上尾事件とは?国鉄と乗客の間で起きた大暴動の背景とその後に迫る

上尾事件とは、1973年に国鉄と乗客の間で起った事件を指します。上尾駅を皮切りに、首都圏全体にまで影響を及ぼした大規模な暴動です。この記事では、上尾事件の背景や事件当日の様子、事件当時の被害状況や上尾事件のその後についても紹介します。

この記事をかいた人

好奇心に突き動かされてただひたすら忙しい日々を送っています。
Array

上尾事件とは?乗客と国鉄の暴動騒動

Tama66 / Pixabay

まだ日本に国鉄があった時代、はじまりは国鉄当局と労働組合の衝突でした。昭和39年国鉄が赤字対策としてコスト削減や人員削減を始めたことです。労働側がそれに対抗して順法闘争と言うものを始めます。順法闘争とは規則を守りながら反対運動すると言うことで、迷惑を被ったのは乗客です。

順法闘争前に、国鉄職員による横柄で傲慢な業務態度は日々の利用者の話題になるところでした。日ごろから利用者には不満がありました。高崎線には国鉄職員専用列車と言われる列車がありました。通勤時間帯に1部の試運転列車を踏み切り前で待機させ、付近の国鉄職員を乗り降りさせていた機材私物化の最たるものでありました。

Free-Photos / Pixabay

またこの辺は急速な宅地開発が進み1971年駅の北側に東西を結ぶ橋ができ、駅に行くのに大変便利になります。新しい駅舎もできました。上尾はベッドタウンになり、乗客が一気に膨らみました。東京へ通勤する乗客に当時の線路容量が限界になっていたのです。しかも無時刻表と言われていましたが、混雑による遅れで、時刻表はないに等しかったと言います。

上尾事件の概要

Eirik_Raudi / Pixabay

国鉄は昭和39年に赤字を出してから、赤字続きでコスト削減をする必要がありました。上尾は団地が出来たこともあり、急速な人口増加が懸念されていました。電車は毎日ラッシュで乗客は仕事に向かうのに電車に押し屋と呼ばれる国鉄の職員にぎゅうぎゅうと後ろから押されすし詰めにされた電車で都心に向かいます。

上尾事件の概要①国鉄が赤字続きでコスト削減の必要があった

PhamDigi / Pixabay

公共企業体であった国鉄職員はストライキが禁止されていました。国鉄側がコスト削減や人員削減に走り 2人配置されていた車掌が1人にされたりしたことに反発し、ストライキの代わりに順法闘争と言う方法を編み出しました。労働側はこの作戦でギリギリのところでルールを守り国鉄側に対抗をしていました。

順法闘争はこれが初めてではなく、過去に4回行われています。これで5回目です。これまで2、3日でしたが、今回は6日間です。その後2次闘争に入り、上尾事件はそれから2日経過した時でした。ホームに溢れた人が電車と接触事故を起こしたり、車両故障も度々起こしていました。

上尾事件の概要②国鉄労働組合による「遵法闘争」が始まっていた

Activedia / Pixabay

順法闘争とは人命尊重や運転保安確保を前面に掲げ全線で2、3割の減速をしつつ、踏切では一旦停止をするなど、法律に従った体の良い状況を作りダイヤを乱す行動をはじめました。それは国鉄当局の収入を減らすために反体制活動をした訳です。

理由はどうあれ、その行為は甚だしい乗客無視です。乗客は一人一人が国鉄の横暴さと怠慢に腹を立てていました。定刻通りには来ない上に、間引き運転をするため、連日の混雑で、乗客はうんざりしていたのです。事件の3日前には上野行きの列車が上野手前で1時間停車。乗客300人が線路を歩き、鶯谷に向かう事件がありました。

danigeza / Pixabay

事件の前の日に上野駅と大宮で、電車を待つ客がインフォメーションや事務所に詰めかけたり、しました。危険信号は黄色になっていました。それでも対策が遅れる国鉄側と労働側です。なんとか労働側が折れて、15日までは順法闘争を、休戦しています。 翌日は通常ダイヤで運行されています。

上尾事件の概要③鉄道の大幅な遅延や混雑で乗客苛立つ

Free-Photos / Pixabay

当日、 すでに4本の電車が運休し、1時間過ぎても電車は来ませんでした。朝から待っていた乗客は、ホームすら立てないほどの混雑の中で、発車を待ちます。これからそれぞれが都心に向かいます。これ以上待っていられないような焦っている状態です。

