【渡鹿野島】三重県の売春島の現在は?廃墟と化した風俗島の歴史を紹介!

渡鹿野島は三重県にあるハートの形をした人口300人ほどの小さな島で2016年の伊勢志摩サミットの会場が近いことで話題になりました。その理由は渡鹿野島がかつては売春島と呼ばれ島のほとんどの店、人が性産業に従事していたからです。渡鹿野島の歴史と現在の様子を紹介します。

この記事をかいた人

1986年生まれ。2児の母。

渡鹿野島とは?三重県にある島で別名「売春島」?!

12019 / Pixabay

渡鹿野島は、三重県の志摩市にある島です。志摩スペイン村や弁天崎がある観光地の近くに存在しています。現在の人口は300人ほどです。

この島には売春島、桃源郷という別名がつけられていて、様々な事件も重なり都市伝説となっていました。

渡鹿野島の歴史は?売春島と呼ばれる理由とは?

Gellinger / Pixabay

売春島という不名誉な呼ばれ方をした渡鹿野島ですが、風俗の歴史を遡ると江戸時代にもなります。伊勢神宮などもある聖地の近くで、どうして風俗産業が活発になり都市伝説とまで呼ばれたのでしょうか。

渡鹿野島の歴史①江戸時代には船が盛んに寄る島だった

851878 / Pixabay

江戸時代、渡鹿野島には江戸と大阪を行き来する商船や貨物船の避難場所の港として多くの人が出入りしていまいた。江戸と大阪の丁度中間の位置にあったのと、穏やかな気候だったため風待ちの島と呼ばれていました。

渡鹿野島の地名の由来は?

Pexels / Pixabay

渡鹿野島の地名は古くから呼ばれていて、海の中の島「わたなか」から訛ってわたかのになったと言われています。

渡鹿野島の歴史②船乗り相手の水上遊女が集まり遊郭街に

geralt / Pixabay

多くの商船が出入りするようになると、船乗りの為に宿屋や外食産業が発達していきます。風待ちの船乗りの為に水上で性接待をする水上遊女や芸妓も増え始め、遊郭街が華やいでいました。

渡鹿野島の歴史③バブル期にはとても栄えた

eak_kkk / Pixabay

バブル期には風俗業での売り上げがピークとなり、島の大通りは買春の為に集まった男たちで人だかりの山ができていました。次々にやってくる客に、売春婦と過ごすための部屋が足りなくなるほどだったという都市伝説も。

渡鹿野島の歴史④2006年ごろには裏カジノも?!

Free-Photos / Pixabay

バブル絶頂期にはホテル以外にもパチンコやスナックなどの産業も盛んになり、暴力団関係者が仕切っていた裏カジノも存在していました。小さな島で、飲む打つ買うといった男のための夢のレジャーランドが完成し、10数年前まで売春島として名を知られていました。

この時代のことがさまざまな都市伝説となって語り継がれています。

2013年には「渡鹿野島安全・安心街づくり宣言」が出された

RyanMcGuire / Pixabay

2013年に観光協議会が志摩市と協同で「渡鹿野島安全・安心街づくり宣言」を採択しました。これは渡鹿野島が売春の島だという悪いイメージを払拭し、健全に観光客を誘致しようというものでした。

以前から風俗街の摘発や事件、都市伝説などが相次いでいたこともあり、この宣言が採択されてから渡鹿野島の風俗業は下火となっていきました

NEXT 2013年には「渡鹿野島安全・安心街づくり宣言」が出された