ジェロム・レ・バンナの現在!パンチ力も凄い!おすすめ動画も紹介!

ジェロム・レ・バンナ選手はK-1全盛期に最もファンを魅了した選手といっても過言ではありません。当記事では、そんなジェロム・レ・バンナ選手の現在や、パンチ力の凄さがわかるエピソードなどを紹介!ファンの方も改めて強さを知りたい方も必見です。

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観るのはサッカー、やるのは野球派です。
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ジェロム・レ・バンナとは?伝説級のキックボクサー!

2000年代はじめに格闘技界において男女共に幅広い年代から多くの支持を得た「K-1」。数々のスター選手がファンを魅了し、中でも人気の高かった選手にジェロム・レ・バンナがあげられます。一体どのような選手で、なぜ人気があったのか、彼の魅力を伝説級の試合や戦績、様々なエピソードなどと共に紹介していきます。

ジェロム・レ・バンナのプロフィールと生い立ちを紹介!

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ジェロム・レ・バンナの出身国や生年月日などのプロフィール、格闘家を志すきっかけや、格闘家デビューまでの過程を紹介していきます。

ジェロム・レ・バンナのプロフィール

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ジェロム・レ・バンナは1972年12月26日生まれの46歳です。フランスノルマンディー地域圏のセーヌ=マリティーム県ル・アーヴル出身です。身長は190cm、体重は120kgで、風貌の恐さもありK-1時代は”K-1の番長”と呼ばれていました。

ジェロム・レ・バンナの生い立ち①プロボクサーの父の元に生まれる

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ジェロム・レ・バンナの父は元プロボクサーで、国内のヘビー級王者に昇り詰めるほどの実力がありました。その父が戦う姿を間近で見て育ったバンナが、格闘技に興味を持つことはごく自然でした。

ジェロム・レ・バンナの生い立ち②ボクシングは母が猛反対

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父の影響を強く受け、キックボクシングかボクシングを習いたかったのものの、母親の反対により断念せざるを得ませんでした。かわりに選んだのは「柔道」で、6歳から14歳までの約9年間打ち込み、優秀な戦績を収めるほどに成長しました。

ジェロム・レ・バンナの生い立ち③ブルースリーに憧れた

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バンナは、映画「ドラゴン怒りの鉄拳」を観てブルースリーに憧れを抱きます。その影響で、空手とジンクードーを習います。本来右利きにも関わらず、ブルースリーにあわせてサウスポーに構えるようになり、現在の左に構えるスタイルが確立されるきっかけになりました。

ジェロム・レ・バンナの生い立ち④18歳でキックボクシングの道に

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クラブに入会できる18歳になり、ようやくキックボクシングを学べることになりました。過去に学んだ柔道や空手、ジンクードー等の格闘技経験もあり、入会後わずかな期間で良い戦績をあげ頭角を現すのです。

ジェロム・レ・バンナの戦歴を紹介!

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18歳でキックボクシングの道に入り、早い段階で頭角を現したジェロム・レ・バンナ。K-1はもちろんボクシングの試合へも出場し数々の戦績をあげました。そんなバンナの現在に至るまでの戦歴を紹介します。

ジェロム・レ・バンナの戦歴①ISKAフルコンタクト・フランス王座

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ジェロム・レ・バンナは筋肉質で恵まれた体格と類稀なるセンスで対戦相手を次々に退けて素晴らしい戦績をあげ、入会からわずか2年後の20歳の時に、ISKAフルコンタクト・フランス王座に輝きました。

ジェロム・レ・バンナの戦歴②1995年よりK-1に参戦

1994年にISKAヨーロッパ王座、RCFA世界スーパーヘビー級王座を立て続けに獲得し、ISKAインターコンチネンタル王座戦で、後にK-1の舞台で共に活躍するマイク・ベルナルドと対戦の末、見事勝利を収め王座に輝きます。これがきっかけになり、翌年「K-1 GRAND PRIX ’95 開幕戦」でK-1デビューをしました。

ジェロム・レ・バンナの戦歴③ボクシングでも6戦6勝!