やっと籠原行きの電車が入ってきました。改札では入場規制をしていましたが、すり抜けてどんどんホームに上がってゆきました。すでに途中の駅で乗ってきた乗客で、車内はいっぱいでした。乗客はすし詰め電車の中で、喘いでいました。ドアが閉まらず次から次に乗車してきます。

Free-Photos / Pixabay

2番ホームに後続の電車が入ってきました。こちらは、前橋発の上野行きです。こちらもすでに満員な状態だったのです。どちらの電車も発車出来ないでいました。それに堪えきれなくなった乗客が騒ぎはじめていました。怒号が飛び交っていたのです。

上尾事件の概要④上尾駅、運転打ち切りの放送

当時の高崎線は急速な利用者の増加に対応しきれていませんでした。沿線に団地ができたことで上尾駅の利用者は14,000人を超えていました。ただでさえラッシュの時間帯は大変な混雑でした。が、サラリーマンだけでなく、都内の学校に通学する若者たちも増えてきました。

870人定員の電車に、3000人が乗車し、ドアが閉まらない状況の中、アナウンスが流れました。この電車は2本とも大宮駅を終点とすると。最初の事件が起きたのは順法闘争から8日目午前7時25分(日曜の3月11日には行われず)、アナウンスに乗客たちの怒りが爆発します。の3月13日でした。

eak_kkk / Pixabay

乗客の一部が線路に飛び降りて、列車の窓ガラスめがけて石を投げはじめました。ガラスの割れる音で、乗客の理性が一気に吹き飛びました。ヘッドライトが破壊されて、新聞紙に火がつきました。運転手を引きずり出そうとする者、駅の階段を駆け下りる者。

上尾事件の概要⑤上尾駅の乗客6000人が暴動、機動隊動員へ

metaliza01 / Pixabay

ホームに取り残されていた6000人の客もすぐさま騒ぎ出します。運転手はなんとか脱出し、脱兎のごとく逃げ出しました。他の運転手や車掌たちも、この異常事態に脱出します。駅を出たのは駅員だけではなく、職員のほとんどが退避して、なんとか近くの民家に逃げました。

騒ぎ出した乗客は駅長室に駆け込み、ロッカーを次々引き倒し、駅長や逃げ遅れた職員に詰め寄りました。ホームの乗客も破壊活動を続けて駅の電話線が切られました。券売機も破壊され、自動販売機も滅茶苦茶に破壊、信号機も破壊されてしまいます。駅長室では、消化器がぶちまけられ、新聞が散乱、駅長は怒号の中で、どうにもなりません。

sarajuggernaut / Pixabay

上尾の300m手前で停車していた新潟行きの特急トキにも投石があり、トキの運転席の窓ガラスも割られていました。上尾駅から職場は退避してしまいました。駅が乗客に占拠されるという前代未聞の事件に発展しました。その時の上尾駅には車内とホームに約1万人がいたといいます。大暴動です。止める職員はいませんでした。

上尾事件の概要⑥夜まで続いた暴動で逮捕者も

8385 / Pixabay

すでに、機動隊550人が投入されていましたが、暴徒化した乗客たちとの睨み合いをする以外、手の施しようがありません。この騒動で、 7人の逮捕者が出ました。 これだけ大きな暴動で逮捕者が7人と言うのも上尾事件の特徴です。それには、乗客は一般市民がほとんどだったからです。

逮捕された1人はどさくさのうちに、駅の金を20万盗みました。また、駅長をハンマーで殴り、駅長は救急車で運ばれて行きました。幸い軽傷ですんでいます。また、取材に来ていた新聞社の記者に暴行を加えた者が逮捕されています。また発煙筒を持ち出したり、改札や券売機を破壊した者がいました。

Free-Photos / Pixabay

そうなると、黙って見過ごす訳にも行きません。電車を燃やした者もいましたが、罪には問えなかったのですね。暴徒が一般市民であり、あまりにも突発的であったので、犯人の特定は諦めたのか、またはこれ以上国民の反感をかいたくないってところでしょうか。事件、事故を見直してゆくと、いくつかの謎に行き当たります。

