江川事件とは?歴代ドラフト史場最大の事件!巨人との空白の一日の真相は?

そのため当時はこのドラフト会議のルールは日本国憲法に違反しているのではないかと論争が巻き上がり、政治家たちが集う『国会議事堂』でもこのテーマが取り上げられ話題になりました。後述でも解説しますが、実は2019年現在もこのドラフト会議のルールがそこまで変わっていません。皆さんはこの問題についてどう思いますか?

逆指名制度やFA制度導入のきっかけに

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現在から26年前の平成5年より導入された『希望入団枠制度』(逆指名制度)では上位に選ばれるような優秀な選手には、どこのチームに入りたいかを考慮して、球団と同意を得れば希望のチームに入れるという規定がありましたが、こちらでもやはり裏で手引きする関係者や『ワイロ』などの事件が相次いで平成18年を最後に廃止になりました。

『フリーエージェント制度』(FA制度)は簡単に分かり易く説明するならば、選手がどの球団とも契約を結べる権利を持っているという規定であり、この制度に関しては2019年現在でも野球界だけではなく、スポーツ界やビジネスにおいても導入されていきました。こうして一人の選手の意見や権利を尊重して、可能性の幅を広げたのです。

江川事件の他に球界に影響を与えたドラフト騒動「KKドラフト事件」

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実は今回ご紹介している、現在から41年前の昭和53年に起きた事件及び一連の騒動だけではなく、実は日本のプロ野球界やドラフトに大きな影響を与えた『ドラフト騒動』があったのです。その騒動がどういったものなのか?また誰が指名されたものなのか?こちらの見出しで皆さんに詳しく解説していきます。

当事者は近年でも色々と世間を騒がせてしまった『清原』更にはその当時同じ野球部に所属して、一緒に甲子園を連破して、日本中を沸かせたピッチャーの『桑田』です。彼らは最終的にどんな進路を、つまりはどこの球団に入ることになったのでしょうか?そちらもここで分かり易く言及していきます。

清原・桑田のKKコンビのドラフト騒動

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前述の通りなのですが2人は同じ高校野球部で、同級生であり1人は『4番バッター』1人は『エースピッチャー』であり共にチームを勝利に導く大きな立役者として、高校野球や甲子園で大活躍して、野球関係者や世間、マスメディアから注目されていたのです。2人ともプロ入りは間違いなかったのですが、ある問題がありました。

それはお互いに入団を強く希望していたのは、その当時から球界で絶対的な強さと覇権を握っていた『巨人』だったのです。そこでピッチャーである桑田は『江川』と同じように大学進学を表明して、4番バッターである清原にその枠を譲る姿勢を見せていたのですが、ドラフト会議当日では『大どんでん返し』で巨人が一位に指名したのはピッチャーである『桑田』の方だったのです。

江川事件同様に巨人が桑田と裏で交渉していた

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『漢』と呼ばれる熱い清原もその裏切られたような宣告に、その場で涙してしまいました。大学に進学を表明していたピッチャーである桑田はこれに対して、入団を拒否するかと思いきやその後の会見では『挑戦しようかと思っています』『巨人の選手たちと同じところに立ちたい』といったような声明を上げたのです。

こうした声明に対して、また巨人が裏で手引きしていたのか?友人でありチームメートであった清原を裏切ったのか?などと大きな波紋を呼びました。このドラフト会議での巨人の1位指名については、色々な諸説があるようです。最終的には4番バッターの清原は奇しくも『西武』にピッチャーの桑田は『巨人』に入団しました。

清原の母の言葉「勝手に恋をして失恋しちゃっただけ」

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こうした友情を引き裂くような、悲しい結末となってしまった昭和60年のドラフト会議とその騒動ですが、当事者の一人である清原の母親は、一連の事態に上記の題の様に言及しており、一人で片思いを続けてきっとその恋は実るであろうと確信したのですが、最後には『ごめんなさい』と交際を拒否された男子のようだと表したのです。

とてもユーモアで強い母ちゃんらしい発言であります。後日談にはなりますがその後採用された『フリーエージェント権』を使って、西武ライオンズにいた清原も念願の巨人入りを果たして、桑田と2人プロ野球界でもチームメートとして共に勝利を目指して奮闘したのです。2人は日本人から『親友』として広く周知されています。

巨人が起こした他の事件

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今回ご紹介している事件や一連の騒動では、当事者として大きく読売ジャイアンツ及び『巨人』が関与しています。昔から球界では絶対的な強豪として、日本のプロ野球界に大きな影響を与え続けていますが、他にも過去には多くの事件や不祥事、騒動などを起こしているのです。ここではその中から一部をご紹介していきます。

別所引き抜き事件

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第二次世界大戦が終戦して3年後の昭和23年から昭和24年にかけて発生しました。当時大活躍していた名ピッチャーである『別所』という人物はシーズンでたくさんの白星を挙げて、素晴らしい成績を収めていましたが、これに対して配属していたチーム『ホークス』は不遇な対応をしていたと彼は不満をあらわにしました。

そこで巨人が裏で彼と接触を図り、チームに移籍するように根回ししていたのです。プロ野球連盟もこれに対して慎重に対処しましたが、最終的には契約が取り交わされ『移籍』することが確定して、移籍後も騒動や事件が起きましたがその年のシーズンを優勝に導くことができました。この事件も日本のプロ野球界に影響を与えたと考えられます。

湯口事件

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現在から46年前の昭和48年3月に発生しました。当時巨人にピッチャーとして所属していた『湯口』がうつ病やそのほかの状況により『変死』してしまったことに対しての、球団のまずい対応などが問題となった事件です。また死因についても色々な噂が出回りました。

江川事件は当時の野球界に大きな影響を与えていた

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従来の規定であれば、一人の選手が自分が希望する球団に入団できるとは限らないのですが、強行的に交渉を取り交わして騒動を起こし『強い願望』を曲げずに、最終的には『電撃トレード』で移籍することになり念願の巨人入りを果たした、『江川』は良い意味でも悪い意味でも、日本のドラフト会議やプロ野球界に大きな影響を与えました。

トータルで判断するならば現在の日本のプロ野球界にとっては良い影響を及ぼしたのではないでしょうか?勿論現役を引退した後も、現在まで『日本テレビ』のナイター中継では解説者を務め、各番組にスポーツコメンテーターとして引っ張りだこなので、芸能界やスポーツ界にも大きな影響を与えている人物なのです。今後も彼の活躍を健康を祈ると共に期待しましょう。

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