ノーパン喫茶はどんな風俗店?現在はある?歴史やサービス内容を解説

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彼女は店員として働いていた女性になります。もちろんその格好は先述でも紹介したような過激な格好だったようで、その容姿からお店ではアイドル的な存在として人気を博していったのだそうです。

務めていたお店は新宿歌舞伎町にある「USA」と呼ばれるお店だったそうで、この名前はもちろん源氏名です。本名は「勝又君枝」というそうで、当時お店がテレビなどで取り上げられることとなってその存在がより人気急上昇となっていったのです。

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それまで、風俗で働く女性はさほど美人な人はいなかったといわれているそうでが、その中で抜群な容姿を持っていたため、人気にはそう時間がかからなかったそうです。また、当時はインタビューなども数多くあって、テレビ取材などでもその人気を加速させていったといわれています。

その人気の高さから、歌舞伎町のアイドルやノーパン喫茶の女王とも称されるほどの存在となっていたそうですが、彼女は中学時代にタレントにあこがれていたこともあり、モデル経験や自分磨きを行っていたが故の物だったのでしょう。

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また、喫茶で働く前は地元の静岡県で働き休日になると東京に出て遊ぶという暮らしをしていたそうです。そんな中、とある求人を見つけて働いたのがこの喫茶店だったそうです。

底から駆け上がるように人気を伸ばしていく彼女は、お店を辞めた後も女優や歌手といった幅広いジャンルで活躍をしていくことになります。

明石家さんまとの熱愛も噂された

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絶大な人気を誇る彼女ですが、その人気故に今では誰もが知る有名人との関係が噂されたこともあります。その人物というのが明石家さんまさんです。当時31歳のさんまさんは、22歳のイヴにほれ込んでいたといわれています。

出会いは、伝説のお笑い番組である「オレたちひょうきん族」。そこで出会った女性は非常に清楚な女性で、さんまさんも惹かれていったのだそうです。

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元々風俗店に勤めることもあって誤解を生みがちではありますが、当時の彼女はとても清楚で、その美貌も相まって非常に人気だったのです。さんまさんも、そんな彼女にひかれていったと当時大きくうわさされたことがあるのです。。

風俗情報誌で紹介されて人気に

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人気のきっかけは、とある情報誌に掲載されたことがきっかけともいわれています。その雑誌が「ナイトタイムズ」と呼ばれるもので、当時の風俗情報を網羅したかなりの人気の情報誌だったようです。

そこで取り上げられた瞬く間に人気を博していったといわれています。もともと人気だった彼女ですが、取材により会いに行けるアイドルのような特別な存在にもなっていき、また氏名も多いことを紹介されることで益々人気を増やしていったのです。

会いに行くためにファンが行列を作る

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いつの時代も会えるアイドルといいうものはすさまじいファンを持っているものです。絶大な人気を誇る彼女にファンが行列を作ったといわれています。彼女見たさに点が今で行列ができる日もあったと言います。

お店としては、一杯1000円のコーヒーで30分席について女性に接客してもらえるというルールだったそうです。行列をなして待ってまで彼女に会いたいと思われていたということは、それほどの高い人気ということです。一人で一日最高35人の氏名を受けたこともあったそうです。

イヴが語るノーパン喫茶

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時には長蛇の列をなす彼女ですが、そんな彼女にとってお店はどんなものだったのでしょうか。過去に彼女が語っている情報から調べていきます。彼女にとっては、まずお客さんは非常にかわいいものだったと語っています。

当時1000円で30分という時間を買ったお客さんの中には、頑張って覗こうとするお客さんも多かったようです。そんな男性陣には、ソフトにそこまでしなくても見えるものと注意もしたことがあるそうです。

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また、当時の仕事の一般的な丘陵と比較すると、とても高給をもらっていたとも語っています。そのため、非常に裕福な暮らしができたし普段の暮らしには戻ることは難しいだろうとも当時語っていたようです。

