宇都宮病院事件とは?職員のリンチ殺人事件の概要と石川院長と病院のその後

1人目の被害者に対する暴力行為による傷害致死では主犯格の看護職員1名は懲役4年の判決となっています。犯行に関与した2名の職員は懲役3年の実刑、暴行に加わった元患者については事件当時は躁病で心身耗弱の状態であったとされ懲役1年6ヶ月の実刑判決となっています。主犯格の看護職員以外はいずれも執行猶予がついています。

なお、2人目の被害者となった患者の暴力についても裁判で問われることになりましたが、直接の死因と暴力行為の関係性が断言できないとされ残念ながら1人目の被害者に対してのみの判決となっています。

石川院長は懲役1年の判決に控訴し8ヶ月の実刑

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地方裁判は石川院長に対し、懲役1年の判決を言い渡しました。傷害致死などに関する罪ではなく病院の管理体制に関する法律違反で傷害致死での有罪判決を受けた職員達よりも軽い刑でしたが院長はこの1年という判決を不服として控訴しています。

結果として高等裁判では地裁の1年という判決から減刑され懲役8ヶ月執行猶予なしという結果となりました。また、院長は医道審議会において2年間の医業停止命令が下されます。数々の違法行為に暴力の黙認等2年では短すぎるのではとの意見も少なくありません。

宇都宮病院事件のその後

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今回の事件は宇都宮病院だけでなく癒着していた東京大学医学部をも巻き込むこととなりまた、多方面から批判の声が上がり入院していた患者にも多くの影響が残る事件となりました。この事件の後に起こった出来事について見ていきます。

武村は刑事責任を負わず東大を退職しただけだった

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事件が公になったあと関与していたとされる東大の医師たちは厳重注意のみで終わることになりました。しかも注意の内容も厳重とは程遠く東大内部から受けたものだったとされており批判の的になりました。

また、石川院長と深く繋がりがあった武村伸義でさ刑事責任を問われるようなことはなく東大医学部を退職しただけに終わり、あろうことか東大医学部を退職した後は事件の現場となった病院で働いていました。黒幕ではと言われていたにも関わらず刑事責任を課せられることなく医師を続けいました。

宇都宮病院事件は他国からも批判が上がった

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この事件により日本における精神医療のひどい状況が国内だけでなく世界中でも明るみになり各国から多くの批判の声が上がりました。これは、当時世界的に見ても精神医療に対する患者の人権が問題になっていたことによりますがそれでも悪質すぎると集中砲火のようになりました。

各国から多くの批判を浴びた日本は、これまでの法律を見直すことにし精神保健法を制定することになりました。そして国連の場や各国が集まる場所においても精神障がい者の人権の保障と保護を約束することになりました。

宇都宮病院事件後に退院となった患者が事件を起こした事も

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入院していた患者の内170名の人は退院することになりました。入院が必要なのは、病気により自分自身や周囲の人に暴力をふるう可能性がある人のみでそれ以外の患者に対しては入院の必要はないと判断されたことによります。

しかし、退院後に殺人事件などの犯罪を起こしてしまった患者がいたのも事実になります。精神疾患との因果関係は証明できませんが、精神疾患という普通の人とは違うという観点から大きく精神病というのが大きく掲げられ精神病患者への偏見が増幅してしまったこともあります。

宇都宮病院は元患者から民事裁判を起こされた

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強制的に入院させられていた患者たちは、傷害致死のみの罪であることに納得ができず病院と院長を相手に民事裁判にて訴訟を起こします。民事裁判が決着したのは1996年になります。損害賠償が成立し決着となりました。

刑罰で裁判ができないのであれば、民事でとの考え方は被害者からすれば当然のことであり損害賠償を得ることができても暴力を受けた心の傷は簡単に治ることはできないでしょう。

宇都宮病院は今も経営しているが評判は悪い

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このような事件を起こしていたにも関わず、宇都宮病院は現在でも病院として稼働しています。国立の宇都宮病院もありますがそれと区別するために陽南の宇都宮病院と呼んでいる人もいます。しかし、昔の悪評は尾を引くものでGoogle等の口コミをみても評価は低く評判はいいとはお世辞でも言えない状況です。

宇都宮病院事件の院長はどんな人物?その後どうなった?

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事件を引き起こしてしまった根本的な原因は石川院長にあります。このような悲惨な事件を引き起こした石川院長は本当に悪人だったのでしょうか?石川院長の診察の様子や性格・人柄退院後の様子について見ていきます。

ゴルフのアイアンを持ち患者を暴行しながら回診していた

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院長は入院している精神疾患の患者をほぼ一人で診察していたと言われています。多い時には900名以上の入院者がおり診察に膨大な時間を要することから、回診は一人当たりわずか数秒という診察とは思えない行動でした。

また、精神疾患を抱えている者には暴力的な面を持っている人もいるため常にゴルフのアイアンを持った状態で病院内を歩き回り反発する患者には殴るなどして患者を支配し自らの身を守っていたそうです。

事件後も医師として診察を続けた

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事件の後に、院長を辞任していますが病院のホームページには精神科の主任医師のところに名前が載せられているそうです。かなりの高齢ではありますが現在でも医者を続け主任医師であることから石川院長の指導により精神科は存在しているようです。

自身のホームページで「暴力はなかった」と主張

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石川院長は自身のホームページで今回の事件の事を語っていました。自分の犯した無資格者の医療行為などについては反省していると述べていますが、暴力行為については虚言壁のある患者の言葉を信用しそのまま報道されたことにより事実は歪められ誤ったイメージがつけられたと記述しています。

暴力により死者が出たことや患者のお金を着服したことなどは一切なく患者の一方的な虚言や妄想であり暴力行為などはなかったと強く主張している文章になっています。真実はわかりませんが保身ともとれる文章であると捉えられます。

宇都宮病院事件後に「精神保健法」が制定

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精神疾患者に対する集団暴行による殺人や、日常的な暴行、無資格者に医療行為をさせるなどが各国に明らかになり批難を浴びまた1985年に国際法律家委員会が精神科医療の様子を調査したところ国際問題にまで発展することになりました。そこれこれまでの法律を改正し精神保健法が成立することになりました。

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