朝倉病院とは?埼玉県春日部市に存在した精神病院の正体とは
朝倉病院は埼玉県の春日部市庄和町で運営されていた精神病院です。2つの科が併設されており、合計の病床数が242床でした。内訳は「精神病床が230床」「内科の一般病床が12床」です。2001年7月に保険医療機関としての指定を取り消されたために廃院となりました。
朝倉病院で40名もの患者が不審死を遂げている
朝倉病院では、40名もの患者が不審死を遂げています。患者や身内に診断結果や治療方法の説明をせず、カルテの記載には不明瞭な点も散見され、遡って調べるのは困難な状態だったために、死亡した原因がわからないままになっています。
朝倉病院跡は廃墟に?心霊スポットとしても有名
廃院となった建物にはベッドや車いすが残されたままになっており、心霊の人気スポットになりました。オカルトファンだけではなく一般の方にも知られるほど有名になり、たくさんの人が肝だめしや見物に訪れ、閉鎖的な廃院へと足を踏み入れました。
朝倉病院の患者の特徴とは?廃院となった後はどうなったのか
朝倉病院に入院していた患者には「約9割が60歳を超えた年配者」「約8割は認知症」「約4割は生活保護者」という特徴がありました。入院期間は平均で4年近くと長い傾向にあり、中には20年以上も入院生活を送っている人もいました。
朝倉病院は身寄りのない人や生活保護の人を受け入れていた
独り身の生活保護者の受け入れを拒む病院も多いなか、朝倉病院は、行く当てのない患者の受け入れを積極的に行っていました。身寄りのない人や生活保護者の最後の受け皿となっていたのです。半分以上が東京からの患者であり、都の福祉事務所や病院からの紹介で転院となった人や、ホームレスだった認知症の人が大勢いました。
合併症を持つ精神病患者を受け入れる病院はほとんどなかった?
朝倉病院は、患者の大半が認知症や精神分裂症でしたが、ほとんどの人は高齢のため、内臓疾患なども患っており合併症も持っていました。合併症を持った精神病患者に対処できる態勢が整った医療機関は少ないため、精神科と内科が併設されている朝倉病院に行きつく患者も多かったのです。
朝倉病院の廃院時は120名以上の患者の転院先が見つからなかった
朝倉病院の廃院が2001年7月に決まり、患者たちは転院先を探さなくてはならない状況になりましたが、120名以上の患者の転院先が見つかりませんでした。大概の精神病床は利用率が9割を超えており、空きベッドが少ない中、「独り身」「生活保護者」「合併症」などの患者の受け入れを拒む病院が多かったためです。
「身寄りがない」「身内の連絡先が分かっていても『死亡時のみ連絡可』との条件付き」などの患者が大半でしたが、連絡のついた身内を呼び、説明会を開きました。身内からは「転院先では、また3か月で転院となるのか」といった質問が多く、診療報酬が下がる3か月で転院を迫られ、たらい回しにされた経験のある患者が多いようでした。
朝倉病院では何が起きていた?患者はどのような扱いを受けていたのか
朝倉病院の実状は、当時のニュースなどで大変な話題となりました。内容も映像もショッキングだったため、2001年頃にニュースを見る年代だった方は記憶に残っているのではないでしょうか。精神病院に強制入院させられる?都市伝説『黄色い救急車』にも興味のある方は、こちらもご覧ください。
患者の体を常に拘束していた!身動きが全く取れない患者も
ほとんどの患者が体を拘束されており、「腰と壁を紐などで繋がれている人」から「腰・両手足・肩の七か所を紐などで縛られている人」までいました。元職員の話によると、紐を外そうとする人は、さらに強く縛りつけられたといいます。本来、身体の拘束は「治療に支障がある」「事故の危険がある」など限られた場合にのみ行われます。
身体の拘束は、精神保健指定医が認めた場合に行われるものです。医師の資格とは別に、精神保健指定医という国家資格があります。朝倉病院は、指定医の前院長が2000年5月末で退職して以降、非常勤の指定医が週1回程度来る状況だったため、違法に行動を制限していたとされています。
他の患者もいる一般病室で手術を行っていた
精神病棟の病室内で、手術を行っており、手術を受けた3名の患者全てが手術後に亡くなっています。病室内には他にも、症状が重い精神病の患者が数人いましたが、間仕切りやカーテンを設置するなどの配慮はせずに手術を行っていました。大腸がんや乳がんなど、行われた手術に緊急性はありませんでした。
「病院内のどの部屋で手術を行うか」に対し、法的な規定はありません。1名の患者が手術の数日後に亡くなっていますが、死亡原因に手術が関係しているかは不明とされ、「衛生上好ましくないため、2度と病室での手術は行わないように」との県からの指導があっただけで、法的な罰則はありまでんでした。
