尼崎事件の真相とその後は?角田美代子の生い立ちや裁判、自殺の理由は?

前述した通りですがこの家庭は、首謀者とは遠い親戚にあたり、母親の実の姉が亡くなりその『葬儀』でのいちゃもんや文句がきっかけとなって、ファミリーの一員となり深く関わってしまったのです。

長男(首謀者の義理兄)

また難解でややこしい『尼崎事件』においては、いなくなってしまった人物。他界してしまった人物。命を落としてしまった人物のほとんどは首謀者の計画によるもので『事件性』があります。(供述で判明)

しかしこの家庭の『長男』言い換えれば首謀者の『義理兄』にあたる人物は、2019年(令和元年)現在から19年前の平成12年に突如いなくなってしまっていますが、首謀者の計画ではなく事件性はないそうです。

つまり狂気に満ちた頭がおかしくなるような輪廻に取りつかれた生活、ファミリーと首謀者に嫌気がさして自ら行方をくらました可能性が高いと考えられます。

B家の母の不審死事件

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2019年現在からちょうど20年前の平成11年にこの家庭の母親が亡くなってしまっています。調べによれば首謀者の計画であったり、仕向けられた『死』ではないそうです。

しかしながら、生きていて『尼崎事件』のファミリーたちと生活していた頃には、他の人物から殴る蹴るなどの激しい暴力を受けていたり、満足な飲食をさせてもらえなかった。

などの卑劣な虐待を受けていた状態であったことが語られており、もしかするとその影響で命を落としてしまったことも十分に考えられます。

警察も捜査

勿論警察もその線を考慮して彼の死について徹底的に操作しましたが、やはり首謀者やファミリーたちは直接関与していなかったようで『裁判沙汰』にはなっていないようです。

B家の母の長男転落事件

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上記のこの家庭の母親が亡くなった事件と同年である『平成11年』に起きています。この家庭の『長男』までもがこの年に命を落としてしまったのです。

そのとき長男は完全な自由を奪われてはいなかったものの『外出禁止』や他人との接触を禁じられていたようで、そんな状況の中で彼は1人『心中』してこの世を去ってしまいました。

悍ましい輪廻が続いたファミリーたちが生活していた一つ同じ屋根の下の『マンション』のバルコニーから、身を投じて心中しました。

長男の死も事件性はない?

精神的も肉体的にも追い込まれての心中だと考えられますが、こちらの事件もどうやら首謀者や『尼崎事件』のファミリーの直接的な影響ではなかったのは『裁判』の大正ではありませんでした。

尼崎事件の概要③C・D家をめぐる事件

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次に解説するのは『尼崎事件』の『C家』『D家』が関与している出来事や事件です。先ほど解説した通りですが首謀者の旦那の中学生時代の『学友』『友達』だったのがC家の『父親』でした。

つまり地は繋がっておらず他人同然なのですが、心と行動を支配されてしまうファミリーたちに加えられてしまうのです。そしてCと血のつながりがあったDまでもが巻き込まれてしまうのです。

この2つの家庭には、首謀者の人間の心の弱さに付け込んで支配するという『精神操作』が顕著に及んでしまったのです。その結果により家庭間で命を奪ってしまう事態にまで発展してしまいました。

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2つの家庭が関与している出来事、事件が多く7つもあります。できるだけ分かり易く簡単にその概要を解説していきます。

どちらかというと首謀者の旦那の友人関係にあった『C家』の方がまだD家よりも繋がりがあると考えられますが、ほとんど繋がりのない『D家』のほうが事件の数が多くより巻き込まれていくのです。

C家の母の死体遺棄事件

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2019年現在から16年前の平成15年に発生しています。まだその当時はD家は『尼崎事件』のファミリーに加わるか加わっていない時でした。

C家の『母親』は首謀者やファミリーたちによっていじめを受けるように、何度も痛ましい暴力を受け続けて、またろくな食料や飲料を与えずに肉体的にも追い込んで、最期には命を奪われてしまったのです。

その死の原因は当然ながら、首謀者や支配された奴隷同然のファミリーたちによるいじめの様な所業のせいです。亡骸は『D家』の自宅にある物置の下に埋められ、供述により発見されました。

傷害致死と時効

しかしながら明確な殺意があったわけではないので『殺害』をしているわけではないとして、『傷害致死』として扱われました。

実は時効年数が2倍に引き延ばされたのは平成22年であり、その時はまだ平成15年でした。そのため『傷害致死』となれば時効は10年しかなかったのです。そして裁判が行われたのは平成25年のことでした。

つまりその時はもうすでに『時効』を迎えてしまっていて、立件することが『不可能』となってしまったのです。あと少しばかり明るみになるのが早ければ、きちんと実行犯たちを罰せれたかもしれません。

D家の叔父の死体遺棄事件

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2019年(令和元年)現在から15年前の平成16年に発生しています。D家の『叔父』(父親の実の兄にあたる人物)も『尼崎事件』の首謀者やファミリーたちによって迫害されていました。

