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カラチャイ湖がここまで汚染された理由
ここまで汚染被害が広がったのには、カラチャイ湖が放射線物質の廃棄処理地であったからです。大量に出る高濃度の放射性廃棄物はガラス固化施設でガラス固化体に加工されましたが、中レベル以下の廃棄物は主にカラチャイ湖に未処理のまま流されていました。
カラチャイ湖付近に核技術施設「マヤーク」誕生
「マヤーク」とはロシア語で灯台という意味を持ちます。チェラビンスク州のオジョルスク市に建てられたこの巨大施設は、核兵器に使用する核分裂性物質を生産する工場としてソ連で初めて建設されました。以前から建設されていた工場をもとに、原子爆弾開発の中核施設としてオジョルスク市と合同で建てられました。
ナチス侵攻対策
第二次世界大戦中、ナチスドイツに対抗して原子爆弾の開発を進めようとしたソ連。ヨーロッパの大部分を占領したドイツに対して、アメリカとソ連は1945年にドイツを降伏させます。同年5月、ヨーロッパにおける世界大戦が終わります。
米ソ冷戦時代「最重要国家機密」
最高指導者のスターリンは、東ヨーロッパの国を次々に社会主義国に変え、自国の仲間を増やしていきました。資本主義国であるアメリカとは次第に敵対し始めましたが、直接軍が戦闘することはなく冷戦と呼ばれるようになります。当時アメリカに比べて核開発が遅れていたソ連は国家の威信をかけて、秘密裏に原子力施設を建設しました。
カラチャイ湖に放射性廃棄物廃棄
核施設が建設され核開発が急激に進むなかで、大量の放射性廃棄物の大部分は再処理されました。しかし再処理工程でできた中レベル以下の放射性廃棄物はすべてカラチャイ湖に放流されていました。当時のソ連では。放射能の危険性や環境への影響があまり知られていなかったのです。
カラチャイ湖が地図から消える
核施設の名称は「マヤーク生産共同体」と呼ばれ、核兵器の開発や軍事基地自体を隠すために閉鎖都市が作られました。閉鎖都市とは、国家機密に関わる核兵器製造や軍事活動に従事しているものとその家族だけが住むことができる都市です。最重要国家機密であるマヤークの名前は、カラチャイ湖も含め地図から姿を消しました。
カラチャイ湖および周辺地域は最重要機密施設
マヤーク周辺はフェンスや壁などで囲まれていて、一般人の出入りは厳格に制限され、関係者が出入りする際も設置されている検問所を通ることを義務付けられていました。マヤークの敷地面積は90平方キロメートルですが、立ち入り禁止地区に指定されたのはマヤーク周辺の250平方キロメートルにも及びます。
カラチャイ湖「V-9貯水池」に改名
対アメリカとの冷戦状態の核による先制攻撃の回避のために、マヤーク周辺一帯は最重要軍事機密とされ、マヤークやカラチャイ湖はコード名で呼ばれるようになります。放射性廃棄物の廃棄場所であったカラチャイ湖はV-9貯水池と名づけられました。