朝倉病院ではIVH(中心静脈栄養)の不正投与を行っていた
IVHとは本来、食事ができない状態の人などに対し、高カロリーの栄養剤が入った点滴を使用し、静脈から栄養を補給する医療行為です。カテーテルを鎖骨などから挿入し、継続的に補給を行います。朝倉病院では、食事ができる状態の人にもIVHを不正投与していました。看護師はカルテに「食欲がある」などと書かないように言われていました。
正確な診察も行わず患者に説明もしないまま拘束し、安定剤を打ちIVHを投与していました。「カテーテルを抜かないように」という名目を得て、身体の拘束は益々酷くなり、最初は元気に食事を要求していた人も、「食べられない」「動けない」状況で心身ともに弱っていきました。
患者をわざと病気にして治療報酬を受け取っていた
食事ができる状態の人にIVHを投与し続けると、栄養など体内のバランスが崩れてしまい、腎機能の低下や感染症などを起こします。特に清潔を保つのが難しい精神科では、感染症を起こす確率は高くなります。「腎臓が悪くなると腎臓の薬」「発熱すると抗生剤」など、わざと病気にさせて不当な治療報酬を受け取っていました。
IVHの挿入は生活保護者を優先させるのが暗黙の了解となっていました。「身内の居ない人が多い」「身内に文句を言われる心配が少ない」「治療報酬が高額でも国が支払うため回収がしやすい」などの理由から、病状や食欲とは関係なくIVHの挿入が行われていたのです。
朝倉病院に入院した患者40名が不審死した
食欲があった人の中には、1週間程で感染症を起こしてしまい、1か月程で亡くなってしまった人もいましたが、食欲があった記録はなく、死亡した原因の特定ができないまま、不審死として扱われました。無茶な治療を繰り返した朝倉病院では、40名もの患者が不審死を遂げています。
朝倉病院の不正が発覚した経緯とその結末とは
2000年の4月から8月頃に、元院長などの元職員から内部告発や情報提供が相次ぎました。11月に県の立ち入り検査が行われ、2001年1月に治療報酬の不正受給が発覚します。3月には改善命令(3回目)が出され、全国初の入院制限命令も出されました。
2001年5月に保険医療機関と生活保護指定医療機関の指定の取り消しが決定し、転院の手続きなどを配慮した期間を経て7月に保険医療機関と生活保護指定医療機関の指定が取り消され、朝倉病院からも廃止届が提出されました。不当に報酬を受け取った金額は、確認済の約1年間で2600万円、5年間分は1億円を越えると予測されています。
かつて朝倉病院で働いていた職員の告発により発覚
2000年の4月から8月頃に、埼玉県や社会保険事務局宛に元院長などの元職員から「朝倉病院では、行われていない検査(カラ検査)などにより、不当な治療報酬を受け取っている」という内容の情報提供がありました。
数々の違法行為が明らかに!朝倉病院は廃院
朝倉病院で、治療報酬の不正受給に関する疑惑を調査していた埼玉県や社会保険事務局は、「カラ検査」「実際の診療を別の高い診療に偽る」「不必要な患者へのIVHの投与」「院内で製造した薬を外部からの購入と偽る」などによる不当な報酬の受け取りやカルテへの不実記載など、10項目にもおよぶ不正行為を確認しました。
不正行為が判明した結果、取り消し処分が相当であると判断され、2001年5月に保険医療機関と生活保護指定医療機関の指定の取り消しが決定しました。保険医療機関の指定が取り消されてしまうと、医療保険での受診が原則5年間できなくなってしまうので、病院としての運営ができなくなるため廃院となりました。
朝倉病院で亡くなった40名への“治療”は殺人にならなかった
患者の人権を軽んじた非道な扱いを続けていた朝倉病院ですが、証拠となる証言や物証もなく、文句を言う身内が少ないため、患者40名の死亡原因については深く言及されず、殺人などによる刑事告訴はされませんでした。
朝倉病院の院長はその後どうなった?逮捕されていない?
手のかかる患者は管理が厳しい『後方病院』へと転院させられてしまうシステムの中、『後方病院』の自覚がありながらも、「最後までいられる受け皿が必要」と働いた看護師などの職員たち。そんな職員とは違い、私利私欲により患者の人権を軽んじた朝倉院長。朝倉院長のその後を追いました。
朝倉病院の院長が刑事罰などを受けることはなかった
廃院の原因となったのは、「不当な報酬の受け取り」であり、患者の死亡についての罰則はありまでんでした。朝倉院長は、カルテへの不実記載などにより、2001年7月に保険医としての登録が取り消されています。保険医としての登録は、保険医療機関の指定と同じく、5年後には再度登録できるようになっています。