リクルート事件とは?戦後最大の疑獄事件の真相とは?

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リクルート社はそれぞれの従業員にも当事者として問題と向き合うことを要求します。会社の立て直しは経営陣だけに与えられた課題ではない、ということです。従業員側でも検討や議論を積み重ねてゆきました。その結果出てきた提案は、同社の新しい経営理念や倫理綱領に反映されています。

ゼクシィ・SUUMOなどを手掛ける大手企業

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リクルート社は、ダイエーの業績悪化に伴って、2000年(平成12年)ごろに、ダイエーの支配下から再び独立します。現在のリクルート社は、どの企業グループにも属さない中立の立場で、さまざまな情報を提供する大手の総合サービス企業として事業を展開しています。

リクルート社の活動の中で特に知られているものとしては、「リクナビ」(就職)、「SUUMO」(住宅・不動産)などのサイト、そして情報誌の「ゼクシィ」(結婚)などがあります。海外事業も大きな柱になっています。株式上場後3年たった2017年(平成29年)には売上高が54%も増え、株式の時価総額は2.5倍になりました。

リクルート創業者「江副浩正」とは

リクルート事件は政財界を大きく揺り動かし、その後の政治の流れにすら大きな影響を与えました。それではこのような大きな事件を引き起こした江副浩正(えぞえ ひろまさ)氏とは、いったいどのような人物だったのでしょうか?

生い立ち

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江副浩正は、1936年(昭和11年)6月12日に、数学教師の長男として大阪府で生まれました。実母からは父親に一方的に離縁という形で引き離されたり、母親の違う弟がいたりするなど、貧しく複雑な家庭環境のもとで、江副はあまり目立たないがユニークな発想を持つ人間として成長します。

江副浩正のユニークな発想の一部をうかがわせるエピソードとして、大学受験の際の外国語科目に試験が比較的簡単で受験者数も少ないドイツ語を選んだことがあげられます。その結果、地元では裕福な家庭の子供が通う学校として知られている甲南中学・高校から東京大学に進学し、教育学部教育心理学科を卒業しました。

「ベンチャー起業家の草分け」との異名も

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江副浩正は東京大学に在学中、財団法人東京大学新聞社で働いて企業向けの営業の仕事を覚えました。そして卒業後の1960年(昭和35年)にリクルートの前身となる会社(「大学新聞広告社」)を創業し、何回か社名を変えながら、事業を大きく発展させました。社名を「リクルート株式会社」に変更したのは1984年(昭和59年)のことです。

創業当初の事業の内容は就職情報誌の発行だけでしたが、やがて不動産や転職情報の提供、子会社を通じての金融業やリゾート開発までジャンルを幅広く広げ、江副浩正は「ベンチャー起業家の草分け」という異名を取るほどの有名な経営者になりました。

事件を機に会長辞任

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しかし新興企業として財界の中で孤立をしがちだった自社の立場を強化しようとした江副は、リクルート事件を起こしてしまいます。その結果1988年(昭和63年)11月21日に国会(衆議院リクルート問題調査特別委員会)に証人として喚問された江副浩正はそれを潮時として、同年1月に就任したばかりのリクルートの会長職を辞任します。

そして1989年(平成2年)に江副浩正は贈賄罪で逮捕・起訴されます。裁判には2003年(平成15年)まで14年の年月がかりますが、最後は東京地裁で懲役3年執行猶予5年の有罪判決を受けました。江副側も検察も控訴せず、そのまま刑が確定します。

その後の活動

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54歳という若さでビジネスの第一線から退くことになった後の江副浩正は、特例財団法人江副育英会理事長として人材育成活動を行ったり、慈善活動や好きなオペラの発展のために尽力するなど、文化面のパトロンとして活動を続けています。

