寝屋川事件とは?事件の概要と裁判の判決は?死刑囚・山田浩二の現在に迫る

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その原因は家族全体によるものでした。山田浩二一家の家はゴミ屋敷という言葉が相応しいレベルで汚い異臭の漂う屋敷だったそうです。飼い猫の遺体も放置し、虫が湧いて近隣にも影響が出ていました。

このころの山田浩二はというといじめなどの問題行動の他、異様な同性への執着心を見せており、家族もろとも評判は悪かったようです。

山田浩二は窃盗や傷害で鑑別所に入退所を繰り返す

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山田浩二の問題行動はどんどん悪化していき、いじめがエスカレートした傷害事件や監禁事件を起こしていました。

さらには窃盗により鑑定所へ1年入れられていたこともありこのころすでに周囲の評価は犯罪の申し子といった様子でした。

山田浩二は中学卒業後も犯罪を重ね、獄中結婚も

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中学卒業後山田浩二は高校には行かず犯罪の道へと突き進み始めます。バイク仲間とバイクを乗り回しながらシンナーを使ったり暴力団との繋がりで麻薬の取引にも携わっていました。

さらに山田浩二は寝屋川事件の前にも前科があり、窃盗・誘拐事件を起こして逮捕されています。寝屋川事件はこの服役を終えた直後の出来事でした。

少年を拉致監禁

中学2年生の少年に道を聞くふりをして、車に監禁。わいせつな行為をした後に開放したといいます。この犯罪が決定打となり逮捕され覚せい剤の使用、所持の他窃盗、傷害などの余罪で懲役12年となります。

ちなみにこの拉致監禁によるわいせつ行為の被害者はこの少年だけに留まらず、この少年を含む7名の少年が被害にあっていました。

獄中結婚と離婚

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この12年の服役中に山田浩二は結婚、離婚、そして養子縁組を経て2回も苗字が変わっています。

結婚して苗字が「柴原」に代わり、離婚後は獄中で出会った暴力団関係者と養子縁組し逮捕時の「山田」の苗字に代わりました。ちなみに元の苗字は「渡利」でした。

山田浩二出所後の仕事ぶりは好評価?

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出所したのは寝屋川事件のおよそ1年前にあたる2014年の10月でした。出所後山田浩二は福島の除染作業員として就職し人生の再スタートを切りました。

働きぶりは良好で、同じ作業員の間ではみんなを取りまとめるリーダー的な存在だったといいます。

しかし孤立気味なところは相変わらずで、同じ寮で過ごしていた作業員らが集まるDVD鑑賞会等の集まりに参加したことは無く1人で車内で過ごすことが多かったようです。

山田浩二はサイコパス?

高いリーダーシップを発揮ながらも共感能力や罪悪感が無いというのはサイコパスによく見られる特徴の1つです。山田浩二の場合育った環境も原因の1つではあると思いますが生来の気質もあったのかもしれません。

2003年に、寝屋川事件前に公開された手記には罪の意識など微塵も感じさせぬような言葉が並んでおり、寝屋川事件裁判でお芝居のようと言われたのもこれが一因のように思えます。

山田浩二にASDの特徴が見られる?

ASDとは自閉スペクトラム症のことで寝屋川事件裁判の時はこの発達障害の1つが責任能力に影響するか否かが大きな焦点となりました。これの特徴は相手の気持ちを察せない、パニックに陥りやすいなどです。

パニックに陥ったことで判断力が下がり殺害してしまったという弁護に対し、寝屋川事件直後の山田浩二の携帯検索履歴に「DNA鑑定」等が残ってたことがこの発言を覆しました。

ASDの気はあるもののそれによって責任能力を欠いていたわけではないという結論となり、寝屋川事件裁判ではASDによる減刑などは認められませんでした。

鑑別所とは?