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K-1で活躍すると同時にプロボクシングへも挑戦しました。世界2大プロモーターの1つドン・キングと契約を結び、ホリフィールドと共に練習へ参加し、持ち前のパンチ力でその年に4戦4勝3KOという戦績を残します。しかし、契約トラブルでボクシングを離れ、再び2009年に久々の試合で2戦2勝をあげ、通算戦績6戦6勝と圧倒的強さでした。

ジェロム・レ・バンナの戦歴④K-1 GRAND PRIX ’99で前年王者を倒す

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契約トラブルによりボクシングの出場機会を奪われると、「K-1 GRAND PRIX ’99」の大会からK-1へ帰ってきました。開幕戦を順調に突破し、続く決勝トーナメントの相手は前年の王者ピーター・アーツでした。1R開始間もなくダウンを奪われるものの、反撃に転じると左フック一発で逆転KO勝利を収めました。

ジェロム・レ・バンナの戦歴⑤最盛期にはすさまじい活躍を見せた

2000年代前半からバンナの最盛期に入ります。特に「K-1 THE MILLENNIUM」での対フランシスコ・フィリオ戦において、バンナの強烈な左ストレートでフィリオが失神KOした出来事は「千年に一度のKO劇」と称され、バンナのパンチ力と強さを象徴するシーンとして現在でも語り継がれています。

ジェロム・レ・バンナの戦歴⑥左腕を大けがしても強かった

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「K-1 WORLD GRANDPRIX 2002 決勝戦」で、武蔵、マーク・ハントを倒し進んだ決勝のアーネスト・ホースト戦で、ホーストのミドルを受け、左腕を粉砕骨折する事態に見舞われました。骨折した箇所はプレート2枚、ボルト13本を埋め込む大手術になりました。

バンナは、約1年後に怪我からの復帰戦「K-1 WORLD GRANDPRIX 2003 in PARIS」で、見事勝利を収めました。その後も数々の試合で勝利を収めつつも、ある対戦では左腕の金属ボルトがズレるなど、気を配りながらトレーニングや試合をこなすことになるのでした。

ジェロム・レ・バンナの戦歴⑦2009年には引退説が上がるも否定

バンナは引退が噂されるようになる中、2009年12月K-1 WORLD GRANDPRIX 2009 FINALのセミー・シュルト戦で1RKO負けを喫するのでした。この敗戦を受けて報道陣や関係者がざわつく中、試合後のインタビューでバンナははっきりと引退を否定したのでした。

ジェロム・レ・バンナは2015年に引退

バンナは、2014年にメディアにて「2015年でキックボクシングを引退する」と発言し、翌年に改めて国内3つの地域でそれぞれ行う大会をもって引退すると正式に発表しました。4月にエヴルー、6月にリヨン、8月にサントロペでのツアー開催が決定しました。

4月に行う初戦の約3週間前、練習中に左中足骨を骨折するアクシデントに見舞われるにもかかわらず、4月の試合に怪我をおして強行出場し、見事KO勝利を収めました。しかし、これにより怪我が全治8週間と悪化し、6月の第2戦は欠場になりました。

8月の第3戦は予定通りに出場し、見事勝利で最終戦を終えました。ところが、バンナの希望により年末に開催の「RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2015 さいたま3DAYS」への出場を最終戦とすることになったのですが、バンナは自身の怪我と対戦相手の急な変更により出場を辞退し、このまま引退になるのでした。

ジェロム・レ・バンナの現在は?

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ジェロム・レ・バンナは、実は現役時代から映画俳優としてハリウッドデビューを果たすほどの活躍振りでした。その俳優業での活躍振りと、引退後から現在に至るまでの現役復帰に向けた調整や、復帰戦の実現の経緯と戦績などを紹介します。

ジェロム・レ・バンナは映画俳優としても活動

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バンナは何とハリウッドデビューをしています。「バビロンA.D.」という作品で、アクション演技を見事に演じています。巨額の制作費を投じた「Asterix aux jeux olympiques」というシリーズ作品で、友人であるアラン・ドロンと共演し、さらにジャン・クロード・バンダムにかわる重要な配役を好演しました。

ジェロム・レ・バンナの2015年以降の現役復帰は?

