リクルート事件とは?戦後最大の疑獄事件の真相とは?

江副浩正はリクルート事件について、背負い込んでしまったトラウマのため、長い間沈黙をつらぬいていました。しかし2009(平成21)年に当時の気持ちを述べた手記を発表し、その沈黙を破ります。江副は2013年(平成25年)2月8日に東京都内の病院で亡くなりました。享年76歳で、死因は肺炎です。

経営者としての江副浩正

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リクルート事件の主犯であるため「悪者」のイメージが強い江副浩正です。しかし江副氏にそのようなレッテルが貼られる前の、経営者としての評価はどのようなものだったのでしょうか?ここでは経営者としての江副浩正の評価と、彼の影響が今日も尚続いている事実を、簡単に紹介します。

贈り物が好きな性格

リクルートの未公開株と関係があるかどうかはわかりませんが、江副浩正は社員が結婚すれば包丁セットを贈り、子供が生まれることがわかれば「スポック博士の育児書」を贈るなど、社員との関係を強化したり客先との関係を円滑にするように、贈り物にとても神経を使っていました。

取引先に対しても、何か贈り物(賄賂ではない、通常のプレゼント)を贈る際には、非常に気を使って品物を選んでいたそうです。他社の関係者も「(当社の)贈り物のレベルは彼にかなわなかった」と脱帽しています。そのきめ細やかな気遣いが、クライアントとの関係を円滑にするのに役立ったのはいうまでもありません。

経営者としての感性と直感の鋭さ

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その一方で、創業から30年ほどの間に自分が創業した小さな企業を、彼が経営から身を引いた後も発展を続ける超一流企業へと発展させた力量は、江副浩正が凡庸な経営者でなかったことをはっきりと示しています。

経営者としての合理性と直感の鋭さは抜群で、しかも現場に通じていた彼の指示は、常に的を射たものであったといわれています。事業意欲も常に旺盛で、これからマンションが売れると判断すれば不動産業に乗り出し、通信分野が発展すると感じたら日本を変えるほどの覚悟で事業を起こし、それらを次々と成功させました。

東大が生んだ戦後最大の起業家

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江副浩正の頭の中では「贈り物が好き」に表される感性の鋭さと、商売に対する鋭い直感と合理性が、極めて高いレベルで調和していたと考えられます。リクルート事件の容疑者として彼を調べた検察官でさえ「彼は非常に頭の良い人で、何を話せば会社に影響するかを知っていた」と証言しています。

江副浩正の経営哲学は、孫正義や堀江貴文など日本の多くの起業家に大きな影響を与え、今日でも一部の人間からは「世の中にめったに現れない優秀な経営者」「東大が生んだ戦後最大の起業家」であるという極めて高い評価を受けています。そして彼の経営のDNAは、今日においても日本の経済界に大きな影響を与え続けています。

リクルート事件「冤罪説」も浮上

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江副浩正は株式会社リクルートの地位を財界の中でより強く安定したものにする目的で、リクルート事件を引き起こしました。しかし江副氏のやったことは法律に違反しておらず、リクルート事件はぬれぎぬに過ぎないという「冤罪(えんざい)説」も、一方では出されています。

リクルート事件はマスコミと検察がグルになって、当時の商慣習として当たり前のことをしていた江副氏をはじめとする関係者を、金銭にどん欲な悪人の群れに仕立て上げたものに過ぎないという、仮説です。

当時は未公開株を売るのは当たり前?

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江副浩正氏は、確かにリクルート・コスモスの未公開株を政財界の有力者たちに譲渡して回りました。しかしそれは信頼できる知人や社会的に信用のある人々に未公開株を持ってもらうことによって、不安定な新規上場会社の立場をしっかりと固めようとすることが目的で、実は証券業界の常識でもありました。

未公開株が公開されるときには株が値上がりすることが多いのですが、株は売るタイミングを間違えば値下がりして損失を出す性質を持っています。公開後の適切な時期に売却して大きな利益を得た人が多かったリクルート・コスモスの未公開株ですが、実際に売るタイミングを間違えて損失を出した人もいたはずです。

実は一審では無罪だった

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検察が容疑者を取り調べる様子は非常にきびしいもので、江副浩正氏をはじめリクルート事件の容疑者達も、他の冤罪(えんざい)事件の被告人と同じように、検察の強圧的な捜査手法によって次第に精神的に追い詰められて、うその供述と、うその検事調書への署名をさせられた可能性があります。

江副浩正氏自身も、2009(平成21)年に発表した手記で、当時の拷問まがいの取り調べの様子を描いています。壁を向いて長時間立たせたり、土下座をさせられたりして抵抗する力を失っていったそうです。そのためリクルート事件の一審では、検事調書は信用できないと裁判官が判断して江副浩正氏に無罪判決が出ていました。

マスコミの批判により有罪となった?

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一審で無罪判決が出たにもかかわらず、判決を下した裁判官に対するマスコミの激しい批判が影響したのか、続く二審の裁判官は検事調書は信頼できるとして、有罪の判決を下しました。有罪判決を下した二審の裁判官を、マスコミが批判することはありませんでした。

マスコミは、検察からあらかじめリークされた情報をもとに、江副浩正氏や未公開株を受け取った人間はすべて金の亡者だと信じ込んで、彼らを悪者に仕立てたのです。一般の人々の多くも、この検察とマスコミがグルになった激しい取材合戦の結果として得られた誤った情報を、信じてしまいました。

根拠が薄い「冤罪説」

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リクルート事件「冤罪(えんざい)説」には、ひとつの大きな欠陥があります。贈賄側主犯の江副浩正氏には一審で有罪判決が下りていて、江副氏側は控訴をしていないという事実があるのです。江副浩正氏は二審で争うようなことはしていません。そのためリクルート事件冤罪(えんざい)説は根拠が薄いものであると、判断せざるを得ません。

一審で無罪になり二審で逆転有罪になったのは、リクルートの元社長室長です。また、その他10人の裁判の結果(すべて執行猶予つき有罪)も一審で確定した人、二審で確定した人、最高裁まで争った人など、さまざまです。リクルート事件「冤罪(えんざい)説」の提唱者は、江副浩正氏と他の容疑者を混同させながら、この仮説を立てたようです。

リクルート事件とロッキード事件の違いは?

戦後に起こった政界の大スキャンダルとして有名なものとして、リクルート事件の他にロッキード事件があります。この事件はロッキード社という航空機を製造する会社が、日本の政治家に賄賂を贈って、日本の航空会社が航空機を選ぶときに、自分の会社のものを使ってくれるよう働きかけてもらおうとした事件です。

ロッキード事件は、元首相であった自民党の田中角栄の逮捕というショッキングな結末が印象に残る大きなスキャンダルです。ロッキード事件の詳しい内容については、次の記事を参照してください。またもうひとつ別の政界スキャンダルとして、佐川急便事件も取り上げておきます。

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