しかし、色々なお客さんが店に来店されるので毎日が楽しかったとも語っています。お店をきっかけに、一般的な女性が味わえない充実した人生を歩むことができたと今も昔も思っているそうです。

1984年には日活ロマンポルノデビュー

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人気を誇りお店の中でも伝説と化していった彼女ですが、1984年にはお店を辞めます。そして映画の主演を果たすこととなります。映画タイトルは「イヴちゃんの花びら」というものでロマポルノデビューとなりました。

このころからは、同時に輸入下着のメーカーであるチェック・メイトのイメージガールとして務めたり、歌手としてもデビュー。またポルノ映画だけでなくアダルトビデオなどにも出演し、活動の中心として生計を立てていたそうです。

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1986年には舞台にも初挑戦し、その活躍の場を広げていきました。絶大な人気はまだまだ当時も現役だったようで、数千人の前で歌声を披露したりなど、まだまだとどまることのない活躍をいていたといわれています。

ノーパン喫茶の進化版?ノーパンしゃぶしゃぶとは?

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歴史ある喫茶店でしたが、実はその新派版としてしゃぶしゃぶ店も存在することを知っているでしょうか。そこではもちろんあられもない姿の女性が接客してくれて、食事をとれるというもの。その存在について詳しく見ていきましょう。

女性従業員がノーパンで接客してくれるしゃぶしゃぶ料理店

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この店は、喫茶店の芯版ともいえるお店で、コーヒーを出すだけでなくしゃぶしゃぶを食べることのできる食事処です。しかし、その名が示す通り、接客時女性の格好はミニスカートで下着なしの状態。

先ほどから述べているあられもない格好で接客が行われるお店なのです。また、床は鏡張りだったりで見えるような作りになっていて高い人気を得ていました。

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もちろんその料金の高さもすさまじく、2時間制のコース料理は19980円というものであり、フォアグラや松坂牛も提供されていたとのことです。また、人気を博した理由にはそのタイミングも密接にかかわっているといわれています。

というのも、当時この飲食店が人気を得たのは喫茶店が下火、あるいはなくなっていった時なのです。なので喫茶ではまっていた若者が、しゃぶしゃぶで丁度世代的にはまったといえるのもあったのです。

「ノーパンしゃぶしゃぶ事件」で有名に

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そんなお店ですが、実はとある事件によりその名前が瞬く間に広がります。その事件が「ノーパンしゃぶしゃぶ事件」です。この事件は、正式には「大蔵省接待汚職事件」と呼ばれるもので、官僚7人が逮捕されるというものでした。

本来大蔵省の監視委員会の人物が、不正な接待と横領で監視される側の人間と一緒になり、監視の目を緩めたり情報を流していたのです。そして、その接待の舞台となったのがこのお店だったのです。

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通常の接待ではこんな場所が使われるはずがないと感じている人も多いと思いますが、しかし実はこのお店はあくまでも飲食店。つまり、領収書も落とすことができるのです。そのためにこの舞台が選ばれたと言えます。

この事件は、もちろん当時は大きな話題となり、その優雅なお金の使い方はもちろん、政治家がこういったお店で、なおかつ不正な賄賂をもらっているといった事に大きく不満の声が上がり、大事件として注目を浴びました。

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ノーパン喫茶以前にあった風俗店

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風俗史を調べてみると過去には喫茶店以外にもいろいろなジャンルのものが誕生し消えていっています。喫茶以前に合った風俗店の歴史についても見ていきましょう。

赤線

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日本において、行員ともいえる状態で売春が行われていた地域のことをこう呼びます。1946年からはGHQの指定により、これらの地域は取り締まられることになりますが、戦前の遊郭などが営業形態を変えて売春などを取り締まられるまでの間営業していました

当時、警察では遊郭も含めて風俗の営業が認められる地域を、地図に赤線で囲んで表示していたことからこう呼ばれるようになったそうです。短期間ではありましたが、こういった営業が行われ、その後赤線廃止後は、さらに営業転向をするお店もあったそうです。

