一柳展也の生い立ちと現在は?金属バット両親殺害事件の真相とその後に迫る

怪我は一ヶ月の重症でしたが、事件を起こした少年はその後の記憶を覚えていないほど、受験のストレスによっておかしくなっていたとされているのです。まさに下手をすると命を落としかねない、無差別な犯行でしたがその場では逃走してしまうほどだったのでした。

一柳展也の犯した事件は尊属殺と呼ばれる

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両親や叔父・叔母、祖父母を殺害する行為は当然罪になることは明らかです。親族を殺害することは、尊属殺(そんぞくさつ)と呼ばれ、殺人罪以外で尊属殺人罪という罪が課されています。無期懲役や極刑が課されるほどの重罪にも該当するほどですが、金属バットで両親を殺害する事件の懲役13年という判決はまさに温情判決と言えるでしょう。

精神鑑定などが大きかったことも、一つに挙げられることかもしれません。13年の時は長いですが、2度と帰ってくることのない命の代償と考えるとどうでしょうか。決して比べてはいけないことですが、法的に処罰の対象になることは言えます。尊属殺もですが、1番には出所してからの問題なのかもしれません。

2002年7月に母親をバットで撲殺した事件

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岡山県で前年から野球部の後輩たちからいじめを受けつつ、更に準レギュラーの座を争う為に問題になり、2002年の7月にいじめが加速していた中で怒りが爆発して事件を起こす高校生の少年がいます。後輩たちを次々にバットで殴打し、4人に重軽傷を負わせてしまう事件がありました。

それだけに止まらず、自宅に帰った少年が少年たちを殺してしまったと思い込んでしまい、このままでは殺人犯の親になってしまうと思い母親を殺害する事件があったのです。いじめの我慢の上に起こった事件ですが、亡くなったのは不憫さを感じたことがきっかけで母親を殺してしまうといった母親を手にかけてしまう事件が起こった結果でした。

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重軽傷を負った後輩たちも怪我を負っていることから、決して起こしてはならないことは当然ですが、最終的には母親を撲殺するに至ったのです。学校内のトラブルは今でも社会問題になっていますが、尊属殺もまた問題の人といっておかしくありません。思い込みから起こった事件ですが、母親を手にかけてしまったことに変わりはないのではないでしょうか。

中身出し 思い込みから殺害後に逃亡

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少年たちを殺害しまったと思い込んでしまったことから怪我をさせただけでなく、犯行後は、焦りからか殺害した現場から逃走してしまいます。その後は父親に発見された母親でしたが、ほぼ即死に近い状態だったことが後に分かるのです。そこには少年のユニフォームと血痕が付着したバットも残されていました。少年は岡山県から遥か遠く離れた北海道を目指していたと言いますが、16日後に秋山県で発見されます。

自転車での逃亡を考えていた少年でしたが、その逃亡は長きにわたり行われましたが計画通りになることはありません。いじめの問題は大きなトラブルに発展します。少年の考えとは違う点の大きな違いは殺害することが母親の為になるわけではないことです。後に特別少年院に送られますが、保護扱いとなるのです。

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止むことのない尊属殺の実態があります。不満が爆発したことから発展した暴行傷害事件も問題ですが、最終的には自らの思いとは裏腹になり殺害してしまうことに繋がるのです。当然かもしれませんが残された親族がいることは忘れてはいけないことと言えます。そして、学校だけにだけ蔓延しているわけではありませんが、どこであってもいじめのトラブルもまた大きな社会問題かもしれません。

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