上尾事件とは?国鉄と乗客の間で起きた大暴動の背景とその後に迫る

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職員でさえ走り出した組合上層部を止めることができなくなっていました。乗客を無視した行いは、乗客にとっては経営側も労働側もなく、しでかしたことへの非難でした。ラッシュ時の遅れを乗客が理解すると、思ったのでしょうか。労働側は賃金の引き上げを要求しているのは理解したものの、その態度の悪さは何たること。反感をかいました。

政治が介入しての労使会議で収束した順法闘争は、誰も良い結果を得られませんでした。それが引き金となり、組合は活動が停滞して行きます。その後、国鉄解体、分割民営化の道を進みます。大変分かりやすい終焉を迎えたと呟く声が聞こえてきます。

来賓のザンビア共和国公共事業大臣F・ムリキタに謝罪

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この日はザンビアの公共事業として、ムリキタが来ていました。鉄道近代化計画を立て、カナダの援助で車両の買い付けに来たのです。日本を含めて、各国はこれに対し受注をしようとしのぎを削っていました。

ザンビアの大事な商談に対して、とんだ失態をしたものです。このときのザンビアの裁量近代化計画は国家あげての事業ですから、750両、客車56両、機関車12両を購入予定でありました。民間レベルでは大勢の役員の首が飛ぶでしょう。

「首都圏通勤交通現状打開のための提言」を発表

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1974年に国鉄首都圏本部は以下の、首都圏交通現状打開のための提言を発表しました。

III 国鉄が今後行なうべき諸施策について
(前略)第四に、異常時に対する配慮を国鉄は積極的に推進する必要がある。異常時発生の場合の旅客の心理的不安を念頭におき、ラッシュ時の混雑の限界基準、旅客制限策、異常時における無線による乗客への列車運転情報の提供を検討することが必要である。このことは、国鉄の能力、提供し得るサービスの限界を利用客に理解してもらうことにもなるし、新しい交通体系整備の必要性につき、社会一般の認識を高めることにも役立つと考えるからである。
IV 国が果すべき役割と施策について
(1) 通勤交通体系の計画は住宅地開発計画、都市計画、都市再開発計画、地域開発計画などとの連係のもとに総合してたてられなければならない。従来ややもすれば、輸送力と無関係に、大規模住宅開発計画が進められ、通勤輸送に大きな混乱を引き起こして、また、そのあと処理を鉄道が自衛的に引受けることになった例が多いが、そのようなことは避けなければならない。(後略)
(2) 各交通体系の建設コスト、運営の費用を、大きな開発利益をうける沿線の住民、土地所有者、集中の利益をうける都心の事業所、直接の受益者である利用者がそれぞれの受益に応じて、校正に負担すること、また、各交通機関間にも通路費など基礎施設費の負担の公平を期し、バランスのとれた交通体系の実現をはかることが必要である。このため、税制、政府資金の運用による財政措置、運賃制度などを効果的に考えるべきである。(後略)
VI 利用客及び関連する企業の協力について
(1) 地域別、線路別に輸送力に限界のあることを利用客にも良く認識してもらうことが必要である。効果は小さいようでも時差通勤、通学の奨励と話し合いを今後とも行うべきである。特に、高等学校の登下校の時間については国鉄と密接に協議してもらいたい。
(2) 都心における中枢管理機能の集中は、年々通過交通を激増させ、その混雑打開のために多大のコストを必要とするにもかかわらず、コストの負担は必ずしも適正ではない。勤労者の交通上のコストは、企業よりも国鉄やその他の大量輸送機関が多くを負担している現状である。一方、通勤定期運賃は企業が負担する傾向にあるので、都心部に向う大量の通勤需要を発生する企業については現在の割引制を廃止して、その全額を企業が負担することも考えられる。(後略)— 「国鉄首都圏交通体制調査会 首都圏通勤交通現状打開のための提言
(出典:Wikipedia)

打開のための提言はいくつかの項目に分かれています。異常時の配慮、都市計画、都市再生計画、住宅地開発計画、地域開発計画、等の連携のもとに総合して立てる。交通体系の建設コスト運営の費用の負担などが含まれています。

提言を実行するのには、数ヶ月から数年以上かかります。その提言が実行されたかどうかは一目瞭然です。時は令和の時代に入りました。国鉄は民営化され、駅の券売機には女性のスタッフが案内係として立っている姿を見かけます。車内の車掌にも、サービスの認識が備わっています。

上尾事件後に車両を緊急発注

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近郊型の電車115系300番42両を発注しました。冷房が完備されているタイプです。上尾事件ではすし詰め電車で乗客が圧死しています。死亡者は出ていないと発表されていましたが、ネット上では一名の圧死が囁かれています。未確認です。それを受けて国鉄は急遽輸送の改善を迫られます。

10月に導入された車両は防火対策、側窓のユニット化などが改善されています。上尾事件の原因の1つとされているのは急行用の電車を運用していたことであると言われています。長距離用の急行車両は座席に座って行くように出来ていました。立ったまま移動する作りではなかったのですが、赤字続きで、新型車両を導入できませんでした。

