草加事件は少年達が青春を失った冤罪事件|有名弁護士も関与?真犯人は?

少年Dは少年Cの弟でした。兄と一緒にバイク・自動車の窃盗、車上狙い、シンナーを使用するなどしていました。事件の1か月ほど前に自動車窃盗で補導されて児童相談所に送られていましたが家に戻って僅か数日後に家を出て兄や兄の友人たちと再び窃盗などをおこなって生活していました。

草加事件の裁判の結末①刑事裁判

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草加事件の犯人として逮捕・補導された少年6人の刑事裁判の判決はどうなったのでしょうか。警察が犯人であると判断した信憑性や最終的に少年たちに下された判決について紐解いていきましょう。

犯行を否認したが保護処分となった

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逮捕された少年たちは警察の取り調べでも、裁判でも犯行を一貫して否認していました。証拠とされていた被害者に付着していた体液から検出された血液型は6人の少年いずれのものとも血液型は一致していませんでしたが、被害者の血液が混合されたと主張され少年5人を少年院送致の保護処分、1人の少年を児童相談所送致とする保護処分を下しています。

抗告したが棄却された

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いずれの少年たちも判決を不服として、高等裁判所へ抗告しますが高等裁判所は地裁の判決を支持し抗告を棄却、更に少年たちは最高裁へ抗告をしますが最高裁判所も少年たちの訴えを棄却したため、少年たちの保護処分が決定することになりました。

草加事件の裁判の結末②民事裁判

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この草加事件は、刑事裁判で少年審判にかけられ少年院送致や児童相談所送致などの実質有罪という処分を下されています。しかし刑事裁判とは別に民事裁判にもかけられることになりました。では、民事裁判の内容や結果について見ていきましょう。

被害少女の両親が少年達と親権者を相手に訴訟を起こした

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被害者の女子中学生の両親は、犯人であるとされた少年たち6人と少年たちの親を相手取って損害賠償請求の民事裁判を起こしています。裁判の結果は二転三転し、最終的に最高裁判所の判決に委ねることになり最終的な結論がでたのは2002年でした。

最高裁では一度有罪となった

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地方裁判所では、被害者の両親(原告側)の請求は棄却され少年・少年の親(被告)は無罪判決となりました。しかし、高等裁判所では少年たちが警察での取り調べで自供した自白は信憑性があるとして有罪判決を下しています。

差し戻し後の民事裁判での再審で無罪となる

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その後、最高裁判所に上告しますが最高裁判所は自白に信憑性があると判断した高等裁判所の判断は間違いであるとして差し戻しとし差し戻し審において証拠不十分として最終的に無罪の判決が下されることになりました。

刑事裁判と民事裁判の判決が異なるという異例の展開

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刑事裁判では有罪として少年法に基づく措置が取られましたが、民事裁判では少年たちは無罪であるという判決がくだされたことにより被害者少女の両親の訴えは退けられました。そして、民事裁判と刑事裁判で判決が異なるという極めて異例の事態となりました。

刑事裁判の保護処分取消要求は棄却された

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少年たちは、民事裁判において無罪となったため、刑事裁判の判決についても取り消しの要求を3度も行いますが、いずれも棄却されてしまいます。理由としては保護処分は終了しているため利益がないとされることが棄却された理由になります。

なお、現在では少年法が改正されたことにより保護処分終了後でも保護処分の取り消しの請求はできるようになっています。そのため一度保護処分の判決をされその後無罪であることが確定した場合は、保護処分の取り消し請求を行い名実共に無罪の判断を貰うことが可能になっています。

草加事件が民事裁判で無罪となった決め手は?

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草加事件で逮捕された少年たちは、被害者遺族が起こした損害賠償請求の民事裁判で無罪となりました。裁判所が少年たちを無罪と判断した決め手はなんだったのでしょうか。無罪となった理由について詳しく見ていきます。

自白に秘密の暴露がないこと

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民事裁判において無罪と判決付けられたのには2つの理由があります。犯行を行った当事者であれば犯人にしか知らないこと(マスコミには非公表)が必ずありますが、自白においてその犯人しから知らないことの暴露がなかったことにより犯人と裏付ける証拠がないことから無罪の理由の1つとなりました。

少女に付着していた体液と少年達の血液型が合わない

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もう1つの理由は血液型の不一致でした。検察側は被害者の血液と少年たちの血液が混ざっただけだと主張していましたが、科学的根拠は何もなく最高裁でも犯人とされる人物の血液型はAB型であると認めたため、血液型が誰1人として一致していない少年たちは無罪であると結論付けられることになりました。

草加事件の元少年達はその後どうなった?

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草加事件で逮捕されのちに無罪となった少年たちはその後どうなったのでしょうか。無罪を勝ち取るまでにかかった年月や冤罪に苦しんだことから少年たちがとった行動について紹介していきます。他、冤罪確定までに20年を要した事件に関する記事はこちらを御覧ください。

冤罪に苦しみ記者会見を行う

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この事件で逮捕された少年たちは17年間にも及んで無罪を訴え続けてきました。そして少年たちが最終的に無罪と結論付けられたのは30歳を越えたときです。 長年に渡り犯人であるかのように周囲に見られ続け苦しんできた苦痛は計り知れず、二度と冤罪被害者が出ないためにと会見を行うことを決断しています。

6人中3人は実名を公表して会見に臨んだ

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少年たちは、警察・検察や裁判所に作り出された冤罪の被害者になります。少年たちにとっては少年時代~成人になるまでの青春時代を冤罪で失った代償は取り返しがつきません。冤罪により苦しんだ事実を世間に知ってもらうため6人の冤罪被害を受けたメンバーの内3名が実名を公表しての会見に及び勇気のある行動だと褒められています。

草加事件の真犯人は?

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結果として最初に逮捕された少年たちは少年審判で有罪となり、少年院送致や児童相談所送致などの保護処分を受けていましたが民事裁判では無罪となりました。犯人は他にいるとされますが、この事件の真犯人はどうなっているのでしょうか。この事件の最終的な結末について見ていきます。

草加事件の犯人は未だ見つかっていない

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被害者の女子中学生の衣服に付着していた犯人のものと思われる血液型はAB型であり、逮捕された少年たちにAB型の人物はいませんでした。そのため、犯人は別にいると言われていますが、事件から30年以上たった今でも犯人は未だに見つかっていません。

2000年に公的時効を迎える

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最初に逮捕された少年たちが無罪であることが判明した際、被害者の遺族は、『直ちに再捜査を開始して一刻も早く本当の犯人を捕まえて欲しい』と語っていましたが、この事件は結局真犯人をつかむことができないまま、2000年に時効を迎えることになりました。

冤罪によって捜査がいったん終了しましたが結局のところ犯人は別にいるとされ捜査も振り出しに戻り最終的に時効成立により未解決となったこの事件は、冤罪の罪を着せられた少年たちも被害者とも言えますが、冤罪を作り出したことによって捜査が止まってしまったことは被害者の遺族からしても冤罪被害者と言えるでしょう。

NEXT 草加事件の主任検事はテレビにも出演していた住田弁護士