渡鹿野島とは?三重県にある島で別名「売春島」?!
渡鹿野島は、三重県の志摩市にある島です。志摩スペイン村や弁天崎がある観光地の近くに存在しています。現在の人口は300人ほどです。
この島には売春島、桃源郷という別名がつけられていて、様々な事件も重なり都市伝説となっていました。
渡鹿野島の歴史は?売春島と呼ばれる理由とは?
売春島という不名誉な呼ばれ方をした渡鹿野島ですが、風俗の歴史を遡ると江戸時代にもなります。伊勢神宮などもある聖地の近くで、どうして風俗産業が活発になり都市伝説とまで呼ばれたのでしょうか。
渡鹿野島の歴史①江戸時代には船が盛んに寄る島だった
江戸時代、渡鹿野島には江戸と大阪を行き来する商船や貨物船の避難場所の港として多くの人が出入りしていまいた。江戸と大阪の丁度中間の位置にあったのと、穏やかな気候だったため風待ちの島と呼ばれていました。
渡鹿野島の地名の由来は?
渡鹿野島の地名は古くから呼ばれていて、海の中の島「わたなか」から訛ってわたかのになったと言われています。
渡鹿野島の歴史②船乗り相手の水上遊女が集まり遊郭街に
多くの商船が出入りするようになると、船乗りの為に宿屋や外食産業が発達していきます。風待ちの船乗りの為に水上で性接待をする水上遊女や芸妓も増え始め、遊郭街が華やいでいました。
渡鹿野島の歴史③バブル期にはとても栄えた
バブル期には風俗業での売り上げがピークとなり、島の大通りは買春の為に集まった男たちで人だかりの山ができていました。次々にやってくる客に、売春婦と過ごすための部屋が足りなくなるほどだったという都市伝説も。
渡鹿野島の歴史④2006年ごろには裏カジノも?!
バブル絶頂期にはホテル以外にもパチンコやスナックなどの産業も盛んになり、暴力団関係者が仕切っていた裏カジノも存在していました。小さな島で、飲む打つ買うといった男のための夢のレジャーランドが完成し、10数年前まで売春島として名を知られていました。
この時代のことがさまざまな都市伝説となって語り継がれています。
2013年には「渡鹿野島安全・安心街づくり宣言」が出された
2013年に観光協議会が志摩市と協同で「渡鹿野島安全・安心街づくり宣言」を採択しました。これは渡鹿野島が売春の島だという悪いイメージを払拭し、健全に観光客を誘致しようというものでした。
以前から風俗街の摘発や事件、都市伝説などが相次いでいたこともあり、この宣言が採択されてから渡鹿野島の風俗業は下火となっていきました
たくさんあったホテルや置屋は性産業の衰退と同じく廃業し、廃墟となっています。
レジェンド校長 高島雄平に関する記事はこちら
渡鹿野島の現在は?
かつては都市伝説として男の夢の島と言われた渡鹿野島ですが、今もこの島で風俗業に従事している女性はいるのでしょうか。
渡鹿野島の現在①人口が減少し風俗店も激減、観光スポットへ!
街づくり宣言が採択され、風俗業が衰退していくと、それにともない人口もどんどん減少していきます。風評や都市伝説にも負けず、観光協会が家族連れや女性でも安心して訪れることができる観光スポットを目指しています。
渡鹿野島の売春は今なお残っている?!
現在でも売春は秘密裏に行われているそうで、2017年にとある観光客が売春斡旋の老婆に声をかけられたという情報が流れました。都市伝説とされていますが今でもひっそりと風俗店が存在するのではないでしょうか。
渡鹿野島の現在②2003年にパールビーチが整備された
一大産業であった性産業が衰退していく中、売春客や遊女を相手に商売をしていた島の人たちの生活も不安定になっていきます。それを受けて観光協会は、渡鹿野島に新しい観光スポットを作ろうと「パールビーチ」という名の海水浴場を作りました。
人工ビーチなので遠浅で波もなく、子供連れでも安心して海水浴が楽しめます。無料のシャワー室や更衣室はスペイン風の建物の中にあり、南国気分が味わえます。
パールビーチではミュージックイベントなどが行われ、島外からたくさんの人が集まりました。
2010年頃の渡鹿野島とパールビーチの様子
渡鹿野島へ実際赴いたことのある女性の話ですが、性産業が行われていた有名な島とは知らず、釣りとパールビーチを目的にしていたそうです。
夏休みにも関わらず観光客は海水浴場にも島にもほとんど姿を見かけず、閑散としていたとか。島の入り口では東南アジア系の女性が何人かこちらを向いていたが、今思えば同行の父親ばかり見ていたそうです。しばらくするとその女性たちは離れていったようです。
渡鹿野島の現在③2016年の伊勢志摩サミットで話題に
2016年に話題となった伊勢志摩サミットですが、会場となった賢島が渡鹿野島のすぐそばにあったことで問題になりました。世界的なサミットの会場の近くに、いかがわしい噂のある島があるのはどうかということで世間からの批判が殺到しました。
渡鹿野島の現在④現在でも天王祭は賑わいを見せる
渡鹿野島では毎年7月になると、島を挙げてのお祭り「天王祭」が開催されています。昔から続くこの祭りは島内の明かりをすべて消し、暗がりの中を神輿が島中をかけ回り神輿練りの神事が行われます。
今年の開催日は7月19日に宵宮、20日に本宮の予定となっています。
渡鹿野島の現在⑤廃墟ファンが訪れることも?
渡鹿野島で栄えた性産業によって、島にはたくさんのホテルや置屋が建設されました。しかし近年市や観光協会によるクリーン化が進んだことにより、ホテルの多くが廃業しどんどんと廃墟化していきます。
高齢化が進む島の中心部のホテルも廃墟となっており、廃墟目的の観光客も増えているそうです。
廃墟になったリバーサイドモールに関する記事はこちら
渡鹿野島は売春島であり暴力団の黒い噂が絶えない島だった?
売春産業には裏に暴力団が絡んでいることが多く、渡鹿野島でも例にもれず黒い噂や事件の情報が流れていました。