夕張保険金殺人事件とは?日高夫妻首謀の事件の概要と恩赦狙いの真相は

また、安全のため以外にも理由があります。忘れがちですが、廃墟と言っても所有者が存在する場合があります。そう言った建物に侵入してしまうと侵入罪という罪に問われてしまう場合があります。鍵がかかってたり窓が閉まっている場合、壊して入ったというケースもよく聞きますがこれも当然器物損壊罪に問われてしまいます。

それなら所有者がいない建物ならば大丈夫なの?と聞かれるとそれも違います。その場合でも軽犯罪法に抵触してしまいます。見つかったり通報された場合大目玉だけでは済まない可能性も高いので行かない方がいいでしょう。どうしてもという場合はあまり深入りせず遠巻きに眺めているのがいいでしょう。

戦後の女性死刑囚

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日高夫人の前に死刑が執行された数少ない2人の女性死刑囚とは誰なのか、またどんな事件を起こしたのか気になった方もいると思います。ここではその数少ない女性死刑囚とその事件についてご紹介したいと思います。

女性連続毒殺魔事件

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別名「杉村サダメ事件」と呼ばれるこの事件は借金を抱えた女性が金を得るために現在は毒物指定されている農薬、ホリドールを使い次々と姑、隣人女性、出入りしている行商人など3人を殺害。1人を植物状態に陥れた事件です。

この事件は1960年(昭和35年)に発生し、年末のための金を得るためという理由で11月から12月までの僅か2か月の間に行われました。1963年に死刑が確定し、執行されたのは1970年のことでした。これが戦後2人目の女性死刑囚の事件となりました。

ホリドールとは

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ちなみに、凶器として使われたホリドールは1970年に使用禁止となっております。そのあまりの殺虫力の高さからなかなか禁止に踏み出せず、発売から20年余りの長い期間誰でも買えてしまうような状態で管理されていました。殺人に限らず不慮の事故や混入などで農家のみならず1500人余りの犠牲者を出しやっと販売中止となった農薬です。

毒入り食品を食べさせる手口

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最初の被害者は姑さんで、愛飲していた乳酸菌飲料に農薬を混ぜられ、亡くなりました。しかしこの姑さんは現金を所持していなく杉村サダメはお金を得るという目的が達成できませんでした。ここで驚きなのが、医者の死亡診断結果です。毒に気づかず姑さんの死因を脳卒中にしたのです。

目的が達成出来なかったことと気付かれなかったことで味を占め、杉村サダメは立て続けに事件を起こすようになります。次は隣人に農薬入り馬肉をお裾分けし、殺害。こちらも医師の診断は脳卒中。この医師の誤診が無ければもう少し早く犯行が露見したかもしれません。

殺害失敗で犯行が露見

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3件目の被害者は出入りしている行商人の女性でした。彼女には毒を塗った鯖味噌をご馳走し殺害しようとしますが、量が足りなかったためか一命を取り留めます。しかし脳に影響を与える薬だったために植物状態になってしまいます。この件でやっと犯行が明るみに出ますが、最後の殺人を止めるには至りませんでした。

4件目の被害者も行商人でした。手口は同じく農薬入りの納豆を食べさせるというもので、この時の被害者は亡くなりました。その後家宅捜索が行われ、毒入り鯖味噌が乗った小皿や納豆が発見され、サダメはあえなく逮捕となりました。

姑と隣人の殺害を否認

最初の2件の犯行は医師の診断が脳卒中ということもありサダメは自分が関与したものではないと容疑を否認していました。しかし、改めて2者の司法解剖が行われ、農薬の成分が検出されたことで医師の誤診が証明されます。こうして事の全てが白日の下に晒され、嘘は通用しないと判断したサダメは自身が行った4件の事件への関与を認めました。

死刑が確定から執行までの7年

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サダメの獄中での様子は、最初こそ荒れていたようでしたが教誨師(囚人たちを仏教を通して正しい道に行けるよう導く仕事をしていた人)の方の導きのかいあってか様子が一変。模範的な囚人となったそうです。仏門に帰依し、死刑執行の際には真人間に戻してくださったことを感謝する言葉を述べていたそうです。

そんなサダメの晩年は非常に穏やかなものだったそうです。後輩囚人達には4階のおばあちゃんという愛称で親しまれ、様々な相談を持ちかけられたり意見を求められるといった頼れる存在だったといいます。

ホテル日本閣殺人事件

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こちらは戦後初となった女性死刑囚の事件です。金儲けにハマった女性が旅館を乗っ取るためにそこの経営者であった夫婦を殺害するという事件です。この被害者の夫婦の他に自身の旦那も殺害したほか共犯者の殺害も企てていたという恐ろしい女性です。

非常にしたたかで女性としての武器を大いに活用した悪女というに相応しいこの女性の名前は小林カウ。共犯者は男性でこちらは大貫光吉といいます。小林カウのみならず、この男性も死刑となり1970年に死刑執行されております。

病弱な旦那の代わりに家計を支えていた

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小林カウは元々病弱なうえ兵役で体を壊して帰ってきた旦那のためにお菓子や漬物を作って販売する他戦後取引が規制されていた米や砂糖をも取引するいわゆる闇商売を行い家系を支えてきました。ここで商売、ひいては金儲けの楽しさを知った小林カウは成り上るためにありとあらゆる手を使います。

取り締まりに来た警官を盛大にもてなし、肉体関係を築き取り締まりを潜り抜けるなどかなり機転の利いた立ち回りをしています。病弱な旦那とはセックスレスだったこともありこの警官と密な関係となっていったことはもはや必然ともいえるでしょう。2人は当然結婚を望むようになりますが小林カウの旦那はそれを許しませんでした。

旦那の変死

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警官との熱愛が発覚し現旦那と別れるために様々な画策をする小林カウ。そんな中、旦那が変死します。周囲の人物はカウが殺したと当然噂になりますがカウがやったという確たる証拠が得られずに変死として片付けられてしまいます。この事件は熊谷事件と呼ばれるようになりました。

しかしこの旦那の変死もカウが逮捕された時、警官から渡された青酸カリを使って毒殺したという証言が取れカウが殺害したものだということが発覚します。しかし、青酸カリを警官が本当にカウに渡したか否かの立証は出来ず警官は無罪となっています。

警官との破局、塩原温泉郷への進出

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しかし警官との蜜月期間はそう長くは続きませんでした。そもそも警官とカウは親と子供ほどの年齢差がありました。警官がより若く美しい女性になびくのもまた必然かもしれません。しかしカウもくよくよはしていませんでした。漬物製造業に本腰を入れ、姉一家も巻き込んで生産、カウは高いコミュ力を活かして各地に売り込み活動を始めます。

その進出先として決めたのが事件の舞台となった栃木の塩原温泉郷でした。売れ行きは上々でその成果は小さな店を1軒1年分の家賃を前払いで出して借りれるほどだったといいます。元々商売人気質なのか性に会ったのか、店は繁盛し翌年には隣の店も借りて食堂も始めるほどでした。

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