特に江副のオペラへの傾倒と日本のオペラ界への貢献はかなりのもので、新国立劇場東京オペラシティに多大な支援を行った他、自らもオペラ興行団体「ラ・ヴォーチェ」を2001年(平成13年)に立ち上げ、代表を務めていました。「ラ・ヴォーチェ」は江副の死後名前をいったん「愛宕」に変更し、その後解散しています。

肺炎により76歳で死去

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江副浩正はリクルート事件について、背負い込んでしまったトラウマのため、長い間沈黙をつらぬいていました。しかし2009(平成21)年に当時の気持ちを述べた手記を発表し、その沈黙を破ります。江副は2013年(平成25年)2月8日に東京都内の病院で亡くなりました。享年76歳で、死因は肺炎です。

経営者としての江副浩正

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リクルート事件の主犯であるため「悪者」のイメージが強い江副浩正です。しかし江副氏にそのようなレッテルが貼られる前の、経営者としての評価はどのようなものだったのでしょうか?ここでは経営者としての江副浩正の評価と、彼の影響が今日も尚続いている事実を、簡単に紹介します。

贈り物が好きな性格

リクルートの未公開株と関係があるかどうかはわかりませんが、江副浩正は社員が結婚すれば包丁セットを贈り、子供が生まれることがわかれば「スポック博士の育児書」を贈るなど、社員との関係を強化したり客先との関係を円滑にするように、贈り物にとても神経を使っていました。

取引先に対しても、何か贈り物(賄賂ではない、通常のプレゼント)を贈る際には、非常に気を使って品物を選んでいたそうです。他社の関係者も「(当社の)贈り物のレベルは彼にかなわなかった」と脱帽しています。そのきめ細やかな気遣いが、クライアントとの関係を円滑にするのに役立ったのはいうまでもありません。

経営者としての感性と直感の鋭さ

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その一方で、創業から30年ほどの間に自分が創業した小さな企業を、彼が経営から身を引いた後も発展を続ける超一流企業へと発展させた力量は、江副浩正が凡庸な経営者でなかったことをはっきりと示しています。

経営者としての合理性と直感の鋭さは抜群で、しかも現場に通じていた彼の指示は、常に的を射たものであったといわれています。事業意欲も常に旺盛で、これからマンションが売れると判断すれば不動産業に乗り出し、通信分野が発展すると感じたら日本を変えるほどの覚悟で事業を起こし、それらを次々と成功させました。

東大が生んだ戦後最大の起業家

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江副浩正の頭の中では「贈り物が好き」に表される感性の鋭さと、商売に対する鋭い直感と合理性が、極めて高いレベルで調和していたと考えられます。リクルート事件の容疑者として彼を調べた検察官でさえ「彼は非常に頭の良い人で、何を話せば会社に影響するかを知っていた」と証言しています。

江副浩正の経営哲学は、孫正義や堀江貴文など日本の多くの起業家に大きな影響を与え、今日でも一部の人間からは「世の中にめったに現れない優秀な経営者」「東大が生んだ戦後最大の起業家」であるという極めて高い評価を受けています。そして彼の経営のDNAは、今日においても日本の経済界に大きな影響を与え続けています。

リクルート事件「冤罪説」も浮上

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江副浩正は株式会社リクルートの地位を財界の中でより強く安定したものにする目的で、リクルート事件を引き起こしました。しかし江副氏のやったことは法律に違反しておらず、リクルート事件はぬれぎぬに過ぎないという「冤罪(えんざい)説」も、一方では出されています。

リクルート事件はマスコミと検察がグルになって、当時の商慣習として当たり前のことをしていた江副氏をはじめとする関係者を、金銭にどん欲な悪人の群れに仕立て上げたものに過ぎないという、仮説です。

当時は未公開株を売るのは当たり前?

