シージャック事件を元にした作品①映画「凶弾」

凶弾 [レンタル落ち]

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この映画は事件から12年後の昭和57年に公開されていて、勿論今回ご紹介している実際に事件に基づいて作成されており、内容はほぼ実際の犯行内容や登場人物と同じです。監督が一風変わった熱い男たちの青春や物語を描く人物で、この作品にもそのテーマは色濃く出ています。

上記のジャケット写真を見ていただければ、太い眉毛など面影があり気づいた方もいらっしゃるはずですが、この映画では現在でも天気予報士、タレントとして人気の『石原良純』が主犯役で主役を務めているので、非常に見ごたえある作品と言えるのではないでしょうか?

瀬戸内シージャック事件を元にした作品②書籍「凶弾-瀬戸内シージャック事件」

凶弾―瀬戸内シージャック (講談社文庫)

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この書籍は事件から9年後の昭和52年に発売されており、ノンフィクション作品、推理小説家として活躍する『福田洋』(ふくだ ひろし)が執筆した作品であります。映像よりも文字として作品句を楽しみたい方はこちらがお勧めです。

瀬戸内シージャック事件の犯人は松田優作の歌に実名で登場?

Uターン

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現在の日本で大活躍して兄弟そろって人気俳優である、松田龍平と松田翔太の実の父親で、同じく日本の名俳優であった松田優作。彼と言えば『なんじゃこりゃー!』というセリフに奇抜な恰好とあのシーンが多くの人の脳に焼き付き認知されていますが、彼は俳優でもあり歌手でもあったのです。

彼が事件から8年後の昭和53年に手掛けたアルバムの中に、この事件の名前と犯人の実名がまんまと入った曲名が収められています。どんな曲であるか興味のある方は是非一度聞いてみてはいかがでしょうか?

瀬戸内シージャック事件に続く犯人が射殺が幕引きとなった人質事件

今回ご紹介している異例な人質事件では、日本では戦後『初』、事件解決及び犯行鎮圧のために犯人が射殺されましたが、その数年後に同様の人質事件が発生しており、その際も事件解決及び犯行鎮圧のために犯人が射殺されたのです。これが日本では戦後2番目となったのですが、こちらではその事件についてご紹介していきます。

長崎バスジャック事件

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今回ご紹介している事件から7年後の昭和52年に長崎県で起きた、バスを略奪して人質を捕って車内で立てこもった事件です。犯人は2人で、改造された銃や手りゅう弾を所持して犯行に及び左翼派の赤軍を連想させるネームを名乗っていましたが、警察との交渉の際に右翼派の政治家を『先生』を付けて読んでいたので、当時各所で問題や事件を起こしていた赤軍とは関係なかったのです。

犯人は人質の解放を条件にして、食べたかった食料や会いたかった政治家を要求したので、これが動機と考えられます。数日間にわたり立て籠っていたため、人質となってしまった民間人の健康状態が非常に危険に陥っていたので、いよいよ武力鎮圧を余儀なくされて、警察官や隊員が突入して数名が犯人向かって発砲し、犯人の1人が死亡しました。救出された人質全員は怪我はありませんでした。

瀬戸内シージャック事件は戦後初の人質事件で犯人が射殺された事件

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今回は日本で初めてで、現在でもそれ以外例がない海の上での乗っ取り事件である『瀬戸内シージャック事件』についてご紹介していきました。犯人は逃亡に必死で警察官や民間人を含む、大勢の人を巻き込んで容赦ない犯行に及んだという事はよく理解して頂いたはずです。また犯人がどんな人物であったか知るために生い立ちや経歴についても解説しました。

最終的にはほとぼりが冷めず、被害拡大や新たな犠牲者が生まれかねない事態から『射撃』は余儀ないと判断して、警察によりやむを得ず措置が下され『射殺』されてしまった結末により、センセーショナルを集めて問題視され、その後の事件や警察に影響を及ぼしました。異例な事象が多く、様々な『初』となった事件が今後は起こらないように祈るばかりです。

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