メニエール病を患い片耳が不自由になっています。こんな運命になった福田孝行が憎いとまで言っています。
高2で行方不明となった弟
2歳下の同じ母親から生まれた弟です。事の重大さに耐えきれなかったのでしょうか。学生の身でありながら家出のように姿を消しています。
今はどこかで元気に暮らしているようですが、実家に近寄らないで氏名も変更し福田孝行の弟という正体は隠して生きていることでしょう。
無事で何よりですが、兄のせいで人生は乱れてしまったことを恨み、弟であることも後悔しているのかもしれません。
光市母子殺害事件被害者の遺族・本村洋さんの事件後と現在は?
幸せな家庭が一変して、悪夢のような日々が始まりました。残虐な方法が次々と明らかになり目を背けたくなる場面もあったことでしょう。
ですが洋さんは日本を動かし、被害者にとって光を作った素晴らしい功績をのこしていまうす。
あすの会を設立
裁判傍聴しようとしてもマスコミに全て席を占領され、遺族の配慮が全くなかったといいます。連日ヒートアップするプライベートな情報をメディアで流され、どちらが被害者なのかが判別できない状況だったといいます。
形態自体を見直す必要があるとし、あすの会を作りました。同じ志を持った被害者遺族8600人余りが集結し国会を動かしたのです。
2004年に犯罪被害者等基本法を成立させた
被害にあった遺族としての権利が与えられ、国から得る保障が厚遇されるようになりました。洋さんが手がけてきた功績は、多くの悲しい思いをしてきた人に、希望を与え、少しの光を感じるきっかけともなったことでしょう。
自身も辛い思いをしてきて、立ちどまりたい日もあったでしょうが、全ては生きたかったであろう妻と娘のために、少しでも生きた証として残してあげたい一心だったことでしょう。
目的の達成と会員の高齢化によりあすの会解散
社会を大きく動かした活動は一旦解消しています。福田孝行に対して恨みという強い怨念は変わることはないでしょう。
ただ自分の役目は果たせたという達成感があったことから、新たな課題がでてきた場合は時世に託す意向を示しています。
2017年に職場の同僚と結婚し幸せに暮らしている
絶望の淵にあった洋さんを影ながら支えた女性がいました。一時は自殺をも頭がよぎったといいます。もがきながら生き抜いた先に手に入れた幸せは、天国からの授かりものではないでしょうか。
現実から目を背けることなく、社会人として身を置き闘い続けた勇士は誰よりも輝いています。
福田孝行は結婚できる?
養子縁組をしたことで、大月姓を名乗り福田孝行から生まれ変わっています。彼女が救いの手を出したことで実現しました。我が国に留置されている死刑囚で、獄中結婚しているケースも度々取り上げられます。
今後、福田孝行にフィアンセとなってくれる人は現れるでしょうか?適齢期について考察します。
福田孝行との特殊な夫婦の形
死刑囚ですので、表社会へは一切出ることができません。もし今後生涯のパートナーとして立候補する女性が現れたとしても、面会室で会話をするだけの純愛になります。
夫婦の形はそれぞれですから、遺骨を守りたいといった愛情がある人が手を挙げることがあれば可能性はゼロとは言い切れないでしょう。
福田孝行は死刑が怖い?
牢獄で数えきれないほどの手紙を洋さんへ送っていました。最初、福田孝行は死刑になると思っておらず少年法で守られると誇示していたとされます。それが現実となり生きるということに執着したようです。
7年で社会へ出れると思っていた
逮捕されてすぐに友人へ福田孝行は、手紙を送っています。その内容は8年もすれば社会へ出られるが、刑務所の中に興味があるため、すぐには出たくないと綴ってありました。
成人でないから死は免れると根拠のない自信を誇示していました。
福田孝行は死が恐怖に
福田孝行は自分の運命は極刑であろうと悟ると、身勝手に殺めていたにも関わらず、生きたいと強く願うようになります。遺族である洋さんへ詫びる手紙を何十通も書いたのです。
あまりにも身勝手であり、命の重さを受け止めていないように感じます。今も福田孝行死刑囚は執行のカウントダウンまで聖書を読みふけっていることでしょう。
福田孝行の身勝手な犯行と垣間見える家族背景
突如起こった悍ましい事件を起こした福田孝行は、見た目は立派な大人でも心は未発達のままであり、複雑な家庭環境が影響していました。
一連で、世の親たちは子への接し方、家族としての在り方を見つめ直すきっかけともなりました。心の成長とは目に見えないものであり判別は難しいものです。
家族のコミュニケーションが気薄となっている現代、第二の福田孝行を誕生させないよう人との関りを大切にし思いやりを持って行動していきたいと心に刻むものです。
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