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江副浩正氏は、確かにリクルート・コスモスの未公開株を政財界の有力者たちに譲渡して回りました。しかしそれは信頼できる知人や社会的に信用のある人々に未公開株を持ってもらうことによって、不安定な新規上場会社の立場をしっかりと固めようとすることが目的で、実は証券業界の常識でもありました。

未公開株が公開されるときには株が値上がりすることが多いのですが、株は売るタイミングを間違えば値下がりして損失を出す性質を持っています。公開後の適切な時期に売却して大きな利益を得た人が多かったリクルート・コスモスの未公開株ですが、実際に売るタイミングを間違えて損失を出した人もいたはずです。

実は一審では無罪だった

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検察が容疑者を取り調べる様子は非常にきびしいもので、江副浩正氏をはじめリクルート事件の容疑者達も、他の冤罪(えんざい)事件の被告人と同じように、検察の強圧的な捜査手法によって次第に精神的に追い詰められて、うその供述と、うその検事調書への署名をさせられた可能性があります。

江副浩正氏自身も、2009(平成21)年に発表した手記で、当時の拷問まがいの取り調べの様子を描いています。壁を向いて長時間立たせたり、土下座をさせられたりして抵抗する力を失っていったそうです。そのためリクルート事件の一審では、検事調書は信用できないと裁判官が判断して江副浩正氏に無罪判決が出ていました。

マスコミの批判により有罪となった?

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一審で無罪判決が出たにもかかわらず、判決を下した裁判官に対するマスコミの激しい批判が影響したのか、続く二審の裁判官は検事調書は信頼できるとして、有罪の判決を下しました。有罪判決を下した二審の裁判官を、マスコミが批判することはありませんでした。

マスコミは、検察からあらかじめリークされた情報をもとに、江副浩正氏や未公開株を受け取った人間はすべて金の亡者だと信じ込んで、彼らを悪者に仕立てたのです。一般の人々の多くも、この検察とマスコミがグルになった激しい取材合戦の結果として得られた誤った情報を、信じてしまいました。

根拠が薄い「冤罪説」

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リクルート事件「冤罪(えんざい)説」には、ひとつの大きな欠陥があります。贈賄側主犯の江副浩正氏には一審で有罪判決が下りていて、江副氏側は控訴をしていないという事実があるのです。江副浩正氏は二審で争うようなことはしていません。そのためリクルート事件冤罪(えんざい)説は根拠が薄いものであると、判断せざるを得ません。

一審で無罪になり二審で逆転有罪になったのは、リクルートの元社長室長です。また、その他10人の裁判の結果(すべて執行猶予つき有罪)も一審で確定した人、二審で確定した人、最高裁まで争った人など、さまざまです。リクルート事件「冤罪(えんざい)説」の提唱者は、江副浩正氏と他の容疑者を混同させながら、この仮説を立てたようです。

リクルート事件とロッキード事件の違いは?

戦後に起こった政界の大スキャンダルとして有名なものとして、リクルート事件の他にロッキード事件があります。この事件はロッキード社という航空機を製造する会社が、日本の政治家に賄賂を贈って、日本の航空会社が航空機を選ぶときに、自分の会社のものを使ってくれるよう働きかけてもらおうとした事件です。

ロッキード事件は、元首相であった自民党の田中角栄の逮捕というショッキングな結末が印象に残る大きなスキャンダルです。ロッキード事件の詳しい内容については、次の記事を参照してください。またもうひとつ別の政界スキャンダルとして、佐川急便事件も取り上げておきます。

スケールが異なる

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実は、日本のロッキード事件は全体のごく一部です。本来のロッキード事件は日本だけでなく、アメリカ(ロッキード社はアメリカの会社)、メキシコ、オランダ、ヨルダンなど多くの国の政財界を巻き込んだ、国際的な大スキャンダルでした。

これに対してリクルート事件は、スケールが大きいとはいえ、影響はあくまでも日本国内の政財界にとどまりました。全体の規模で比較すると、ロッキード事件はリクルート事件に比べ物にならないほど、大規模な事件だったのです。

