宇都宮病院事件とは?職員のリンチ殺人事件の概要と石川院長と病院のその後

石川院長は初めから精神科の医師ではありませんでした。石川医院という病院を精神科を設立する前は経営していました。石川院長本人は元々内科医でり、精神科や精神病患者についての知識は殆ど持ちわせていませんでした。精神科医に転向した際に東大医学部精神科の研究生となったことがきっかけで先ほど紹介した東大との癒着は出来上がっていきました。

東大医学部の医師から指導を受け宇都宮病院の医師となる

病院を大きくしたいと考えるのは決して悪いことではなく、開業している医者であれば考えることは必然なことでもあります。石川院長も精神医学を学ぶために東大の研究生となり竹村伸義から精神科に関する知識を学び精神病棟の設立が可能となり内科医から精神科医へと変更しています。

精神医学に関する知識を教えてくれた竹村伸義の事を院長は恩師として慕い、彼のために解剖した患者の脳を提供していたとの噂が出るほど真の黒幕として竹村伸義の存在は特別なものとなります。

精神衛生鑑定医の資格を取り宇都宮病院に解剖室を設置した

石川院長は、徐々に病院拡大の目安を立てていき精神衛生鑑定医を取得することに成功しました。この資格を所持したことにより、解剖室を設置することになります。この施設の設置が結果として死亡した患者の脳を摘出し東大医学部へ送るというルートができあがることになります。

特殊な症状の患者を積極的に受け入れた

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鑑定医の資格を取ったことにより病院の拡大が可能となりました。そのため、病院の利益と症例数の確保の為院長は病床数を拡大させていきます。また、解剖学の進歩のため珍しい症状の患者を多く・積極的に受け入れ病院は徐々に拡大していくとになりました。

ベッドの数が300を超えたころには、問題の多い患者の受け入れ先として全国でも名の知れた病院となりました。患者の身内からすれば積極的に受け入れをしてくれる為、最後の砦のような存在でしたが実態は私欲のための病床拡大と受け入れであり患者や患者家族を考えての事ではありませんでした。

宇都宮病院事件が起きた背景とは

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職員らによる暴行により患者が死亡してしまった今回の事件は、この当時の時代背景が起こした悲劇だとも言われています。すべての責任が病院側にあるともいえず、当時の法律自体にも問題点はあったのではという観点から精神衛生法が見直されることになりました。

事件が起きて、大問題にならない限り法律を見直すようなことをしなかった日本政府もまた加害者と言えるのかもしれません。精神疾患は患者との接し方など大変な病気ではありますが隔離が必要な患者はごく一部であり、他は普通の人たちと変わらない生活ができる人が殆どです。

宇都宮病院事件の背景①「精神衛生法」は患者を隔離するための法律

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事件が起きた当時は、精神患者に対する法律は「精神衛生法」といい明治時代に作られた「精神病院法」をそのまま引き継いだ内容でした。その内容というのは、精神疾患の患者を治療するのではなく、外部と隔離する事を目的としていた内容の法律となっていました。精神疾患を抱えている人を収容することで国からの援助金がもらえるというシステムでした。

宇都宮病院事件の背景②精神科は優遇されていて経営しやすかった

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精神科の診察を行い、精神障がい者を収容すると国から援助がもらえるため当時精神科病院が多く作られるようになりました。厚生労働省の特別措置で一般診療の病院と比べて医師は約3分の1、看護師数は約3分の2の人数で良いとされており人件費を大幅に減らすことが可能でした。

宇都宮病院事件の背景③精神科医ではない医師が大勢精神科医に転身

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精神科を設立し、患者を収容する事で国からの補助金がもらえるというのは経営者側からすれば非常に魅力的な内容でした。この魅力に食いつくように精神科病院が多く設立されることになりましたが精神科医の不足という問題も発生することになりました。

この精神科医の不足を補うために、多くの内科医や外科医が精神科医に転向するという事態になりました。病院の利益のために精神科に転向するため、専門的な知識もさほどなくレベルの低い病院が多く存在するようになりました。

宇都宮病院事件の背景④厄介者の受け入れ先として都合が良かった

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隔離することを目的としていた法律と病院であったため、精神疾患を抱えている人の身内が患者として強制的に入院をさせることができる施設として精神病院は都合のいい場所になっていたそうです。

宇都宮病院事件の捜査の行方

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今回の事件は、あまりにも衝撃的な内容であったことから世間でも非常に注目を浴びました。関係者300人以上の取り調べを行い、石川院長をはじめ9人が逮捕される事態に発展します。また容疑者として送検された人数は100名を超えていたと言われています。

1984年に家宅捜索された

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新聞での報道により事の重大さが判明し、警察は患者への暴力や違法な解剖などの真相を究明するべく病院の家宅捜索を行っています。家宅捜索により数々の病院の闇が明るみに出ることになり世間を驚愕させることになりました。

実行犯の看護職員5名と石川院長が逮捕された

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家宅捜索の結果、暴行を加えた職員・元患者5名と院長が逮捕となりました。220名にも及ぶ死亡者が出ているにも関わらず逮捕されたときの罪は2名の患者に対するものだけでした。既にかなりの年数が経過しており立証が困難であったことからというのが推測できます。

しかし、大勢の入院患者を暴力により支配していた事実を考えるとこの2名に対してだけでしか逮捕できなかったというのは、他の被害者や遺族からすればあまりにも残念な結果としか言いようがないでしょう。

捜査後には更に病院関係者4名が逮捕された

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捜査を続けた結果更に病院関係者4名が逮捕されこの事件の逮捕者は合計9名となりました。多くの逮捕者を出すことになってしまいましたが、利益のみを優先した経営ではなく職員や患者の環境を優先していればこのような最悪な事態に陥ることはなかったでしょう。

実行犯は傷害致死罪、院長は違法治療などの罪に問われた

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家宅捜査の後に院長と一緒に逮捕された職員5名の内4名は傷害致死罪の罪に問われ裁判へかけられることになりました。しかし、劣悪な環境により最悪の結果を引き起こした院長は殺人や傷害致死罪に問われることはありませんでした。

石川院長が問われた罪は、殺人罪でも傷害致死罪でもありませんでした。無資格者による医療行為の黙認による罪や・遺体解剖に関する違反・患者の栄養理違反違反など業務上での違法性を問われたのみになります。

220名いた死者のうち傷害致死罪に問われたのは2名分だけ

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院内での暴力などにより、220名にも及ぶ不審死、患者の金銭の着服等数々の犯罪行為が当然のように黙認され行われていても、他の病院拒否した患者を受け入れてきたことが社会的貢献とみなされ、裁判で罪に問われたのは2名の患者の傷害致死と院長の無資格の治療行為などに対する罪の身でした。

宇都宮病院事件の判決は?

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全てが暴行による死亡ではないものの、多くの暴行被害を受けた者がいるにも関わらず立件は難しいことから患者2名を死亡させた傷害致死に問われた4名と院長の4つの罪に対する裁判の判決はどのような結果となったのでしょうか。裁判の内容とそれぞれに下された判決について詳しく見ていきます。

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