姥捨山とは?親を山へ棄てるって本当?伝説の発祥や映画「デンデラ」も紹介!

遠い地域の老人ホームに追いやられることを姨捨山と呼ぶ例も

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人里離れた地域に高齢の親などを入居させると、あまり顔を見る機会がないことが多いのではないでしょうか。離れた地域でも、老人ホームなら安心感があると言う思いから、あまり親の様子を見に行かない、しばらくすると自然に足が遠のくと言うことがあるかもしれません。

遠く離れた地域の老人ホームに入居させることは、ある意味追いやられることにも近く、現代版姨捨山と呼ぶ例もあるからです。近所の老人ホームが空いていないから、と遠くの施設に入居させることが仕方がないことでもあり悲しい現実ではないでしょうか。

南伊豆の老人ホームは立地の悪さから非難されている

南伊豆にある老人ホームは、まさに非難の対象になっています。立地の悪さから日帰りはもちろん、家族が訪れることも困難な場所にあり、いくら高齢化が進み施設がないからとは言え、厄介払いのために入居させている、困難な場所はまるで姨捨山のようだと非難が絶えません。

高齢化問題は今に始まった話ではありませんが、近年では特に子供が親の世話をすると言う形より、夫婦が支え合う老老介護の問題がクローズアップされているのです。そこには施設の問題はもちろん、介護サービスの問題も多きく関わってきていることは否めません。

「まんが日本昔ばなし」における「姥捨山」

「まんが日本昔ばなし」にも姨捨山は「うばすて山」として登場します。1976年1月10日の放送での話ですが、この話に心打たれた方も多いのではないでしょうか。

「まんが」とは言え、話に聞くだけではなく、姿を見たことで感情移入してしまうこともあるでしょう。放送された時のナレーションは市原悦子さんです。長野県地方の昔ばなしとして紹介されている話ですが、どのような話でしょうか。

内容は姨捨山伝説「枝折型」

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「まんが日本昔ばなし」では、青年が60歳を過ぎた親を山に捨てに行くも、戻ってきて親を床下に隠すと言う話です。そこへ国のお触れが出て、隣国が攻め入るのに知恵を働かせる親の話になっています。

最初は「枝折型」のように息子の身を案じているのですが、隣国が攻めいる時に知恵を働かせ解決させ、親の知恵と知った国が今度は敬うようにした姿はどこか「複合型」にも近いでしょう。長野県地方の話とはなっていますが、60歳を過ぎた年齢で姨捨山に行くと言う話は東北地方のことも指しているのかもしれません。

『うばすて山』を見た反応

「まんが日本昔ばなし」の「うばすて山」を見た方の反応は様々で、長野県には怖い話も存在するといった話もあります。または伝説が本当なら悲しいという意見や、地域によっては話が異なるなど様々です。

無事に連れ帰った話が多い、置いてきた話もあるなど様々ですが、影響が多かったことは確かでしょう。その内容を見て初めて姨捨山の話を知ったという方も中にはいます。悲しい話が含まれている一方、親を大切にしないといけないという意味も含まれていることが伺えるかもしれません。

姨捨山をモデルにした映画があるデンデラ

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姨捨山をモデルにした映画はいくつかありますが、その中でも怖いとも捉えられる内容もあります。必死に生きようとする姿を描いた話、小説を元にした映画など様々ですが、怖いとも言われるのはある意味悲しみから生まれる内容に復讐心が加わった内容が盛り込まれたりなど様々です。

小説からの内容ではカンヌ映画祭でグランプリを受賞するなど、姨捨山の伝説には魅了するものがあるのでしょう。

姥捨のその後を描いた「デンデラ」

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悲しく怖い内容について触れましたが、姨捨のその後を描いた「デンデラ」という映画があります。棄てられた老人たちが必死に生きようとする話ですが、そこに生まれるのは「生きる」だけではありません。

棄てた者たちへの復讐心が見て取れることでしょう。姨捨の内容ではあるものの、その後を描くといった映画「デンデラ」も、また悲しく恐ろしい話なのかもしれません。

同名小説をモデルにした映画「楢山節考」

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どこか宗教的要素も加わっていると感じるかもしれませんが、見るものにショッキングな感情を抱かせる内容になっている「楢山節考」は、まさに小説と同名になっています。

モデルにしていることは確かですが、70歳を迎えた親と子の姿、自然の中では致し方ないくらい現実なら恐ろしさも感じる内容は、第36回カンヌ映画祭でグラン王離に輝いたことも頷ける内容になっているでしょう。悲しみや優しさの中でショックも受ける内容になっているのが、映画「楢山節考」です。

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