薩摩隼人とは戦闘民族?特徴や強さ、都市伝説を検証!肥後もっこすとの違いも

薩摩隼人といえば薩摩弁ですが、この薩摩弁には、スパイ対策としてわざとわかりにくくした人工方言だとか第二次世界大戦中は暗号だったという説や噂があります。ここでは、薩摩弁の特徴や成り立ちなどについて解説していきます。

ヒアリング不可能な薩摩弁

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薩摩弁は、2018年に放送されたNHK大河ドラマ「西郷どん」でも話題になったように、複雑なイントネーションや単語、語尾、言い回しなどのため、非常に難解で、他の土地の人が聞いても字幕なしには理解不能とまで言われています(この点は地元の人も自負しているとのこと)。

薩摩弁は独自の進化をとげた人工方言

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薩摩藩は、幕府に秘密で外国と貿易をしていたことや密かに武力を蓄えていたことなどからよそ者の侵入には特に敏感でした。そのため、よその土地から人が入ってもすぐに分かるようにスパイ対策として方言をさらに分かりにくく進化させたという説が一般的になっています。

学術的な根拠はない

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ただ、この説は、小説や時代劇で薩摩藩の優れた戦略性や手強さを盛り上げるエピソードとしてはしばしば使われることはありますが、学術的な根拠はなく、言語学関連の学会で肯定的に取り上げられたことはありません。

スパイを寄せ付けない独立国家「薩摩」

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しかし、この難解で理解不能な薩摩弁のおかげでスパイを寄せ付けない独立国家「薩摩」が誕生したことは事実です。薩摩藩が明治維新をリードした背景には、秘密貿易で得た資金などで、幕府を凌ぐ軍事力を蓄えていたことも一つの要因としてあげられます。

第二次世界大戦では暗号として使用された

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薩摩弁は、その難解さゆえに第二次世界大戦中は暗号として使用されことがありました。当時、連合国軍によってことごとく暗号を解読されていた日本軍が早口の薩摩弁で交信することを思いついたのです。結局、連合国軍がこの暗号が薩摩弁であると気付くまで2カ月かかりました。

薩摩隼人の都市伝説を検証!

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薩摩隼人には、その勇猛果敢な戦士ぶりから、「えのころ飯」や「ひえもんとり」、「肝練り」といった都市伝説級のイメージが存在します。ここでは、これらをまとめて紹介ししながら、一つひとつ本当かどうか検証していきます。

薩摩隼人と犬食「えのころ飯」

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薩摩隼人が犬を食べていたのは事実です。ただし、これは薩摩に限った話ではなく、食料が豊富でない時代には全国で見られた光景です。ただ、江戸時代に入って生類憐みの令の影響もあり、各地の肉食の習慣は廃れていきましたが、薩摩はどこ吹く風とばかり犬食を続けていたので他の土地の人から「蛮行」だと言われるようになりました。

「えのころ飯」

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えのころ飯とは、江戸時代にみられた子犬の内臓を取り出し、そこに米をつめて食べる調理法で、江戸時代の文人・狂歌師である大田南畝が書いた「一話一言補遺」に「薩摩にて狗を食する事」として紹介されています。

薩摩隼人は豚肉のおかげで体が大きい

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全国的には肉食の習慣が廃れていた江戸時代にも肉食を続け豚肉も食べていた薩摩隼人。この豊富なたんぱく源のおかげで菜食中心の他藩の武士に比べて体が大きくても不思議ではありません。実際に明治維新の頃、薩摩隼人は他藩の武士に比べ平均身長が高かったという話です。

薩摩隼人は切腹好き

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こちらは事実とは違います。ただ、厳しい藩政が敷かれていたので切腹になる武士が多かったのは事実です。特に好きというわけではありません。幕末・維新の時代、切腹になる攘夷派の志士が多かったことからこのようなイメージになったとも考えられます。

薩摩隼人の「ひえもんとり」

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この「ひえもんとり」は事実です。「ひえもんとり」は、処刑後の遺体から内臓を取り出す訓練のことですが、この訓練は実際に戦場に行ったときに備えての鍛錬として実施されていました。ちなみに取り出された内臓は干して粉にして薬として使っていました。

薩摩隼人と「肝練り」

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こちらは真偽不明です。「肝練り」とは火縄銃を使ったロシアンルーレットのようなものです。司馬遼太郎の創作という説がありますが、江戸時代の文献「甲子夜話」にも登場します。こちらの本は噂話なども収録している本なので真偽は不明ですが、言葉が存在することは一概に都市伝説では片付けられないとも言えます。

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