薩摩弁は、その難解さゆえに第二次世界大戦中は暗号として使用されことがありました。当時、連合国軍によってことごとく暗号を解読されていた日本軍が早口の薩摩弁で交信することを思いついたのです。結局、連合国軍がこの暗号が薩摩弁であると気付くまで2カ月かかりました。
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薩摩隼人の都市伝説を検証!

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薩摩隼人には、その勇猛果敢な戦士ぶりから、「えのころ飯」や「ひえもんとり」、「肝練り」といった都市伝説級のイメージが存在します。ここでは、これらをまとめて紹介ししながら、一つひとつ本当かどうか検証していきます。
薩摩隼人と犬食「えのころ飯」

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薩摩隼人が犬を食べていたのは事実です。ただし、これは薩摩に限った話ではなく、食料が豊富でない時代には全国で見られた光景です。ただ、江戸時代に入って生類憐みの令の影響もあり、各地の肉食の習慣は廃れていきましたが、薩摩はどこ吹く風とばかり犬食を続けていたので他の土地の人から「蛮行」だと言われるようになりました。
「えのころ飯」

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えのころ飯とは、江戸時代にみられた子犬の内臓を取り出し、そこに米をつめて食べる調理法で、江戸時代の文人・狂歌師である大田南畝が書いた「一話一言補遺」に「薩摩にて狗を食する事」として紹介されています。
薩摩隼人は豚肉のおかげで体が大きい

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全国的には肉食の習慣が廃れていた江戸時代にも肉食を続け豚肉も食べていた薩摩隼人。この豊富なたんぱく源のおかげで菜食中心の他藩の武士に比べて体が大きくても不思議ではありません。実際に明治維新の頃、薩摩隼人は他藩の武士に比べ平均身長が高かったという話です。
薩摩隼人は切腹好き

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こちらは事実とは違います。ただ、厳しい藩政が敷かれていたので切腹になる武士が多かったのは事実です。特に好きというわけではありません。幕末・維新の時代、切腹になる攘夷派の志士が多かったことからこのようなイメージになったとも考えられます。
薩摩隼人の「ひえもんとり」

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この「ひえもんとり」は事実です。「ひえもんとり」は、処刑後の遺体から内臓を取り出す訓練のことですが、この訓練は実際に戦場に行ったときに備えての鍛錬として実施されていました。ちなみに取り出された内臓は干して粉にして薬として使っていました。
薩摩隼人と「肝練り」

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こちらは真偽不明です。「肝練り」とは火縄銃を使ったロシアンルーレットのようなものです。司馬遼太郎の創作という説がありますが、江戸時代の文献「甲子夜話」にも登場します。こちらの本は噂話なども収録している本なので真偽は不明ですが、言葉が存在することは一概に都市伝説では片付けられないとも言えます。
薩摩隼人を育てた郷中教育|実は意外とインテリ

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薩摩隼人は、豪快で勇猛果敢なところから武にかたよった「脳筋集団」だとのイメージを持たれがちですが、実はとてもインテリジェンスな一面があります。ここでは、薩摩隼人を育てた郷中教育の中味について解説していきます。
地区単位で教育

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薩摩隼人の子どもたちの教育は地区単位で行われていました。その教育は①地域の家に上がり込みその家の長から教育を受ける(どこで何を教わっても良い)②一か所に集まりその日教わったことを発表し合い、意見交換をするという形で行われました。この地区単位の教育でコミュ力を養い、知識の定着を図ったのです
先輩は絶対の縦社会

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大人の世界と同様、子どもたちの世界も先輩や目上の人たちは絶対の縦社会でした。各地域には二才頭というグループリーダーがいてその下で統率されていました。あの西郷隆盛もこの二才頭で、子どもの頃から名グループリーダーとして尊敬されていたそうです。
「詮議」で身に着ける論理性

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また、「詮議」と呼ばれるケーススタディも行われていました。この「詮議」はテキストは使わず、①先生が生徒に「こういう時どうするか?」という議論を持ちかける②それに対し生徒が論理的な解決策を導き出すという形で行われました。薩摩隼人が取引や戦術に長けていたのは、この「詮議」のおかげでもあります。
薩摩隼人と肥後もっこすの気質の違い

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ここまで、薩摩隼人について解説してきましたが、同じ九州には「肥後もっこす」という言葉もあります。肥後もっこすとはどんな気質の人たちなのか。薩摩隼人とはどのような違いがあるのかについて解説します。
肥後もっこすの気質とは

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肥後もっこすとは、肥後国(現在の熊本県)出身者の気質を表す言葉です。その気質は、「津軽じょっぱり」、「土佐いごっそう」とともに、日本三大頑固のひとつに数えられます。とにかく頑固で意地っ張りというのが、肥後もっこすの特徴です。
肥後もっこすは議論好き