2015年大晦日の試合を辞退したバンナですが、RIZINへの不義理、最後に日本で試合を、という想いを実直な行動や言葉で現しました。その実直な行動の経緯について紹介します。

2015年のドタキャン騒動でRAIZINと揉めたが翌年和解した

RIZINを直前で辞退したバンナは、翌年2016年大晦日のRIZIN会場にてファンの前で公に謝罪すると同時に、大会出場の意向をアピールしました。榊原RIZIN実行委員長は「自費で日本へ来て、公の場でお詫びをすることを果たしてくれた。けじめをつけてくれた。」とコメントし和解に至りました。

ジェロム・レ・バンナは2017年に復帰戦をしていた!

RIZINと和解の後、2017年に「RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2017 1st ROUND -秋の陣-」へ出場し、ロッキー・マルティネスと対戦します。結果は、残念ながら1RKO負けを喫しました。

ジェロム・レ・バンナは2019年に2017年以来の試合に出場が決定!

2018年、「ROAD FC 047」へ出場予定でしたが、負傷のため欠場となってしまいました。翌年、2019年5月18日韓国・済州島で開催の「ROAD FC 053」へ満を持して出場が決まりました。対戦相手はカンフーパンダの異名で知られるアオルコロに決まりましたが、残念ながら今回も負傷により欠場となってしまいました。

2019年3月は「HEAT44」へ参戦

2019年3月4日、名古屋で行われた「HEAT 44」で、HEATキックルール スーパーヘビー級 ワンマッチ(3分3R)にバンナが登場し、ブラジルの楠ジャイロと対戦しました。相手が強烈なパンチ力への警戒を強めるため、バンナは右ローキックで攻め続けた結果2RにTKO勝利を収めました。

ジェロム・レ・バンナのファイトスタイルとは?

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ジェロム・レ・バンナが多くのファンを魅了する理由の1つは、何と言ってもKO率の高さでしょう。KO率の高さこそが、バンナのファイトスタイルによるものです。ここではファイトスタイルや得意技、そこから由来する呼称や現在でも呼ばれているあだ名を紹介します。

パンチとローキックを主体とした

コンバーテッドサウスポーのスタイルから、左右のどちらも強烈なパンチとローキックのコンビネーションを主体にしていました。バンナと言えばパンチのイメージが強いですが、全盛期には左ハイキックで相手からダウンを奪うシーンもあり、バリエーションに富んだファイトスタイルでファンを楽しませてくれました。

黄金の左とも評された左ストレートが強烈

バンナと言えば、全身の筋肉から生み出される強烈な左ストレート、「黄金の左」が有名です。フランシスコ・フィリオをマットに沈めた「千年に一度のKO劇」も、やはりフィニッシュは「黄金の左」でした。バンナのパンチ力は、ボクシング界の著名人からも高い評価を受けるほどでした。

常にKO勝ちを狙った

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バンナの試合は、観ているファンも圧巻のKO劇を期待していますが、当然本人もKOを狙いに行くような試合運びを好んでいます。それは、通算戦績82勝のうち何と64勝がKO勝利という戦績にしっかり表れています。

ジェロム・レ・バンナの通称やあだ名とは?

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バンナは“ハイパー・バトルサイボーグ”と紹介されることが多いですが、本人は当初あまり快く思っていませんでした。一方でメディアにより定着した「K-1の番長」は本人も気に入り、「BANCHO」ロゴのTシャツを着る程でした。また、K-1初期の頃は自らを”ジェロニモ”と称している時期もありました。

ジェロム・レ・バンナのパンチ力はどのくらいだった?