トルコ風呂

日本においては、個室付き特殊浴場のことを指しており、個室であることからそこで性的なサービスが行われるというものになります。始まった当初は、男性の性器に手でサービスするものであったそうですが、次第に本番行為も含まれるようになっていきます。

さらに、性行為だけでなく色々な倒しみ方も開発されることになり、トルコの本場の物とは違う趣向になったことで、トルコ人からの抗議が起き、そのごソープランドとして改称されることとなります。

ピンクサロン

こちらも先述したしゃぶしゃぶ店のよにうに、建前は飲食店になるお店です。しかし店内で行われるサービスの実態には、性的なサービスがあり、本番の性行為がないだけで、風俗店並みのサービスを受けることのできる表対になっています。

その他のお店やジャンルよりも、手ごろな料金でサービスを受けることができるので、繁華街を中心に日本全国で人気を博していくこととなります。

当時の雰囲気を知れる!ノーパン喫茶が登場する映画

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今や存在しない店なので、文字だけの情報ではあまり当時の雰囲気までを感じ取ることは難しいところもあるでしょう。そこで、当時の雰囲気を知ることのできる、参考になる映画があります。これには実際に登場もしているのでもっと知りたい人にはおすすめです。

女子大生 ザ・穴場

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この作品では、海外への旅行を計画する女子大生が、そのお金を稼ぐべく喫茶店でバイトをする姿を描く作品です。そこを舞台におりなす人間関係のドラマが繰り広げられます。

また、当時実際にあったのではないかといわれている、抽選での濃厚なサービスなど宇トーリー上で随所に見られるリアルなお店の描写で、実際の雰囲気を確かめることができるでしょう。

野獣刑事

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1982年に公開されたこの映画でもこのお店が登場します。詳しい登場シーンまではわかりませんが、破天荒な刑事である大滝という人物が中心となる話で、大滝はマスコミに事件をリークしたり、おとり捜査をいとわなかったりとかなりの自由な人物。

さらには、自分が逮捕した事件の関係者の女性に手を出し関係を持っていたりとするのですが、ある事件をきっかけにその関係を持った女性におとり捜査をさせて、自分の手柄を立てようとします。そこから事件解決に向けていくといった話です。

ノーパン喫茶が許された時代

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今では考えられないほどの内容の濃いお店を紹介してきたところですが、なぜそこまで寛容な時代だったのか、その時代背景にも焦点を当てていきましょう。実は当時はこうしたトップレスに寛容な時代だったそうです。

女性が胸を出すことには、抵抗は今ほど大きくなったといわれています。もちろん、一般的には抵抗があったことは事実ですが、その抵抗の低さはテレビ番組からも察することができるほどです。

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その当時では、テレビで女性が胸を出しているシーンもあったのです。今では不適切なコンテンツと呼ばれるものですが、当時はコンプライアンスの問題なども相当にハードルが低いものだったことが、こういったお店の人気の背景にあります。

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ノーパン喫茶の復活を願う声も多い?

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時代が時代だっということもありますが、その後廃れてしまった文化。しかし今でもその復活を願っている人は多いといわれています。それはもちろん、性的な楽しみの意味もあるようですが、そのほとんどが昔の思い出を懐かしむためという理由です。

過去の思い出を少しでも懐かしみたい、今はなくなってしまって際しいという意見が多いようなのです。当時のことを知っている世代にの人からすれば、少しでも復活することは相当な喜びなのではないでしょうか。

懐かしくて面白い昭和の性文化

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今では考えられないほどの過激な内容が存在したお店。それだけ聞くと許されないと思いがちですが、しかし昭和のまだ規制の甘かった時代ではそんな文化も成り立っていたのです。寛容でどこか面白い昭和の文化は今では貴重な良い思い出となるでしょう。

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