後藤良次の生い立ちや現在は?上申書殺人事件の概要と三上静男との関係も

数々の凶悪事件を起こして死刑となった後藤良次は、「上申書殺人事件」で有名となります。ここでは、後藤良次が「先生」と慕っていながら最後には告発するに至った、三上静男との関係も掘り下げます。後に映画化もされた事件の内容に驚愕すること間違いなしです。

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後藤良次とは?上申書殺人事件を告発した死刑囚

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後藤良次少年は物心ついたときから非行に走り、数々の犯罪に染めてきました。暴力団となり悪への道を突き進むのですが、成人となり、更生を心に誓いました。

後藤良次の宿命は悪行しか選択できないレールしか用意されていなかったのでしょうか。願いも儚く、明るい未来は閉ざされていきました。

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悍ましい事件に加え、自身の裁判中に他の罪人を明かして、新たなトラブルを発覚させたのです。劣悪な男、後藤良次でありましたが、いつから道が反れてしまったのか生い立ちについてみていきます。

後藤良次は元暴力団の死刑囚

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先生とのちに慕う腹黒い人物と巡り合ってしまったばかりに、蟻地獄のように裏社会から抜けることができず罪のない尊い命を次々と奪っていきます。人を想う気持ちが備わっていなかったのでしょうか。

主従関係の絆から、仁義深い後藤良治は殺めるしかなかったのかもしれません。何の躊躇もなく絶命させていき、人生のほとんどを刑務所内で過ごしているのです。

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判決で死刑となっていましたが自分だけが死すことが許せず、復讐をするために、最後の抵抗ともいえる行動を起こしています。ある人物を訴え牢屋へ送り込んだことが公となり、後藤良次は世間の注目をさらに浴びたのです。

後藤良次は上申書殺人事件で有名に

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他殺人事件で、後藤良次は留置されており、裁判中の身でありました。法の裁きを受ける際は、余分な発言はタブーとされています。しかも今回とは別件ですから、あり得ないのです。

前代未聞ともとれますが、事前に記者の協力のもとで書きまとめた書類を提出しました。一同は異例ともいえる行動に驚きを隠せなかった模様ですが、これによって新たなアウトローを塀の中に送り込むことができたのです。

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死刑囚でありながらも、最後には世のために善を尽くしました。死と静かに向かい合ったことで、懺悔を残して逝ってはならないと感じたのでしょう。

一人の悪人を塀に入れることができたのです。この紙切れこそが上申書類であり、のちに語り継がれることとなりました。後藤良次といえば、上申書殺人事件といわれるほど定着し、極悪人としてではありますが有名になったのです。

上申書殺人事件について詳しく知りたい方は、こちらも良かったらご覧ください

後藤良次の生い立ち

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表情とは性格が出るといわれるものです。後藤良次の顔つきはといいますと、一目見ただけで何か影のある人物だなと誰もが悟ることでしょう。人生の半分は悪に染まり数々の罪名を手にしてきました。

コンクールでの賞だったなら、どんなに両親は喜んだことでしょう。真逆の歩みを突き進んだ後藤良次のプロフィールをみていきましょう。

後藤良次は16歳で暴力団組員に

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幼いころから非行を繰り返してきた後藤良次は、14歳で乱暴をした罪で、少年院に入っていました。ならず者が集合する場は、罪を償うところでありますが、裏情報を共有する場ともなるのです。

表に出た後、どうやったら次は逮捕されずに済むかといった罪人あしからぬ会話が繰り広げられるようです。案の定、繋がりが結ばれてしまうのです。さらに悪を極めるように16歳で暴力団の構成員になります。

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体には入れ墨をいれ、見るからに怖いというイメージを醸し出しています。幼いころの詳細が明かされていないため断定はできませんが、少年犯罪を繰り替えす家庭環境は決して良好ではないと一般的にはいわれます。

荒んだ心を発散させるかのように外で悪さをし、自分を保っていることが多いのです。後藤良次もわずか10代にして悪の頂点を目指そうと志すわけですから、穏やかな環境とは程遠かったことでしょう。

後藤良次は30代で組長となる

後藤良治から悪を取ってしまったら何が残るかというほどに、浸透して離れられなくなっています。23歳までは組織に入り罪を犯し続けては、逮捕されています。

まさに刑務所の常連客となっており、職員とも顔なじみになっていたことでしょう。塀の中での暮らしは自由がきかず、好きな食事も食べられない制限のある暮らしで罪を償います。

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ライフスタイルにも慣れており、刑があけてはレベルアップして牢屋へカムバックしたのです。30代に入り、日向の生活へ出戻った際には、後藤良次自らの旗を掲げるため、団を抜けて自分の組を構えたのです。

後藤良次は40歳で「先生」こと三上静男と出会う

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更生を誓い、真面目に働こうと職探しに奮闘しました。ある人物から、儲かる仕事があると不動産ブローカーを紹介されたのが、三上静男でした。これが彼と出会った経緯です。

一般的には資格を持たない違法スレスレの稼業であるため、手を出さない範囲ではありますが今まで犯罪しかしてこなかった後藤良次は、詳しく知識として得ていなかったのではないでしょうか。

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とにかく自分でも勤められる生業があったら何でもやるという意気込みだったことでしょう。徐々に頭角を表し、稼げるようになっていったといいます。

手取り足取り親切に指導してくれる三上に主従し、生業だけでなく深い絆を深めていき、仕事のパートナーを超えたタッグを組むことになっていくのです。

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後藤良次の人生を大きく変えるターニングポイントがこの男との出会いでした。

内縁の妻を大切にしていた

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陰で後藤良次を支える女性がいました。何度逮捕されても衣類や必要なものを差し入れとして届けたとされます。応えるかのように彼も、仕事に精を出したといいます。

三上と関係を持つようになると急に増額して、月に80万にも及ぶようになっていきます。お金は少ないよりも多い方が生活の幅は拡がりますが、彼女も何かまた悪いことでもしているんじゃないかと心配していたことでしょう。

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