大分一家6人殺傷事件とは?犯人の動機や現在、被害者一家のその後に迫る

被害者に抵抗され、少年も軽い傷を負いましたが、「皆殺しだ!」などと叫びながら全員を殺傷した少年は、被害者宅の電話線を引きちぎった後、混合油が入ったポリタンクとライターを自宅の倉庫に取りに行きました。

被害者宅に戻ってきた少年は、玄関前に混合油を撒き、ライターで火を付けた後に自宅に帰りました。少年の付けた火は玄関の一部を燃やしたのみで、時を置かずに消えました。

翌朝犯行を認め緊急逮捕

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同日午前2時52分に、被害者一家の中では1番被害が軽かったとはいえ、背中を切りつけられ重体だった長女が携帯電話で助けを求めたため警察や救急が出動し、3名の命が助かりました。

同日午前4時過ぎ、警察の捜査員が少年の自宅に行き、「出かけていたか」と質問します。人違いではないかと捜査員が感じるほど落ち着いた様子で、「家におったよ」と少年は答えました。

任意同行を求められ、パトカーに乗った少年が「ぼくがやりました」と犯行を認めたため、殺人や殺人未遂の容疑などにより、同日午前6時過ぎに緊急逮捕されました。

大分一家6人殺傷事件の犯人の生い立ちと家族との関係

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大分一家6人殺傷事件の犯人である少年は15歳でした。残忍な事件を起こす精神状態に至る一因として、「一般的とは言い難い家庭環境」が少年の精神に強い影響を与えたのではないかと考えられています。

少年は家族から、「もう少し男らしくなれんか」と言われていました。取り調べの最中に「オレは強くならんといけん」と少年は述べています。「いつか家族を見返してやろう」と考えていたようです。

父・母・兄・犯人の4人暮らし

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少年は、両親・祖母・兄の5人家族でした。父親は廃棄物の処理会社、母親はタクシー会社、兄は建設会社に勤めていました。以前は祖母も一緒に暮らしていましたが、事件当時は福祉施設に入所していました。

両親は深夜まで働く日もあり、兄も社会人だったため、家を空けることが多かったと推察できます。祖母も施設に入所してしまい、少年は家族と過ごす時間が少なく、1人で孤独に過ごす日も多かったようです。

犯人の父親は感情の起伏が激しい人物だった

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事件を起こす精神状態に至ってしまった一因に、父親の存在が大きな影響を与えています。取り調べの最中に少年は、「父親を怒らせると家にいられなくなる」という恐怖心を述べています。

少年の父親には、「水害が発生した時に、車が流されそうな状況になってもパチンコを続け、席を立とうとしない」「稲刈りの準備に熱中し、毎年稲の刈り入れが大幅に遅れる」などの逸話があります。

少年の父親は、物事に夢中になりやすく、夢中になってしまうと現在の状況や本来の目的が目に入らない性格だったようです。感情の起伏が非常に激しく、家族を怒鳴り散らすことも多かったようです。

犯人が幼少の頃、母親が他の男と家出していた

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少年が幼少(3~4歳)の頃、母親は家にいませんでした。家を出て、職場で親しくなった男性と暮らしていたのです。父親の、感情の起伏が激しい性格にも原因があるのではないかとの噂もありました。

父親は、廃棄物処理会社に勤め始めた時期でしたが、少年を連れて出勤し、勤務先で面倒をみる日もありました。会社内では猫を飼っていました。この時期に、会社の猫を乱暴に扱っている父親の姿が目撃されています。

父親はダンプの運転手だったため不在の日も多く、少年は幼少の頃も孤独な時間が多かったようです。母親が戻った後は、何事もなかったかのように元の生活に戻りました。

大分一家6人殺傷事件の犯人が育った家庭環境

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「感情の波が激しく家族を怒鳴り散らす父親」と、「一時期とはいえ、幼い息子を置いて家を出て、父ではない男性と暮らしていた母親」によって、大分一家6人殺傷事件を起こした少年は育てられました。

父親と母親、「どちらの方が常識的だったか」と近隣住人に尋ねると、「母親の方が常識的だった」との返答がありましたが、どちらにせよ「一般的とは言い難い家庭環境」でした。

犯人は父親から体罰を受けている所も目撃されている

家族を怒鳴り散らす父親だったので、少年に対しても容赦はありませんでした。怒鳴り散らすだけではなく、少年の体が浮かびあがるほどの力で蹴り飛ばす場面も目撃されています。

少年にとって父親は『絶対的な恐ろしい存在』であり、「のぞきや下着泥棒が父親に知られると怒られる」「家にいられなくなる」という恐怖心は、大分一家6人殺傷事件を起こした一因となっているといえます。

事件が起こるまでは被害者一家との交友関係も良好だった

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被害者一家と犯人一家は隣同士であり、被害者宅の家主と少年の父親は釣り仲間だったため、大分一家6人殺傷事件の1週間前(被害者宅の家主が苦情を言いに来た日)までは両家の交友関係も良好でした。

少年は、小学生の頃は長女と仲が良く一緒に登校していました。中学生の頃は長男と仲が良く同じ部活動の先輩と後輩の間柄でした。次男とは、大分一家6人殺傷事件の1週間前まで一緒に遊んでいたほど仲良しでした。

大分一家6人殺傷事件の犯人の表向きの顔と闇の顔

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少年は、下着泥棒をした自分の罪を軽く捉え、自分を「のぞき犯」だと言った相手に対して被害者感情を持ち、相手に対する憎悪を膨れ上がらせたと考えられています。

大分一家6人殺傷事件の犯人は、冷静で計画的な面と、幼稚でいい加減な面があります。「思春期の不安定な心」や「家庭環境によって不安定になった心」の影響により、アンバランスな犯行になったと推察できます。

大分一家6人殺傷事件の犯人は「真面目」「いい子」と言われていた

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少年は、家族と過ごす時間が少なく、一緒に過ごしたとしても「突然怒り出す恐ろしい父親」と「いつ居なくなるかわからない母親」では、自分の感情を表情や態度で表すのは難しい環境だったといえます。

少年の評判は、集落でも学校でも「真面目」や「いい子」といった良い印象でした。環境によって、自分の感情を隠す習慣がついてしまった少年の姿は、大人が見ると「大人しい、いい子」に見えたのかもしれません。

真面目な人だからこそ限度を超えた攻撃をしてしまい、一気に凶悪な犯罪にまで至ってしまう場合があります。少年も「真面目」だからこそ、大分一家6人殺傷事件という残忍な事件を起こしたのかもしれません。

小学生の時は新聞配達のバイトもしていた

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少年は、小学5年生の頃から新聞配達のアルバイトをしていました。配達の担当地域は自分の住んでいる集落(都原)でした。平成の世の中では、小学生の配達員はあまり見かけない珍しい存在です。

24戸の小さな集落での配達とはいえ、両親が揃って働いており、兄弟が多いわけでもなく、特殊な事情も見受けられない一般家庭で育った平成の小学生が、自分から「新聞配達をしたい」と言うでしょうか。

『強制的に働かされ、家計費を稼いでいた』『自発的に働き、小遣いを稼いでいた』どちらの場合であっても、「一般的とは言い難い家庭環境」だったことが伺えます。

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