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肥後もっこすには、「自己顕示欲が強くたとえ間違っていても自分の意見を押し通す」、「短期で感情的」、「プライドが高く恥やメンツにこだわる」、「保守的だが新しいもの好きの一面もある」、「激しい性格だが陰険ではなく大らかで明るい」、「生真面目で純粋」など様々な特徴があり、中でも「肥後の議論倒れ」と言われるほど議論好きです。
薩摩隼人との違い

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「頑固」「激しい」という共通点もある薩摩隼人と肥後もっこすですが、違いを表す言葉に「薩摩の大提灯、肥後の鍬形」があります。薩摩では大きな提灯(力)を持った指導者が現れた時には一丸となるが、肥後では各自が兜をかぶり大将気取りで一致団結することがないことを表しており、自己顕示欲がの強い肥後もっこすの気質を表しています。
薩摩(鹿児島)の女性

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薩摩隼人は、薩摩(鹿児島)出身の武士、つまり男性を指す言葉ですが、一方、女性のことはどう呼ばれているのでしょうか。ここでは、薩摩(鹿児島)の女性の呼び方や気質などについて解説をしていきます。
薩摩おごじょ

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薩摩(鹿児島)の女性のことは、「薩摩おごじょ」と呼びます。
さて、少し話がそれましたがこの「薩摩おごじょ」。気立てが良い、やさしい、芯が通ったしっかり者という気質で知られています。明治維新では薩摩隼人が大活躍しましたが、それを陰から支えたのは多くの「薩摩おごじょ」たちだったのです。
天璋院篤姫

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2008年のNHK大河ドラマの主人公だった天璋院篤姫は、薩摩おごじょの代表例ともいえる人物です。1856年に薩摩の島津家から13代将軍徳川家定の正室として輿入れし、家定の死後も望郷の念を抑えて江戸に残り最後まで徳川家のために尽力しました。西郷隆盛に江戸城総攻撃を思いとどまるよう手紙を書いたのは有名な話です。
薩摩隼人が登場する漫画・アニメ

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ここでは、薩摩隼人が登場する漫画・アニメを紹介します。これらの漫画・アニメにより多くの人に勇猛果敢、豪快、傍若無人、破天荒といった強烈な薩摩隼人のイメージが植え付けられたといっても過言ではありません。
薩摩隼人が登場する漫画・アニメ①ドリフターズ

ドリフターズは、古今東西の英雄たちが中世ファンタジー風の異世界に召喚されるアクション系歴史ファンタジー作品です。関ヶ原の戦いの最中、謎の存在「紫」の手により異世界に召喚された島津豊久が、同じく召喚された織田信長や那須与一などの英雄たちと大暴れします。この作品では薩摩隼人の豪快で、傍若無人な姿が描かれています。
薩摩隼人が登場する漫画・アニメ②衛府の七忍

衛府の七忍は、大阪の陣の後、天下統一を果たした徳川家康に反逆する「怨身忍者」と呼ばれる主人公たちの活躍を描いた作品です。この作品で薩摩隼人は主人公「怨身忍者」たちの敵として登場し、傍若無人ぶりを見せつけます。特に「誤チェスト」という言葉は強烈な印象を与えています。「誤チェスト」に興味を持った方はこちらをご覧ください。
薩摩隼人が登場する漫画・アニメ③ゴールデンカムイ

明治時代末期の北海道・樺太を舞台に金塊をめぐるサバイバルバトルを描いた作品です。この作品には、薩摩隼人として陸軍少尉「鯉登」が登場します。自顕流の使い手で、上司(鶴見中尉)に過剰な忠誠心を見せる青年として描かれており、普段は標準語ですが興奮すると異常に早口の薩摩弁になり何を言っているのか分からなくなる様子が印象的です。
薩摩隼人が登場する漫画・アニメ④薩摩義士伝

薩摩義士とは、江戸時代中期に美濃国(現在の岐阜県)の揖斐川、長良川及び木曽川の三つの河川の治水工事に多大な犠牲を払って従事した薩摩藩士(薩摩隼人)のことで、この薩摩義士の艱難辛苦、凄絶なドラマを描いたのが薩摩義士伝という作品です。この作品は当時の薩摩隼人の姿を、ありのまま、赤裸々に描き出しています。
薩摩隼人が登場する漫画・アニメ⑤薩南示現流

示現流の流祖・東郷重位の峻烈な生き様を描いた剣術時代劇画で、東郷重位の若かりし日から晩年まで、剣の道を究め、流派を築くまでの過程が描かれています。単に剣技だけではなく、剣を使う人の内なる精神にもスポットを当て、東郷重位が遺した「示現流」のあり方に迫った作品です。
薩摩隼人は噂にたがわず文武両道だった

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ここまで薩摩隼人について解説してきました。「怖い」、「乱暴者」というイメージが先行することのある薩摩隼人ですが、勇猛果敢であるだけではなく、教育にも熱心で文武両道という一面も持っていました。だからこそ時代の節目節目で世の中を動かす力を持ち得たのです。
朝鮮耳に関する記事はこちら
誤チェストに関する記事はこちら