カラチャイ湖はソ連が隠蔽した世界一汚染された湖!ウラル核惨事の真実も

核施設の名称は「マヤーク生産共同体」と呼ばれ、核兵器の開発や軍事基地自体を隠すために閉鎖都市が作られました。閉鎖都市とは、国家機密に関わる核兵器製造や軍事活動に従事しているものとその家族だけが住むことができる都市です。最重要国家機密であるマヤークの名前は、カラチャイ湖も含め地図から姿を消しました。

カラチャイ湖および周辺地域は最重要機密施設

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マヤーク周辺はフェンスや壁などで囲まれていて、一般人の出入りは厳格に制限され、関係者が出入りする際も設置されている検問所を通ることを義務付けられていました。マヤークの敷地面積は90平方キロメートルですが、立ち入り禁止地区に指定されたのはマヤーク周辺の250平方キロメートルにも及びます。

カラチャイ湖「V-9貯水池」に改名

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対アメリカとの冷戦状態の核による先制攻撃の回避のために、マヤーク周辺一帯は最重要軍事機密とされ、マヤークやカラチャイ湖はコード名で呼ばれるようになります。放射性廃棄物の廃棄場所であったカラチャイ湖はV-9貯水池と名づけられました。

カラチャイ湖周辺地域コード名「チェリャビンスク65」

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秘密都市の具体的な位置が特定されないように、マヤーク周辺は名称を郵便番号で表示されるようになりました。カラチャイ湖周辺の核関連施設と、施設内の従業員とその家族が住む秘密都市は「チェリャビンスク65」と呼ばれ、これ以降公的な地図から消えることになります。

カラチャイ湖とウラル核惨事

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核施設の従業員によって、廃棄され続けた放射性廃棄物によってカラチャイ湖は汚染され続けていました。液体廃棄物によって、付近のテチャ川やカラチャイ湖近くに住む何も知らない住民に健康被害が生じ始めます。当局はこれを受けて液体廃棄物は濃縮し、タンクに貯蔵されるようになりました。

1957年ウラル核惨事発生

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高レベル放射性廃棄物は高温の為、絶えず冷却させないといけません。しかし1957年9月29日に重要な炉心冷却装置が故障し、それによりタンクの温度が急上昇したため、容量300立方メートルのタンクが爆発しました。大量の放射性物質が大気中に飛散し、約1000メートル上空まで舞い上がりました。

70トンの核廃棄物が飛散

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タンクの爆発は核爆発ではなく科学的爆発ですが、タンク内の約70トンに及ぶ大量の放射性物質がマヤーク周辺に降り注ぎました。この事故は国際原子力事象評価尺度ではレベル6とされています。チェルノブイリと福島の原子力発電所事故のレベル7に次ぐ大惨事です。

ウラル核惨事による汚染範囲

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上空に舞い上がった放射性物質は南西の風に乗り、幅9km長さ105kmの広大な土地を汚染しました。全体として2万平方キロメートルの範囲です。福島第一原子力発電所事故では3万平方キロメートルとされています。事故を受けて付近の住民1万人以上が避難しましたが、27万人もの人間が強い放射能に汚染されました。

周辺都市で0.72シーベルトの被曝

ウラル核惨事が起こり、マヤーク近くの都市チャリンビンスクにも放射能汚染が広がり、住民のおよそ65パーセントが被ばくし健康被害が生じました。近隣の人々は高濃度の放射能を浴び、最高0.72シーベルトを記録しました。特に事故現場近くにいた人は骨髄に被ばくしたことが判明しています。

カラチャイ湖周辺の汚染がさらに進む

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放射性物質の廃棄場所であったカラチャイ湖も、この事故によってさらに汚染されました。周辺地域に住む住民の健康被害は甚大で、事故後のガン罹患率は事故前と比べて21%上昇し、先天性欠損症が25%、白血病は41%にまで上昇したと言われています。

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カラチャイ湖汚染|ソ連が隠ぺいしたウラル核惨事

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これほどの甚大な被害をもたらした事故にも関わらず、ソ連は事故を隠蔽します。周辺住民にも事故の詳細は説明されませんでした。マヤークでの核開発による事故は、世界に知られてはいけなかったのです。翌年地元の住人の間で「オジョスク市で何かあったらしい」程度のうわさが流れただけでした。

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