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急行形の電車にはつり革がありません。この電車にすし詰めにされたことがさらに状態を悪化させました。急行車両であったので車両の定員は800人でした。 115系の近郊形の電車であれば1800名が乗れるはずです。もしも順法闘争がなくても利用者の怒りは爆発してただろうとの見方もあります。

上尾事件後に情報システム開発に着手

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国鉄の通信部門は有線通信に頼っていて無線への移行が遅れてしまった。列車の中で運転手も車掌も乗客も信号で止まればいつ発車できるのか連絡が来なかったためなすすべがなかったのです。鉄道信号機警察無線を例にとり移動体通信システムや、列車における通信手段の開発を訴えています。

「鉄道通信」と言う雑誌では全国に一斉に伝達する方法、一斉放送の設備は国鉄は保有していないことを問題としています。事件の電子機器の破壊については、事件が起きれば機器が破壊されるのは機材が乗客の手の届くところにあり保護体制がとられていないと言われました。対策は機材の方ではなく1機材を移動機に変えるように提案をしています。

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国鉄が1973年度よりシステム開発に着手しました。鉄道電話網の近代化と電信の自動化は半年から数年で整えるように目標が設定されました。情報システムの本格運用は長期間の準備期間が必要で、目指すべきシステムは私鉄の運行管理システムでありました。現在は携帯電話で座席予約ができたり、事故情報が得られやすくなりました。

上尾事件の全貌が記された本『箱族の街』出版

箱族の街

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2009年箱族の街が出版されました。著者の梅原は上尾事件の要因は急行用車両を運用したことはただの一部に過ぎず、旬報闘争による車両の運用の狂いを甘く見ている本来なら来るはずの列車が時刻が狂ったために急行型の電車が来てしまったことだということではないかと言っています。

2019年令和元年と上尾事件の比較

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この時は上尾事件の事を一般参賀と呼び、あの世代を生きた我々に、おいおいそれはないだろう!と言うような違和感をもたらしました。そもそもが事件に対しての比較ではなく単に人を動かしたことへの比較でしょうが!時代のギャップを感じます。事件は根本を読み解くところからはじめますと、教えてくれています。

ネット上で一般参賀と上尾駅混雑時が比較される

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そういえば一般参賀も予想を上回る人出で、上尾事件は前例のない大きな民衆暴動でしたが、1日で集結したこともあり順法闘争は覚えていても上尾事件は忘れ去られようとしていました。国家絡みだと報道もしにくいのでしょうか。一般参加は誰に強制される訳でもありません。国民それぞれの思いで参加しています。

会社に行かざるをえない、長距離通勤だって、ラッシュの通勤だって、できるなら避けたいのですが、なかなか財政も、住宅事情も追いついてきません。都市型の生活が、分散型になれば、地方も再生できるのでしょうか。今はだいぶ改善されています。あの頃のようなひどいラッシュは特別な事情の日にしか起こらないようになりました。

ジェネレーションギャップを感じる人も

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上尾事件は国鉄側が打開策を練らねばいけないところ、速度が追いつかないほどの人口増加に全く対応できなかったことに問題があり、機関車がなくなり車掌が 2人体制だったところ1人で充分になり労働側はそれに対して働く自分たちの身に差し迫る危機を感じていたのだと思います。

ジェネレーションギャップと言うよりも言葉の使い方を知らない単に世の中を学んでないものがつぶやいた言葉だと思います。1つの意見に対して目くじらを立てても仕方ないことで言葉の遊びとして捉えようではありませんか。

上尾駅は2019年現在も混雑している

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上尾駅の混雑は2018年になっても、それほど緩和されていません。乗降客は高崎線の駅では現在大宮に次いで2位です。4万を超しています。急行が止まる駅としても、また湘南新宿ラインが乗り入れて便宜性がいい駅です。全国の乗降客順位は105位に位置しています。

上尾駅から東京駅は41分、新宿までは湘南新宿ラインが便利です。40分で行けます。首都圏への通勤通学にはとても便利な街です。国鉄時代より混雑も緩和されています。埼玉は街から少し離れるだけで自然豊かな土地ですから、人気があります。

分割民営化で変わったところ

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国鉄が、分割民営化をしてから、今年で(2019年)32年になります。言うことは社会人の半数が国鉄時代を知らないわけです。国鉄とJRと何が1番違うのでしょう。制服とか車両とかではなく儲かってますかと言う視点で見てみましょう。国鉄時代は赤字続きでしたから。

分割民営化で会社が分割しました

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32年前は国鉄は日本国有鉄道といひとつの会社でした。赤字が続き存続できなくなり JRとして民営化されました。J Rは今、JR北海道、JR東日本、JR東海、JR西日本、JR四国、JR九州、JR貨物の7つの会社に分かれています。

利益が1番出ているのは

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JR東海が33%のトップです。営業利益の68%を占めています。東海道新幹線が利益の半分以上を担っています。JR九州は運輸サービスの収益が低く、駅ナカやコンビニなど運輸サービス以外に頼るところです。そもそも、利用者が違うので、そうした比較時代が無理ですが。ちなみに乗降人員が10万を超える駅はJR九州は博多駅だけです。