賄賂の種類が異なる

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リクルート事件とロッキード事件のもうひとつの大きな違いは、贈った賄賂の種類が異なる、ということです。リクルート事件では未公開株を贈るというやや風変わり(?)な方法をとったのに対して、ロッキード事件では現金を賄賂として贈るという、ごく当たり前の方法で引き起こされた事件でした。

ちなみにロッキード事件で賄賂として使われたの金額の総計は約20億万円で、そのうち、田中元首相に賄賂として贈られたのが5億円でした。これに対して、リクルート事件では、賄賂として使われた未公開株を公開後売却した利益は、合計約6億円に達したそうです。

フィクサーの暗躍

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ロッキード事件ではフィクサー(黒幕)の活躍がありました。児玉誉士夫(こだま としお)氏という右翼の活動家です。政界に絶大な影響力を持つと同時に裏社会にも通じていて、この事件の際はロッキード社の秘密の代理人として働きました。1960年(昭和35年)に行われた児玉誉士夫氏の生前葬では、大物の政治家が続々と焼香したそうです。

一方リクルート事件では、フィクサーの役割を果たした人間の存在は確認されていません。しかしリクルート事件では関係する大物の政治家がすべて逮捕と起訴を免れています。このことから「フィクサーの役割を果たした謎の人物」が事件の裏で活動していたことを、完全に否定することも、できません。

関係者の不審死の発生は共通

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ここでひとつだけ共通点を述べておきます。リクルート事件でもロッキード事件でも、事件関係者の周辺人物の疑わしい死亡事件があった、ということです。リクルート事件では竹下首相(当時)の秘書が疑わしい自殺を遂げたことは既に述べました。

ロッキード事件では2名です。まずフィクサー児玉誉士夫氏の通訳であった福田太郎氏が1976年(昭和51年)2月4日、続いて田中角栄元総理の運転手の笠原正則氏が同じ年の8月2日に急死しました。立て続けに関係者が亡くなったので「闇の力の手で抹殺されてしまった」という説が流れたのも、リクルート事件と同じです。

現職議員の逮捕

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再びリクルート事件とロッキード事件で異なる点に戻ります。どのような人間が逮捕されたか、ということです。リクルート事件では関係した政治家の人数のがとても多いのに比べて実際に逮捕・起訴されたのはごくわずかで、しかも「超大物」といわれる政治家に関しては、ほとんどがおとがめなし、つまり不起訴処分でした。

しかしロッキード事件は、田中角栄という大物の政治家が他の2名とともに1976年(昭和61年)に逮捕された、という点が違います。田中元首相は1983(昭和58)年には一審で懲役4年追徴金5億円の判決を受けて控訴、1987年(昭和62年)には控訴棄却で上告します。上告審は1993年(平成5年)に本人の死亡で打ち切られます。

リクルート事件には2019年東池袋暴走事件の犯人が関与?

2019年(平成31年)4月19日に東京都豊島区東池袋で、大変に痛ましい交通事故が起こりました。東京メトロ東池袋駅の近くの交差点で、87歳の男性が運転する乗用車が暴走して、交差点内の横断歩道に突っ込み、横断歩道を横断中だった母親と幼い娘をひき殺し、10人(運転していた男性とその妻を含む)を負傷させたというものです。

東池袋暴走で多くの人命を奪った飯塚幸三

母親と幼い娘の命を奪った87歳の男性は飯塚幸三という名前で、旧通産省工業技術院の元院長という、元エリート公務員であることがわかりました。ところが信じられないことにこの飯塚元院長は、リクルート事件と深い関係があったという説が広まっています。飯塚元院長はリクルート事件の際​、国会で何度も答弁していたらしいのです。

当時の記録を調べてみると、飯塚元院長と同姓同名の旧通産省の技術院長が、国会で少なくとも3回答弁に立ったことがわかります。ただし彼がリクルート事件に関係したかどうかはわかりません。関係部門の責任者として国会に呼ばれて証言しただけ、という可能性も高いです。彼が東池袋暴走事件の犯人と同一人物だとしても、です。

政治家の圧力が関与?

