この方法で、岸壁を登れるのではないかという意見もありますが、吉作の場合は塀の壁と違い岸壁の為、布がうまく吸着しないのではないかという反対意見もあります。
また衣服が完全に濡れるくらいの雨が都合よく降るか、雨が降らなければ自身の尿で濡らすこともできる等様々な意見があります。
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吉作落としには自然を舐めるなという教訓が込められている
昔ばなしの中には、子供に伝えたい教訓が込められています。この事故もただ単に不幸な事故だったわけではありません。ほんの少しの油断や判断ミスで吉作は死んでしまったのです。
自然を舐めると、死につながると忠告してくれているのです。
吉作落としの教訓①山に登る時は複数人で
足場もない場所で作業をする岩茸採りは、何か事故が起きると誰かに助けてもらわなければなりません。
現在でも登山をする際は、複数人で登るか、一人で登る際は登山計画書を出すのが鉄則となっています。一人で登山をしていて怪我や体調の変化で歩けなくなると、その瞬間に遭難者とみなされます。
吉作落としの教訓②一人で登るなら行き先を誰かに告げる
一人で暮らす彼は、誰にも山に向かうことを告げていませんでした。何日も吉作が家に帰宅しなくても、誰にも気付かれなかったのはこのせいです。
誰か近所の村人に山に出ることを知らせていれば、吉作は死ななくてもよかったかもしれません。
山から声が聞こえたのが化け物ではなく、助けを求める吉作だと気が付いてもらえたかもしれないですよね。
吉作落としの教訓③命綱を離さない
最大のミスは命綱から手を離してしまったことでした。慣れた山であっても、決して命綱を外すべきではありませんでした。
読んで字のごとく命の綱です。吉作は疲れた体を休めようと気が緩んでしまったが為に、命綱を離し死んでしまいました。
吉作落としの現場は実在する?
命を落とす「吉作落とし」ですが、断崖絶壁であるこの山は実際に日本に存在します。
吉作落としは大分県の傾山
大分県と宮崎県にまたがる傾山という名前の山で、吉作は仕事をしていました。かたむきやま、かたむきさんと呼ばれています。
山頂は大分県の大野市に位置しています。
3つの岩峰から成る上級者向けの山
傾山の標高は1500mほどで、山頂は三の岩峰から成り、また斜面の傾斜も急であることから上級者向きの山と言われています。
名前の通り、山頂が傾いたように見えます。
吉作落としの伝承は今でも地元の人たちの戒めとなっている
この言い伝えは、現在も地元の住民たちの間で語り継がれています。登山者が使う地図にも吉作が落ちた場所が示されています。
どれだけ慣れた山でも、決して油断してはいけない、自然を甘く見ると吉作のように死ぬ、と。
吉作落とし以外にもある?怖い日本昔ばなし
他にも怖い話がたくさん存在しています。その中とびきり怖い五作を、これから紹介していきます。
怖い日本昔ばなし①飯降山
「飯降山」飯が降る山と書いていぶりやまと読みます。家も何もない豪雪地帯のこの山で、三人の尼さんが修行をします。
殺生を禁じられているので、三人が食べる物は木の実やキノコなどとても質素なものでしたが、なんとか我慢をして暮らしていました。
ある日のこと、天からおにぎりが三つ落ちてきました。三人の尼さんは神様からのお恵みだと大層喜びました。
何日もおにぎりが降ってくるのが続いたある日、欲にかられた一番年長の尼さんが一番年若の尼さんを殺してしまいます。これでおにぎりがもっと食べられる、と思いましたが翌日降ってきたおにぎりは2つだけでした。
その後もうひとりも殺してしまった尼さんが、いつもおにぎりが降ってくる場所に向かうも、おにぎりは二度と降ってきませんでした。
裏話として、極度の飢餓に苛まれた尼同士が、共食いをしたのではないかとも言われています。
怖い日本昔ばなし②牛鬼淵
伊勢の山奥に、鬼の顔と牛の体を持つ化け物が住む牛鬼淵という深い淵がありました。この山奥では、年寄りと若い木こりが二人で住んでいました。
ある夜、いつものように年寄りの木こりがのこぎりの手入れをしていると、知らない男が戸から顔を出して「何をしている」と聞きました。