東日本では94の駅があります。国鉄時代よりは、民営化後の方がはるかに収益時代は上がっています。一般企業からすると、まだまだ運輸サービス以外の伸びしろがあるのが東日本で、九州のように運輸サービス以外の売り上げを伸ばせるのではないかと言われています。売り上げは東日本、東海、西日本、九州、北海道、四国の 順です。

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JRのロゴタイプも民営化に伴って変わっていました。東日本旅客鉄道の(鉄)の字ですが、四国を除く各社は金に矢と書きます。金に失うを、国鉄時代の嫌な記憶とし払拭するように願いが込められています。JR四国だけはそのままです。

ミステリアスな国鉄三大事件

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国鉄ではいくつか歴史に残るような大きな事件が起きています。国鉄の事件は国が絡むためか、あまり大きくは取り上げられません中でも特異な例の3つの事件があります。中でも下山事件は度々話題に上るほど、ミステリアスな事件です。

三鷹事件

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三鷹事件は昭和24年夜のことです。国鉄の三鷹車庫に止めてあった車両が突然勝手に動き暴走を始めます。人が乗っていない7両の列車は暴走の後転覆します。この事件で死者6人負傷者20人を出しています。国鉄が進める人員削減に反対していた労働組合員10人が逮捕されました。

そのうち1人が有罪になり死刑になっています。理由は彼が唯一共産党員ではなかったと言う理由です。この事件はその後40年経過した後で再審請求がされています。ささやかれているのはGHQの陰謀と言う言葉です。また死刑となった竹内の弁護士が事件裁判途中でなくなり彼だけが十分な弁護が得られなかったことで彼が犯人に仕立て上げられたとしています。

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再審請求してるのは竹内容疑者の息子さんでようやく弁護団が組まれました。竹内容疑者は単独犯行を認めたり集団反抗であったりその都度証言が変わりました。それが無理矢理言わされたのではないかとまた強要されたとか誘導されたとか当時としてはありがちなところで争います。

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下山事件

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下山事件は1949年に起こった事件でいまだにミステリーとして話題にのぼります。事件当時日本は連合国の占領下にありました。7月5日の朝のことです当時の国鉄総裁下山定則が出勤途中にいなくなってしまいます。翌朝礫死体となって発見されたのです。この事件は他殺、自殺、陰謀などいろいろな人が推理したくさんの節が生まれています。

警視庁は捜査結果を公式発表することなくこの事件を打ち切りにしました。下山事件は多くの人の興味を引き本が次々と出版されています中でも松本清張の本、「日本の黒い霧」は話題となりました。真実はまだわかっていません。 この朝の下山の行動は普段とは全く違うものでした。朝開店前の日本橋の三越に行きました。

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そこから運転手の証言でいくつかの場所に立ち寄り最終的に三越に戻ります。三越の店内に小走りで走って入るのが運転手が見た最後の姿です。9時37分でしたそれから銀座線の浅草行き車内で目撃されその後五反田駅の改札で駅員と話をしています。その後末広旅館にて滞在します。当日最後に、東武伊勢崎線で目撃情報があります。

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松川事件

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松川事件は1949年に起きた事件です。青森発上野行きの列車が店谷川駅と松川駅の間で脱線転覆した事件です。8月17日の午後3時過ぎにカーブに差し掛かる手前で12両の列車が脱線し、土手に転覆しました。この事故で機関士が1人と、助手が2人、乗客数人が怪我をしました。乗客数人が怪我をしました。

この事故は犬釘が抜かれて継木板2枚も外されていたことが原因とされています。近くにバールとスパナが落ちていたことから事件となりました。本工手を逮捕、逮捕された男の自白をもとに工手20名が逮捕されました。全員有罪となり、そのうち、5人に死刑、5人が無期懲役になりました。

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最高裁ではこの事件を無罪とし仙台高裁に差し戻しています。この事件では鍵を握る「諏訪メモ」というものが見つかっており、労働運動に対する捏造ではないかといわれています。事件は 国民運動が起こり、司法、裁判の見直しや在り方問題になった戦後をゆるがす大事件と言われました。この事件は1963年に時効を迎えています。

上尾事件が繰り返されないような世の中へ

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上尾事件は起こるべくして起こったような事件で、元は労働側と国鉄側の労働条件をめぐる対立でした。労働組合の行き過ぎたやり方が世間の批判を浴びました。国鉄民営化はそうしたことが背景になり加速されました。

今JRのサービスはとても良くなっています当時の国鉄時代の職員は何を思っているのでしょうか。親方日の丸と言う言葉が横行するような時代を作ってしまったのはやはりどこかでそれぞれが労働する者としての責任を忘れてしまったのでしょうね。

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暴力や暴言に勝つのは知識と知恵です。私たちは愚かな社会を作りたくはありません。集団の中の個人として選択を間違わないような気持ちを持っていることが大切です。二度と繰り返したくない過ちは過去にたくさんあります。たまには振り返ってみましょう。

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