寝屋川事件犯人・山田浩二が度々入れられた施設としてその名前が出てきましたのでさっと解説をさせていただきます。

前項で、鑑別所という聞きなれない正式な名前は少年鑑別所と言われ罪を犯した少年を収容、観察するのが主な役割の施設です。

更生の道筋を探す

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生活の様子の観察や心理テストや健康診断による肉体的、精神的等あらゆる面から何故この少年は犯罪を起こしたのかを探るのがこの施設の主な役割です。

それを元に更生の為の指導プログラムを組んだりそもそも裁判を起こす必要があるのかどうかを考えます。まさにその名の通り「鑑別」をする場所なのです。

少年院と何が違うの?

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ここまで聞いてそれって少年院では?と思った方も多いでしょう。この鑑別所という施設は罪を犯した少年が少年院の前に入る施設だと思ってください。

順番的には鑑別所→少年審判→少年院といった感じです。しかし、鑑別所の資料を基に行われた審判で再指導の必要はないと判断されれば少年院には送られない、いわば保護観察という状態になります。

寝屋川事件犯人・山田浩二死刑囚の現在

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現在は死刑の執行を待つ身となっている寝屋川事件犯人の山田浩二。今現在、山田浩二はどのような心持で日々を過ごしているのでしょうか。公開された手記の内容なども交えながらご紹介します。

2019年現在は49歳、大阪拘置所で服役中

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2018年以降、山田浩二との面会を行った人物の話によると寝屋川事件前に書いた山田浩二の手記にある罪の意識の無さや犯罪癖は治らないかもという悪びれた様子の無い様子からは一転した様子だったといいます。

お祈りの本を読んでいたり罪と向き合い考えているという姿勢の山田浩二。罪の意識を持っているように思えるような行動ですが、前歴や行いからどうにも疑わしさがあります。

黙秘

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死刑が決まってなお黙秘を続けている山田浩二。現在も黙秘を続けており寝屋川事件の真相解明に進展はありません。

この点に関しては「後ろめたいから黙秘をしているわけではない」となにやら含みのある言い方をしています。

何故黙秘を続けているのか、誰かの入れ知恵なのか、寝屋川事件の真相が語られる日は来るのでしょうか。

2019年山田浩二の「獄中手記」が『創』に掲載

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この手記は様々な面で注目を集めました。寝屋川事件の犯人というだけでも注目度が高いのにさらに死刑執行に向かう囚人の様子なども生々しく描かれており死刑廃止を訴える世論にも影響を与えました。

ここではその手記の内容もかいつまんでご紹介させていただきます。全文を読みたい方はリンクを貼らせていただきますのでそちらもご参照ください。

裁判に向かう緊張

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手記の初めには裁判前夜の緊張や、バッシングやヤジ、襲撃の恐怖がありありと綴られています。ここまでだけでも普通の人ならばまずまず体験することは無い、というより体験したくない内容です。

また、この手記には死刑判決が下った時の心情も書かれており黙秘を貫く山田浩二の心情が窺い知れる数少ない媒体の1つとなっています。

他人事のような感覚

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死刑が言い渡された時、まるで自分の事とは思えず自分よりも悔しがっていたのが弁護士だったのが印象的だったと書かれておりました。

実感がわいたのが拘置所に戻った時だそうです。絶望感がのしかかり何も考えられなくなったと書かれており、この時にトラブルが起き控訴を取り下げてしまったという流れは至極当然のようにも思えます。

別の死刑囚の死刑執行

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判決が言い渡されて幾日といったとき、同じフロアにいた囚人2人の死刑が執行され、その時の様子がありありと描かれています。

朝早く面会だと言って連れていかれた囚人たち。3時間程経っても戻らずに、代わりにその囚人らの私物を処分するための台車が囚人の部屋の前に止まっていたといいます。

そこでその囚人らが死刑執行されたことに気付き、嘘により連れ出された事実を知ります。

死刑制度の実態

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この事実は広く周知されるべきとこの手記を公開したメディアは語っています。死刑制度に関しては国民の8割が賛同している実情ですが、このような嘘で連れ出す等という現状もあるわけです。