上尾事件の概要⑦他の駅でも器物損壊や駅長の拉致被害も

Kanenori / Pixabay

動かない電車を見限った客が、大宮駅に向かい線路を歩きます。大宮駅までは8㎞もの距離です。途中宮原駅で、助役が乗客に捕まり、大宮駅までの4㎞を無理に歩かせ同行させました。乗客は大宮駅でも、投石や破壊をしています。大宮駅に着くやいなや、停車中の電車に投石、助役室を占拠しました。騒ぎは時間を追うごとに拡大してゆきます。

桶川、北本、巣鴨など、あたりの駅に波及してゆきます。各駅でも駅長室のガラスが割られています。高崎線以外では、本川越線、京浜東北線、など、首都圏の鉄道ダイヤは乱れて、大混乱に陥りました。高崎線は振り替えバスを出し、乗客を駅の外に出すことに懸命になります。なんとか2000人まで移動した頃には夜19時になっていました。

運転を再開するまでに、10時間以上を費やしています。全線を開通させるまでにあと少しのところです。遅れが解消するのはまだ先で、この時点では40分から1時間に1本しか動いていません。逮捕者は7名、影響は8,400万人、負傷者92名、幸いにも、死者は出ませんでした。圧死が1人いたと噂レベルでは上がっています。

上尾事件は1カ月の休戦の後に再燃し首都圏全域へ

cegoh / Pixabay

上尾事件当日、状況は国鉄調べによると首都圏では162本が運休、電車の遅れは最高で1時間10分1207本が遅れました。ホームが混雑し乗客が怪我をするなど事態は膨らんでいきました。乗客のイライラも募ってきました。確かにあの頃の国鉄の職員は態度も横柄でした。起こるべくして起こったのです。

組合は暴力的で労組の話し合いなど警察に逮捕される組合員もいました。国鉄側もそのたびに荒れる話し合いに強引な方法を取らざるをえなくなっていました。そんな背景の中で、暴動が38の駅にどのように飛び火したのか、同時多発的に起こったのか、記事を検証して行くと、両方だったようです。しかも偶然の事故も重なります。

順法自体は国で禁止されていた行為でしたが、特に罰則はなく、判例もありませんでした。しかし、違法行為ではありました。注意喚起もされていました。労働側の行き過ぎた行為があったのは消しようがない事実です。のちに、首都圏国電暴動と呼ばれる騒動に発展してゆく要因です。

上尾事件後「遵法裁判」は1カ月の休戦

knerri61 / Pixabay

上尾事件後、さすがに国鉄側も労働側も息を潜めていました。1ヵ月もすれば乗客の怒りも収まるだろうと踏んでいました。しかし、それは大きな誤算でした1ヵ月の休戦は乗客にとは、もうこれでこんなひどい目に合わないだろうとほっとしていたところです。乗客は何とか怒りを収めようとしていたのです。

この事件により、組合員も駅長も、負傷する結果となった国労や動労は順法闘争を中止しますが、一部の組合員は「この件は権力者側がリードして起こしたものだ。として順法闘争を再開。これがまた暴動を起こすことになります。再びこのような逆の行いに、乗客は腹を立てて、4月24日に再開と同時に即座に反応してしまったのです。

Alexas_Fotos / Pixabay

労働側の要求は事故防止のための警報機と遮断機をすべての踏み切りにつけること。安全のため長さが2キロ以上のトンネルがある区間と深夜の時間帯には運転手を2人勤務にする事です。経営陣は警報機と遮断機はできる限り実施するとし、勤務の2人体制は無理だと思拒否しました。

ふたたび遵法が再開し、駅は混雑へ

Free-Photos / Pixabay

乗客無視の状態は、このような騒動を起こした後でも歩みよる姿勢は見せません。順法は法で裁かれないことを強みに、労働側は、順法を続けようとしています。ただこのころになると、労働側に不審の目が向けられるようになっていました。乗客の暴動に扇動をした者がいたのではないかと囁かれはじめました。

それでも順法は続けられ、その後も労使交渉は続きましたが、がまったく進展せず、事件から4日後の17日からは事実上のストライに突入したのです。その日、警察は上尾事件の二の舞になる事を恐れ、主要な駅や上尾駅で厳戒体制を敷いていました。混乱はほとんどありません。しかし、乗客のイライラが収まる訳もありません。