長期にわたって酷い暴力を受けて、また飲食も満足にさせてもらえずに最後には命を落としてしまいました。もちろん『死』に追いやったのはその迫害や虐待によるものです。

当事者たちの口から亡骸の場所が伝えられて『C家』の自宅の下に遺棄されていたことが判明して発見されましたが、既に損壊が激しく『司法解剖』をしても正確な死因や外傷などを鑑定することができませんでした。

時間が経ち過ぎていた

そのため時効ギリギリで立件出来て該当する容疑者たちを裁判にかけることはできたのですが、残念ながら決定的な証拠が無く、証拠不十分であるため刑事処罰を下すことはできませんでした。

明らかに卑劣で容赦ない『虐待』『暴力』が原因で2人の命が奪われているのですが、その2つの事案とも裁判で正しく罰せることは叶わなかったのです。

これに至っては『時効』が既に迎えてしまったため、『証拠』が得らなかったためと、凄惨な事態が明るみになるのに時間が経ちすぎてしまっていたのです。

D家の母の連れ去り事件

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2019年(令和元年)現在から16年前の平成15年に『D家』の『母親』は『尼崎事件』のファミリーたちから迫害を受けており、様々な仕打ちに遭っていました。

それは殴る蹴るといった肉体的な暴力であったり、高圧的な態度や誹謗中傷のような言葉を浴びせて、また生活の一部を禁じられていたのです。

同じように迫害されて仕打ちを受けていた内縁関係にあった『旦那』の力によって、『尼崎事件』のファミリーたちと一つ同じ屋根の下であった環境からなんとか逃れることに成功したのです。

再び奴隷同然の毎日に

暫くは近畿地方に位置して紀ノ國と呼ばれるような『和歌山』にて、職場に生活環境が整っていた『宿泊施設』のスタッフとして働いていました。

首謀者によって狂わされたファミリーたちや悍ましい輪廻から逃れるように忘れるように生活していましたが、乗用車を買う際に致し方無く『住所変更』をしましたが、それで現在地がバレてしまったのです。

そしてファミリーたちから逃れて4年後の平成19年に、生活拠点でもあり職場でもあった『宿泊施設』に共謀者らが押しかけて強制的に再びまたあの地獄の日々、ファミリーたちに戻されてしまったのです。

家族ゆえに逃れられなかった

元々はまったく血のつながりもなく関係もなかった『C・D家』でしたが、どんどんと首謀者によってファミリーたちの一員に加えさせられていきました。

『マインド』『メンタル』を首謀者によって操られてしまい、悪の所業、迫害などに加担を強いられる者もいて、また自ら道徳心を失ってそれに協力する者も出てきてしまったのです。

故に一度は逃れることに成功した母親ですが、住所変更してしまったので血縁関係にあり協力的な『家族』によって、役所などで開示させれられて現在地がバレてしまい、強制的に地獄に戻らせられたのです。

D家の長女の死体遺棄事件

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2019年(令和元年)現在から15年前の平成16年に『D家』の『長女』は迫害されていて、奴隷の様な生活に嫌気がさして『尼崎事件』のファミリーたちから抜けて家を飛び出しました。

悍ましい生活、輪廻から解放された彼女はそこから2年半以上、阪神エリアである『大阪府』にて賃貸住宅を借りて、アルバイトしながら生活していました。

元々彼女は当時はまだメジャーとなっていなかった『情報系』のホームページ作成のような仕事に就いていて、知識も技術も長けていた人物でしたが首謀者らによって『アルバイト』にまで転落してしまいました。

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確かに立派な正社員、それも情報系の会社から、言ってしまえばだれでもできる『アルバイト』に転落してしまったわけですから『不幸』に見舞われてしまったといえます。

しかし彼女からしたら人としての自由や権利を一切奪われて、ファミリーたちから迫害を受ける生活に比べれば、よっぽどましであり幸せなことだったのでしょう。

ですが平成18年の『年の瀬』に『尼崎事件』の首謀者らによって、強制的に再びファミリーたちの一員に加えさせられ奴隷のような毎日送る事となってしまいます。

2度目の脱出

忘れかけていた首謀者らが自分の前に現れたときどれだけ絶望したのでしょうか?きっと想像を絶するものだったに違いありません。その後首謀者の計らいによってファミリーたちの1人と内縁の関係になります。

彼女は内縁の関係なったその男性と平成20年に再び2度目の『脱出』を図りましたが、間もなくしてっ首謀者らに見つかってしまい捕まってしまいました。

そして『反逆』した罪に問われるように『罰』が下されました。もちろん言葉通りで本当に何の罪もないなのですが、首謀者や『尼崎事件』のファミリーたちによって狭く薄暗い小屋に拘束させられました。

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少なく見積もっても60日以上もの間拘束させられ、首謀者やファミリーたちから激しい暴力を振るわれ、また生命を維持するのに欠かせない『食料』『水分』もまともに与えられなかったのです。

そうしてどんどん精神的にも肉体的にも追い込まれて『衰弱』していき、最期には平成20年の暮れに命を落としてしまったのです。その後亡骸は血縁関係にある『C家』の自宅の地下に『遺棄』されました。

本来は一番信頼関係にあるはずの家族から酷い仕打ちに遭って最後には命を奪われてしまうのです。そのような残酷なことが現代に起きていたというのですから驚きを隠せません。

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