死刑場に向かう道中暴れるという死刑囚の話はよく聞きます。これを避けるために嘘をついたという可能性もあります。

それほどの罪を犯したのだから仕方ない、暴れずに甘んじて受けるべきという世論は最もだとは思いますがこの実態についてはもっと広く周知されるべきかもしれません。

獄中での取り組み

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手記の最後は獄中で生活する囚人たちによる新たな活動についてで締めくくられています。それは囚人らの意図や本心を捻じ曲げるような報道やネットのデマに物申すといったものでした。

昨今は囚人達だけではなく様々な人、様々な面でこの過剰報道やデマによる弊害が見え隠れしています。この活動がどうなっていくか、今後気になるところです。

自ら死刑を受け入れた死刑囚たち

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寝屋川事件が世間の注目を浴びた理由が、その残虐性もさることながら死刑確定後の控訴を自身の意思で取り下げ死刑を自ら受け入れたところにもあります。

そして、日本には寝屋川事件同様に控訴を取り下げ死刑を自ら受け入れた事件が他にも存在します。ここではそんな事件と死刑囚を紹介します。

死刑を受け入れた死刑囚①小林薫

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小林薫は当時小学一年生の少女を誘拐、殺害した死刑囚です。小林薫の起こした事件は奈良小1女児殺害事件と呼ばれています。数少ない被害者数1にもかかわらず死刑判決が適用されたことでも有名な事件です。

奈良小1女児殺害事件とは

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この事件は2004年の11月に下校途中の女子児童が誘拐されその日の晩に母親に「娘はもらった」というお決まりのフレーズのメールが送られてきたことから始まりました。

捜査がすぐに開始されましたが翌日の0時に誘拐された女児が遺体で見つかるという痛ましい事件です。誘拐された女児の死因は溺死で、湯舟や洗面器等きれいな水が張られたところに頭を押し付けられたとされました。

通信履歴からの特定

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小林薫はこれだけでは飽き足らず、今度は亡くなった女児の妹を狙うという旨のメールを女児が所持していた携帯電話から送り悲しみに暮れる家族を再度恐怖に陥れます。

しかし警察はこのメールから小林薫を見事特定。家宅捜索を行った結果ランドセルなどの証拠品が見つかり逮捕となりました。

死刑を望んでいた

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小林薫も寝屋川事件の犯人同様控訴を取り下げ自ら死刑を確定させましたが、ヤケクソになって死刑を確定させてしまった寝屋川事件犯人とは異なり自らの意思で進んで死刑になりに行ったような印象を受けます。

裁判時に「死刑になりたいため減刑は望んでいない」と発言したことや死刑判決を言い渡されたときに小さくガッツポーズをするなど言葉通り死刑を望み嬉しがっているようにしか思えない言動を繰り返しました。

控訴を取り下げる

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9月26日に死刑判決が下されましたが小林薫は1か月もたたない10月10日に弁護側が出した控訴を取り下げ望み通り死刑を確定させました。

この事件や死刑囚・小林薫について更に詳しく知りたい方は詳しい記事を掲載させていただきますのでこちらをご覧になってみてください。

死刑を受け入れた死刑囚②金川真大

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こちらの事件は当時メディアにとても大きく取り上げられていたので記憶にあるという方も多いのではないでしょうか。「土浦連続殺傷事件」と呼ばれるこの事件は8人もの犠牲者を出す通り魔事件です。

土浦連続殺傷事件とは

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住宅街で来客対応をした男性が首を刺され死亡するという事件を皮切りに起きた土浦市を舞台とした連続殺人事件です。

スーツ姿の男性が荒川沖駅構内で捜査員を含む5人もの人を次々切りつけたという事件は当時とても衝撃的でしたが、この事件の犯人・金川真大が犯行に走った動機がさらに衝撃的な事件でした。

死にたくて死刑に

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事前にナイフや変装用の衣類を準備しておくなど用意周到で計画的な事件でした。しかし、自らの母親に犯行を示唆するメールを送ったり、警察を挑発するメールを送ったりと捕まえてほしいような言動も目立ちました。