RedHeadsRule / Pixabay

次の順法闘争が4月24日からスタートすると発表さたことを受けて、乗客は再び怒りはじめました。上尾事件の1ヵ月の休戦は乗客を黙らせるためだったのです。都心に向かう通勤客は列車の混雑で立ちっぱなしのまま首都圏に向かいます、ホームも満杯状態です。乗客を置き去りの順法闘争は最悪の結果を招いてしまいました。

大宮駅での電車遅延に乗客が激怒

parameciorecords / Pixabay

4月24日、午後4時半頃には大宮駅で高崎線が1時間以上来ないことに腹を立てた乗客らが即座に反応、駅長室を占拠。この騒動は埼玉県警と、東武野田線やバスに振り替えるなど早い対処でいったん納まりました。その頃、赤羽駅の高崎線下りホームはまったく来る気配もない電車に乗客は苛立っていました。

20時にアナウンスがあり、青森行き特急津軽を普通列車にするといいます。津軽は20時15分に超満員で上野を発車します。荷物の積み遅れも影響しました。赤羽駅は時間を追うごとに人が膨らんで来ていました。

赤羽駅では1000人が線路を歩いて抗議

Republica / Pixabay

赤羽駅では、待ちきれない乗客の怒りが溢れていました。大宮の騒動はすでに赤羽に飛び石飛び火していました。それは、一気に電車に火をつけるような暴挙となって表れます。乗客1000人が次々と線路に降り歩いて抗議をしました。乗客としてはこれからまた毎日のように電車が遅れるのは我慢できません。

赤羽のホームでは止まっている列車を折り返し運転にするように乗客が要求し、運転手を引きずり下ろして、1500人余が、電車を攻撃しはじめていました。そこに津軽1号が入ってきてしまったのです。乗客は満員電車で乗ることも出来ず、機関士を取り囲みますが、機関士は身の危険を感じて、ここで脱走します。

lizzyliz / Pixabay

津軽が破壊されたため、駅側は放送で、ホームの客を京浜東北線に誘導しました。しかし、このタイミングで赤羽手前で信号機が故障する事態がおこりました。偶発的なさらなるトラブルです。待ちきれない乗客は、乗客は線路に降りて付近の駅に向かいます。

暴動は赤羽駅から首都圏全土へ広がり38の駅が被害に

Free-Photos / Pixabay

上野駅では21時頃になっても発車しない電車に怒りを抑えられなくなった乗客が投石をはじめます。京浜東北線と高崎線の運転手は電車から下ろされ連れ去られました。7番線ではすでに暴動が発生していて、3,000人の乗客が発煙筒を炊き窓ガラスめがけて投石をしていました。暴徒と化した乗客は改札口を破壊して、事務所や切符売り場も破壊。

職員は一斉に職場を放棄して逃げ出してしまうのです。21時に警察が来たときには手の施しようがありませんでした。赤羽駅から日本全土に広がるのはあっという間でした。38の駅で同時多発的に暴動が発生したのです。当初赤羽に派遣された機動隊は30名でしたあっという間に広がる暴徒に さらに、700名を投入しました。

getluckman / Pixabay

破壊活動はホームはもちろん駅舎や電子機器類にも及びました。 駅のコーンコースで火の手が上がり、電車の案内板が燃えていました。新宿駅で騒ぎが起こったのが21時10分です。 21時30分山手線がストップします。売り上げよりも、むしろ電子機器類の方が被害が大きかったようです。

国鉄の損害額はおよそ9億6000万円に上った

3dman_eu / Pixabay

被害は渋谷、秋葉原、有楽町などの各駅に及び、参加した人数は32,000人を超えていました。切手や現金や売店の商品の略奪行為もあり、現金だけで1000万に上りました。群衆同士の争いやタクシーへの投石騒ぎなど警視庁は対応に追われました。逮捕、検挙の指令を出し、事態収集に努めます。バスの臨時便の手配もしました。

国鉄の損害は9億6000万と言うとんでもない数字を出しました。そのうち半分を占めているのが電気機器です。具体的な被害額は車両1億円、建物が1億2000万円、電気設備機器が4億4000万円、自動発券機が1億3000万円、自動発券機の払い戻しが2億円、鉄道共済会の被害額は数千万円、それには売店の破壊も含まれます。

dldusdn / Pixabay

470,000トンの貨物と、生活必需品100,000トンみどりの窓口は営業不能の状態になり指定券の販売は可能な付近の駅で案内する事で対応しました。再開は神田が5月です。しばらくの間は乗客も不自由な状況が続きます。国鉄の民営化の話があちこちでささやかれ始めました。

上尾事件当時の電車運行状況は?

