首なし娘事件とは?愛ゆえに起こった怪奇事件の詳細や動機をご紹介

しかし、犯人の自殺死体は想像も絶するほどに末恐ろしい姿をしていました。この第1発見者の方がトラウマとなってしまったり、精神的な疾患を目に焼き付いた情景から患ってしまうことも少なくはありません。このような猟奇殺人事件の第1発見者も殺された女性同様、犯人から心に深い怪我を負わせられた被害者なのです。

異常な姿であった増淵倉吉!吉田ます江の頭皮かぶっていた

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発見された犯人の遺体は物置で首つりしていた状況で発見されました。女性用の下着を履き、鬘のように被害者女性から剥ぎ取った頭皮を被った状態で首つりをしていたという異様な光景です。内向的であった事がこのような猟奇を産んでしまったのでしょうか。

犯人はかなり前から神仏の存在を強く信じていたことが分かっています。彼からすると、こういった奇行は彼女と一体化するために行ったまじないのようなものなのかもしれません。しかし、どういった理由にせよこのような残虐な行為は通常の精神状態で行えるとは到底考えにくいものです。

他にも吉田ます江の眼球なども所持していた増淵倉吉

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その他にも女性の遺体からくりぬいた眼球は財布に入れて持ち歩いていたとされています。乳房や下腹部は首を吊った小屋に置かれていた冷蔵庫の中に保管されていましたが、大陰唇と小陰唇が見つからなかったことより犯人が食べたのではないかと言われています。

しかし、犯人がカニバリズムを行った事実が全くないことから食したのかどうかについては定かではなく、被害者女性の首を川へ放棄している事からどこかへ隠したか、遺棄したかの説も考えられます。2人の関係性を考えると、遺棄という女性の体をないがしろにする行為は考えにくいとし、カニバリズム説が出てきているのかもしれません。

 

増淵倉吉の生い立ちとは?吉田ます江と親密な関係になるまで

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どういった生い立ちを辿るとこのような歪な愛が生まれ、猟奇殺人を起こすような人間になるのでしょうか。こちらでは犯人の生い立ちを辿るため犯人の誕生から女性との恋愛を中心的にご紹介させていただきたいと思います。

群馬県で生まれた増淵倉吉!後に菓子職人に

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犯人の生まれは愛知県ではなく群馬県でした。そして成長を遂げた犯人は和菓子職人として働き出します。東京の浅草にて和菓子店を営み、妻と子供に恵まれた幸せな家庭を築いていた彼の人生を狂わせたのは関東大震災でした。

一度は結婚するも後に別の女性“みや”と結婚することに

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震災により自身の店を失ってしまったため、人生に絶望したのかその当時の妻と子供を捨てて新たな仕事を求める旅に出ました。その道中で別の女性と出会い、共に人生を歩むことを決意し、彼女が営む裁縫所の近くの饅頭工場で働き出しました。

裁縫所を開いたみやの元へやってきた吉田ます江

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そして更なる悲劇の主役である被害者となってしまった女性が後妻の開いていた裁縫所へと教えを請いにやってきます。当時は2人は恋愛的な深いかかわりがなかったようですが、妻を師匠として認識していた被害者女性は犯人とも近い間柄にあった可能性が考えられます。

この時には犯人も被害者も、そして後妻も、このような最悪の悲劇が起こるとは想像していなかったでしょう。彼女が後妻の裁縫教室を訪れてしまったことがすべての間違いなのかもしれません。しかし、逆に言うと出会うべくして出会ってしまった2人ともとらえられますが、一体どこで2人の愛情が歪な形に歪んでいってしまったのでしょうか。

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