その理由が、死にたいという願望はあったが実際に死ぬ勇気はなかった金川真大が死ぬために考えた方法が人をたくさん殺して死刑になるという最悪の方法だったからでした。

しかしなかなか捕まらなかった金川真大はしびれを切らし荒川沖駅での犯行を最後に自首をします。後の取り調べで、この自主により減刑され死刑になれないのではないかという不安があったことを吐露していました。

反省の色ゼロ

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金川真大の行動はすべて早く死刑になるために行われており控訴の取り下げの他、死刑がご褒美にしかならないことを危惧した控訴を申請した弁護士を変えようとしたが刑確定が遅れる事を危惧し止めたといいます。

謝罪を促されても拒否するなど終始自分のことしか考えてない身勝手さがにじみ出ており、弁護人もこのままでは彼を模倣する死にたい重犯罪者が増えてしまう可能性があると危惧していました。

こちらの記事にさらに詳しく掘り下げた内容が描かれていますのでこちらも是非ご覧になってください。

死刑を受け入れた死刑囚③宅間 守

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この事件は2001年に起きた事件ですが、2019年に引き起こされた川崎のカリタス学園通学バスの殺傷事件と非常に動機などが似通っているためにメディアで比較対象として引き合いに出されました。

どちらも幼い小学生が犠牲になるという事件で児童とその保護者に大きな心の傷を残しました。

附属池田小事件とは

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その名の通り、大阪の教育大学付属の小学校で起きた無差別殺傷事件です。学校が始まった午前10時ごろ、包丁を持った宅間守が学校に押し入りました。

小学校低学年の児童が8名殺害され教員や児童合わせて15名が怪我をするという未曾有の事件でした。宅間守はその場で取り押さえられ現行犯逮捕されましたが被害は決して小さいとはいえないものでした。

カリタス学園の事件との類似

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前述させていただいた通りこの事件は川崎のカリタス学園事件との類似点が多く、児童が犠牲になってしまったこと以外にも共通点があります。

「エリートで将来有望な子供を大勢殺せば死刑になれるかも」という動機や家族との不和がそれに挙げられます。

また、カリタス学園事件の際に社会問題となった「死にたいなら1人で死ね」という世論もこの時同じように出ていました。

命乞いをしているように見える

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宅間守が控訴を取り下げた理由をこのように語りました。また、宅間守は一刻も早い死刑執行を望んでおり刑事訴訟法で定められている確定後の6か月以内の執行を強く望んでいました。

拘置所も24時間2人体制で宅間守を自殺防止のため監視しており、この申し立てと監視人員の削減、世間のいち早い死刑執行を望む声なども踏まえ死刑確定から1年後に執行というかなり早い刑執行となりました。

さらに詳しく事件の容疑者、宅間守の生い立ちなどが知りたい方はこちらをご覧になってみてください。

死刑を望み犯罪を起こす犯罪者たち

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この3名は全て寝屋川事件の山田浩二とは正反対の理由で控訴を取り下げています。寝屋川事件の控訴取り下げが注目を浴びたのはこれらの死刑囚達と理由が正反対だったというのがあげられるでしょう。

昨今死刑制度を見直すべきという声が上がっております。寝屋川事件の意図せぬ控訴取り下げや上記3件の死刑制度を利用した重犯罪者の事件。

これらが実際に起こっているのを鑑みて、今一度死刑制度をしっかり根幹から見直すべき分岐点に日本は立たされているのかもしれません。

寝屋川事件を起こした山田浩二は決して許されない

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事故に近いような形で死刑を確定させてしまった山田浩二ですが、これに対する世間の評価はあまりに冷ややかです。寝屋川事件はそれほどまでに許し難い事件でありまた事実許されるべきではないのです。

しかし、寝屋川事件をこのまま死刑によって謎を謎として残したまま幕引きにすることも許されることではありません。寝屋川事件が真の意味で解決へ向かう事。

寝屋川事件を風化させることなく語り継ぎ、謎を解き明かし第2の寝屋川事件を防止することが我々に出来ることではないでしょうか。

小林薫死刑囚についての記事はこちら

金川真大死刑囚についての記事はこちら

宅間守死刑囚についての記事はこちら