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TwitterなどのSNSの世界では、この飯塚元院長がリクルート事件の隠された真実を知る人間なので、当時事件と関係のあった大物政治家のだれかの力で守られているのではないか?という憶測が飛び交いました。2名が死亡、10名が負傷という大事故を起こしたにもかかわらず、いつまで経っても警察に逮捕されないからです。

この仮説は興味深いものですが、真実味は薄いと判断せざるを得ません。江副浩正氏をはじめ、当時の大物政治家を含むほとんどの関係者が、すでに他界しているからです。むしろこの説と同時に飛び交っていた「飯塚幸三はずば抜けたエリート(上級国民)なので、警察も手が出せない」という説の方に、現在の格差社会の闇を感じます。

飯塚幸三「上級国民」説

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飯塚元院長が「上級国民」と呼ばれるようになったのは、死者を出した大事故を起こした人物が、いつまでたっても警察に逮捕されないことからです。そのためマスコミも彼を「飯塚容疑者」とは呼ばず、「飯塚元院長」「飯塚元職員」「飯塚氏」「飯塚さん」などと呼び続けています。

これに対して同時期(4月21日)に兵庫県神戸市で死亡事故を起こした神戸市営バスの大野二巳雄(おおの ふみお)運転手は現行犯で逮捕されました。マスコミも「大野容疑者」と名前に「容疑者」を付けて呼んでいます。この事実も「飯塚幸三上級国民説」がインターネットの世界で広がるのに、一層拍車をかけています。

逮捕されない理由

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飯塚元院長が逮捕されないことについて、ある弁護士は「大野運転手は軽いケガだけだったため現場から逃亡の恐れがあったが、飯塚元院長はケガが重くて入院中であったため逃亡をしたり証拠を隠す恐れはないと、警察が判断したのだろう」と推測しています。

今後、飯塚元院長が逮捕されなかったとしても、これだけの大事故を引き起こしたのだから、いずれ起訴されることになるでしょう。警視庁は飯塚元院長について、過失致死傷の容疑での立件に向けて調査中だそうです。飯塚元院長の呼称が「飯塚被告」に変わる日は、いつか、確実にやって来るはずです。

飯塚氏が逮捕されない法的根拠

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逮捕は刑罰ではありません。捜査の上で必要な場合のみ行います。逮捕されるとその人は拘置所や留置所に拘禁されますが、入院中なら拘禁できません。しかも逮捕してから48時間以内に送検(検察庁へ本人や証拠を送ること)しないといけないし、原則10日以内(延長できても20日以内)に、起訴するか不起訴にするかを決める必要があります。

飯塚元院長がケガで入院中のため取り調べが不可能なら、たとえ逮捕しても時間がむだに過ぎて、あっという間に10日(あるいは20日)の期限が過ぎてしまいます。任意で事情聴取を行い続ける方が捜査に有利なケースもあるのです。飯塚元院長が高齢で逃亡の恐れがないことも、逮捕を見送った理由のひとつです。

政治とカネの問題には根深い闇が

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リクルート事件は江副浩正氏をはじめとする12人の逮捕と起訴で終わりました。しかし未公開株を受け取ったとされる大半の関係者は不起訴、つまりおとがめなしでした。特に超大物といわれる政治家達は、リクルート事件の影響などなかったかのように、その後も活動を続け、確固とした政治キャリアを築き続けました。

この問題は、現在の日本人の政治に対する態度にも、大きな影響を与えています。東池袋暴走事件の加害者に対する憶測にも、その影響が現れています。政治とお金の問題はもっと注目しなくてはならない問題です。この種の問題は今後も形を変えて発生するでしょう。次の事件ではビットコインが贈収賄に使われるのでしょうか?

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