6554 / Pixabay

順法闘争は通常37分の上尾駅、上野間に、3時間もの時間がかかり、すべての踏切で徐行運転する、またはカーブで徐行運転する。そんな卑劣なやり方をする組合側に怒りを覚えていました。仕事をやらないで文句を言う会社員など一般企業にはありえないことでした。親方日の丸だからできるんだそんな声が上がっていました。

通常37分の上尾駅 – 上野駅間が3時間

annca / Pixabay

通常ではありえない時間をかけて通勤、通学をしいられました。暴動は市民生活にも、多大な被害を及ぼしました。逮捕者は事件の割には少ない数でした。上尾事件の被害車両は100編成とも言われています。半数が長期の修理が必要でした。国鉄から振り替え輸送の依頼を受けた私鉄は23時過ぎに運輸省からの要請もあり、終夜運転を決断します。

当日のことで、車両の手配、乗務員の確保と、懸命に対処にあたりました。1番恐れていたのは偶発的な事故でした。保線の車両が入ってしまったら大事故につながります。駅のシャッターは上がっているか?それら全ての手配を1時間で行ったのです。営団始まって依頼の臨時の終夜運転です。

Engin_Akyurt / Pixabay

どさくさに紛れてしまいましたが、もっと評価されても良かったのではと、ちょっと小耳に挟みました。結局、国鉄線は翌25日の10時過ぎまで運行を再開できず、その後も車両や設備の復旧が済むまで一部列車の運休を余儀なくされたため、輸送を一手に引き受ける形となった私鉄・地下鉄・バスの混乱は続きました。

定員840人の列車に3000人が乗車

ed_davad / Pixabay

息もできないほど詰め込まれて3時間耐えなければならないのです。定員840人の列車に3000人が乗り込みドアがろくろく閉まらないのに発車させました。それでも電車が発車すると駅には5000人が取り残されていました。乗客にすれば全て自分たちの都合、国鉄の都合です。料金を支払って乗っている以上自分たちは客なのです。

それを全力で押し込む国鉄の職員に腹を立てていました。自分たちが招いた怠慢だとしか思えないのです。しかし、国鉄側としては、赤字続きで、新車両を導入出来ないでいたのです。急行車両を使用していたため、つり革もなく、乗車定員数も少ないのです。高崎線のラッシュ時間帯の間隔はもはやいっぱでした。複線案も出ていました。

12019 / Pixabay

住宅計画の失敗でもあります。国体の跡地に団地を建てたことで、一気に膨らむ住民に対処が遅れていたといいます。つまり、国鉄だけの責任ではなく、都市計画と鉄道整備や道路整備は同時に進行しなければならないことを指摘されて来ました。

貨物列車運転本数が平常の60%まで低下

pashminu / Pixabay

上尾事件の影響はいたるところに出ています。日本全国各地で、大幅な遅れが発生していました。貨物列車の運転本数は通常の60%以下になりました。中央快速線は40本の運休を出すなど多大な影響を受けています。ちなみに南武線は30本、京浜東北線は30本、それらを含め首都圏の運休は220本に母を呼びました。

関わった人数は171万人になりました。改札止めが12駅、大阪環状線が60本も運休しています大阪では32,300人に影響が出ました。このような状況は品不足、物価の高騰など、目に見えにくい部分にも被害が及んでいます。国鉄の被害ばかりが前面に出されていました。

ijmaki / Pixabay

それらの生活に直接影響した被害については記録がありません。予想して探してて見ても、一覧にはなっていないようです。国家企業だったからでしょうか。 貨物の運行が60%減とは、前代未聞です。気になります。

上尾事件のその後

skeeze / Pixabay

労働側は、このような大暴動起こした以降もストは続けていました。ただ順法闘争は中止してます。国労動労の争いがなくなるのはまだ遥か先です。昭和60年スト権ストが失敗してからになります。腐敗しきっていた国鉄と言うイメージは未だに私たちの心に残ります。

上尾事件後に順法闘争は中止

 

暴動から先順法は行われませんでした。上層部は指示を出していたのですが、職員は回避していました。会社の日誌には順法を行なったと記載しましたが、実際には回避しています。会議でも、高崎線でやるのは危険だとした意見が上がっていました。

NEXT 上尾事件後に順法闘争は中止