「のこぎりを研いでいる。この32番目の鬼刃は鬼も殺せる」と答えると、男は去っていきました。ある時仕事中に鬼場が折れてしまい、年寄りは修理の為にふもとの村まで出かけました。
若い木こりが留守番をしていると、また知らない男が同じ質問をしてきました。「鬼刃の修理にいっている」と答えると、若い木こりは食い殺されてしまいました。
怖い日本昔ばなし③亡者道
岐阜県の険山脈にある乗鞍岳。その麓の千町ヶ原という高原に、清霊田と呼ばれる沼があります。
その沼の近くには亡者道と呼ばれる小道があり、幽霊が通る道とされ、一歳の殺生を禁じられていました。ところが平十郎という村の男がそのおきてを破り、亡者道で鳥を狩ってしまいます。
捕まえた鳥に片目をつぶされ、その夜は近くで休んでいると平十郎の前に火の玉が現れます。追いかけた平十郎が見たものは、火の玉が重なってできた大きな髑髏でした。
沼に落ちながらも必死で逃げた平十郎ですが、その後は気がふれてしまいました。
フィクションのようなお話ですが、千町ヶ原にある清霊田も亡者道も実際に存在し、以前から最恐のオカルトスポットとして有名な場所です。
怖い日本昔ばなし④佐吉舟
ある島に、二人の漁師が住んでいました。太兵衛と佐吉といます。同じ女性を好きになってしまった二人は、女性の父親から魚を多く採ってきた方に娘と結婚させると言われます。
魚の取り合いを始めた二人ですが、佐竹の船が大波に襲われ海に投げ出されてしまいます。太兵衛は女性をあきらめたら助けてやると言いますが、首を横に振った佐竹はそのまま溺れ死んでしまいました。
それから数日後、船に乗っている太兵衛に、佐吉に似た人物が「柄杓を貸してほしい」と言いました。柄杓を持ったその人物は太兵衛の船にどんどん海水を入れ始め、船が沈没し太兵衛は亡くなってしまいました。
似たような話は日本中にあり、海の亡者に柄杓を渡す際は底を抜けば助かると言い伝えられています。
怖い日本昔ばなし⑤三本枝のかみそり狐
今まで紹介してきた怖い話と「三本枝のかみそり狐」は少し違います。彦兵衛という怖がりな男が、狐に騙されるという話なのですが、狐が化けた老婆の顔が怖すぎると評判になっているからです。
赤ちゃんを殺された老婆が怒り狂って顔がくるりと回転し、口は耳まで裂けた化け物になって包丁をもって彦兵衛をしつこく追い掛け回すのです。
この話はストーリーより、老婆の顔そのものがやばすぎるなどとネットで評判となっています。
昔ばなしにも登場する姨捨山に関する記事はこちら
まんが日本昔ばなし
まんが日本昔ばなしは1975年1月7日に初めて放送されました。始めは番組の都合で、空いた枠にいれる穴埋めとしての要素が強かったのですが、反響が大きくレギュラー番組となりました。
1985年には10周年記念として「ごんぎつね」が映画化され、映画館ではなく地方のホールで上映するという地方巡回方式で公開されました。
その後もたびたび夏休みやお正月に再放送され、広く国民に愛された番組であり、文化庁優秀映画作品賞や児童福祉文化賞など様々な賞を受賞しています。
まんが日本昔ばなしのナレーション
まんが日本昔ばなしといえば、その特徴のあるナレーションが有名であります。制作初期から常田富士男さんと市原悦子さんとの二人でコンビを組み、アニメに出てくる全ての登場人物を演じ切りました。
二人のその柔らかく温かな語り口は、20年近く続く長寿番組には欠かせない存在でした。
常田富士男さんは2019年の7月に、都内の病院で息を引き取ったことがニュースになりました。
吉作落としからは「自然を舐めてはいけない」という教訓を学べる
まんが日本昔ばなしのなかでも、トラウマになると噂の吉作落としですが、先人の自然に対する警告が含まれています。
今でも大分県の傾山付近の住民の間で、山に入る者への戒めとして語り継がれています。
慣れた山でのほんの少しの油断で、命を落とすことがある。自然を舐めてはいけないという強烈なメッセージが伝わってきます。
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