ジェロム・レ・バンナのパンチ力が凄いことは周知の事実ですが、一体どれ程凄いのでしょうか。ボクシング関係者の評価や、戦績に見るパンチ力、またパンチが凄かったエピソードを紹介します。

ホリフィールドから高い評価を受けたほど

バンナのパンチ力は多くの関係者に認められていました。特に、元WBA・WBC・IBF統一世界ヘビー級王者、元WBA・WBC・IBF統一世界クルーザー級王者、そしてロサンゼルスオリンピック銅メダリストである伝説のボクサー”イベンダー・ホリフィールド”に「パンチ力だけなら世界最強」と評される程でした。

高いKO率からもパンチ力の凄さがわかる

KO勝利の数が多いことは前述しましたが、改めてどのくらい凄いのかを実績比較してみます。K-1 Official HPでの戦績をもとに算出すると、K-1全試合平均KO率は39%で、バンナのK-1における試合数104、KO勝利数64から、KO率は何と62%と極めて高いことがわかります。

ガードの上からでもダメージを与える!

マイク・タイソンの練習相手をするアダム・ワットと対戦したバンナは、キック無しのパンチの打ち合いで1RKO勝利を収めました。敗れたアダム・ワットは「ガードで防いだはずなのにKOされてしまった。物凄いパワーだった。」と、バンナのパンチ力の凄さを素直に認めたのでした。

ジェロム・レ・バンナのしびれるほどカッコいい試合を紹介!

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KO率の高さでわかる通り、ジェロム・レ・バンナの戦いは観るものを魅了する華々しさや清々しさがあります。それは勝ち負けに関わらず、”常に勝ちに行く姿勢”によるものであることがわかります。そのバンナの勝ちに行く姿勢が伝わってくる印象的な7試合を動画で紹介します。

ジェロム・レ・バンナの試合動画①

先ずは、「K-1 GRAND PRIX ’99」決勝トーナメント準々決勝のピーター・アーツ戦です。開始早々アーツの右ハイキックが決まり、バンナはダウンを奪われます。フラフラの状態で立ち上がり、誰もがもうダメかと思った数秒後、バンナのパンチでアーツはマットに崩れ落ちました。まさにドラマチックな衝撃の逆転KO劇でした。

ジェロム・レ・バンナの試合動画②

2002年に行われた「Dynamite! SUMMER NIGHT FEVER in 国立」のドン・フライ戦です。お互いに前に出て打ち合うタイプ同士の一戦は、予想通りの激しい打ち合いになりました。最後はバンナがドン・フライをコーナーに追い詰めてフィニッシュ。期待を裏切らない見ごたえのある打ち合いでした。

ジェロム・レ・バンナの試合動画③

「K-1 WORLD GP 2002 IN PARIS」のマーク・ハント戦です。ハントとは何度も激戦を繰り広げますが、この試合はバンナがハントを力でねじ伏せました。ハントが初めてパンチによるダウンを喫したのは、やはりバンナのパンチ力だからこそです。終盤お互いにスタミナ切れで気迫の勝負でしたが、最後は力で押し切った勝利でした。

ジェロム・レ・バンナの試合動画④

「K-1 WORLD GP 2002 決勝戦」のアーネスト・ホースト戦です。ホーストのミドルを受け、バンナの左腕が粉砕骨折する衝撃の戦いです。結果敗れたのですが、粉砕骨折しているにも関わらず、あきらめずに立ち向かって戦おうとした姿が印象的な試合です。

ジェロム・レ・バンナの試合動画⑤

「K-1 GP2000 in 名古屋」準決勝ニコラス・ぺタス戦です。終始バンナペースで進んだ終盤、ラッシュによりぺタスが崩れるように倒れ勝負は決しましたが、ぺタスは意識が朦朧とする中立ち上がり、負けたことに気づかずバンナにファイティングポーズをとったため、バンナは咄嗟にパンチを一発。物議を醸したシーンでした。

ジェロム・レ・バンナの試合動画⑥

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