比嘉和子の現在とは?「アナタハンの女王事件」の真相とその後に迫る

つまり比嘉和子、事件、島が正式に明るみになる以前に、島の実態について調査して詳細を入手して報道したジャーナリスト、マスメディアが存在していたのです。

比嘉和子自身がモデルの映画で女優デビュー

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常人であれば絶対に体験できないような境遇、境地を体験していて、まだ若い年ごろなのにも関わらず、非常に色濃い人生を送っている『比嘉和子』は日本の国民からたちまち人気となりました。

それこそまさに一世を風味して空前のアイドルとなりました。その勢いで『比嘉和子』はなんと『女優』に転身してデビューを果たしたのです。

比嘉和子のブロマイド写真が大人気

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古き良き『昭和』の文化、モノを感じさせるモノクロ調の味のある印画紙、通称ブロマイド写真。当時の世間から人気を博した『比嘉和子』のも存在しており、それもやはり『大人気』となりました。

「毒婦」というメディアからの批判

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一部のマスメディアからは、その時すでに『比嘉和子』と事件にまつわる、良からぬ色々な噂が立ち込めていたためか、上記の題のような『汚名』で呼ばれて批判を浴びる事も少なくありませんでした。

「安っぽい」との酷評も

そもそも『比嘉和子』が一世を風靡して人気を博していたのは、美貌を持っていたわけでもなく、可愛かったわけでもありません。ヒール役のような立場として人気が出たいたのです。

世間からも辛辣な評価をされることも少なくありませんでした。もしかしたら『ネタ』的な存在で扱われていたのかもしれません・・・。

「アナタハンブーム」後の比嘉和子の現在

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『比嘉和子』は人の命を奪い合う、本当に行われたバトロワのような輪廻が纏わりついた島から、そして野獣と化した軍人から逃れた、母国であり秩序、法律、社会が存在する日本に帰ってきた後。

空前絶後の人気を博し、女優に転身して光が差し込みこれまでの数奇な人生にようやく転機が訪れたかに見えましたが、その後一体どのような人生を歩んでいったのでしょうか?

ストリッパーへ転身

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救出されて奇跡的な生還を果たして、安全な社会、秩序が設けられている日本に『帰国』して約2年後、段々と女優としても著名人としても人気が落ち始めていた『比嘉和子』

彼女は再び、『性』に翻弄される様に、異名通りのイメージに合う様な、露出度が高い猥らな格好で踊る『ストリッパー』に成り下がってしまったのです。

沖縄へと帰郷し食堂「アナタハン」を経営

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人々の前で表立つような職にはうんざりしていた『比嘉和子』は、穏やかな休息と安定を求めて、地元である琉球王国、すなわち沖縄に帰郷してその地で事件にちなんだ『食堂』を切り盛りしました。

しかしながら『負のオーラ』が未だに纏わりついていたのか、その事業もなかなかうまくいかず、しばらくして廃業となりました。

比嘉和子は再婚し二児の母へ

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2019年(令和元年)現在から約60年前ほどの昭和33年になると、『比嘉和子』は30代半ばになっていて、その頃にバツイチの男性と形式的な『契り』ではなく、法律にのっとり『再婚』を果たしました。

そのバツイチ男性には2人の子供がいたので、これまで子供を授からなかる事がなかった彼女は晴れて『お母さん』になりました。これまでの数奇な人生を考えればなかなか感慨深い出来事なのではないでしょうか?

前夫の正一はすでに再婚していた

一番初めに愛し合った元旦那であり、戦争の真っ只中、家族が心配になり『比嘉和子』を残して1人島を飛び出した『正一』は既に再婚を果たしていたようですが、この事実を彼女が知っていたかどうかは不明。

最期の言葉は「愛が足りなくてごめんね」

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再婚したバツイチ男性は『比嘉和子』とそこまで年齢が離れていませんでした。そのバツイチ男性は40代半ばという年齢で短い生涯を終え、他界してしまいました。

先絶った旦那の後を追うように、強烈なインパクトがあり、色濃い数奇な人生を送った『比嘉和子』も昭和48年頃に、50歳にも満たない若い年齢で病気で命を落としてしまい、その生涯に幕を閉じました・・・。

最期には残された『比嘉和子』と血のつながっていない義理の子供たちに上記のような言葉を残して息を引き取ったといいます。

比嘉和子脱出後のアナタハン島の男たち

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ミステリアスでバトロワ的な輪廻と『比嘉和子』に囚われた事件のもう一人の主人公、当事者である、島に残された男たちはその後どうなったのでしょうか?

2019年現在でも日本の領土である島に、違った事情で囚われている人間がいるらしいです。それが嘘か誠か気になる方はこちらの記事を合わせてご覧ください。

比嘉和子の「最後の相手」が死亡

均衡を保つため、争いを終わらせるために最後に『比嘉和子』と『契り』を交わした野獣と化した軍人は、一番最後に『謎の死』を遂げてしまいました。

何故死んだのかはわかっていませんが一説によれば、かつての同僚、仲間であった他の軍人たちに『リンチ』に遭ったのではないかと囁かれています。

ようやく信じた「戦争の終結」

これまで戦勝国でありお隣『サイパン』の領土を持っている『アメリカ』の軍に、メガホンなどで何度か『第二次世界大戦は終わった』と言われ続けてきました。

しかし敵国であるためか、大日本帝国の教育のためか、その言葉を一切信じずにその輪廻に囚われた島に残り続けていましたが、ようやくその言葉を終戦したという事を信じました。

アナハタン島の女王事件の男たちのその後

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『比嘉和子』に魅了されて男の本能、性(さが)に囚われて仲間同士で命を奪い合う、バトロワを繰り広げた大日本帝国の元軍人たちはその後どうなったのでしょうか?

生存者19人全員が救助される

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アメリカ軍の必死なアナウンスをようやく信じて、終戦したことを受けいれると、その島から野獣と化した軍人たち、19名の生存者が脱出して日本に帰還しました。

『比嘉和子』を合わせると20名に上ることになります。

「奇跡の生還」と報道

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彼らが奇跡的な生還したのは『比嘉和子』が芸能活動をしていた頃、つまり第二次世界大戦から約6年後の昭和26年の初夏のころでした。

当時の日本では各マスメディアが大々的に報じて、国民がその生還を祝い話題となりました。

NEXT 2014年に事件の貴重な資料発見